32話 みんな普通に遊んでるんですけど!?
初めての遊園地を楽しむアリア。
メリーゴーランドの次に気になったのは、もう一つの乗り物でした。
さて、伯爵一家の“視察”はこのあとどうなるのでしょうか。
「乗ってみたいです!」
アリア様は目を輝かせながら、コースターを指差していた。
さっきまでメリーゴーランドに二回も乗っていたというのに、もう次の乗り物が気になっているらしい。
楽しんでもらえているのは嬉しい。
嬉しいんだけど――。
「……コースターか」
俺は小さな木製のレールへ目を向けた。
実際に人を乗せて走らせる試験は終わっている。
俺自身も乗ったし、商業ギルドから手伝いに来てくれた職員さんにも乗ってもらった。しかも、あの人は一度乗ったあと、自分からもう一回乗りたいと言ってくれた。
だから、人を乗せられない状態ではない。
ただ、今まで乗ったのは俺と大人だけだ。
アリア様は七歳。
「乗ることはできます。ただ……」
「ただ?」
「これ、一人乗りなんです」
アリア様がコースターを見る。
レールの上に置かれている小さな車両には、座席が一つしかない。
「一人……」
「はい。俺が隣に乗ることはできません」
さっきのメリーゴーランドなら、すぐ近くから様子を見ることができた。
でもコースターは違う。
一度出発すれば、乗り場へ戻ってくるまでアリア様一人だ。
俺がそう説明すると、エリー様も少し心配そうにコースターを見た。
「アリア。無理に乗る必要はありませんよ」
「…………」
アリア様はしばらくレールを見上げていた。
一番高いところでも三メートルほどだ。
大人から見れば、それほど高くはない。
元の世界の大きなジェットコースターと比べれば、かわいいものだ。
でも、七歳の子供からすれば話は違うだろう。
「ライガ様」
「はい?」
「怖いですか?」
「……少しだけ怖いかもしれません」
「少しだけ?」
「少しだけです」
俺は笑って答えた。
「でも、怖かったら乗らなくても大丈夫ですよ。遊ぶためのものなんですから、無理して乗る必要はありません」
遊園地に来たからって、全部の乗り物に乗らなきゃいけないわけじゃない。
怖い乗り物が苦手なら乗らなくていい。
メリーゴーランドみたいな穏やかな乗り物だけ楽しんでもいい。
遊び方は、その人が決めればいい。
「…………」
アリア様はもう一度コースターを見る。
少し迷っているようだった。
それでも、やがて俺へ向き直った。
「……乗ってみたいです」
「分かりました」
今度は、すぐに頷いた。
「じゃあ、乗る前に確認するので、少し待ってください」
「はい!」
さっきまでの迷いが嘘みたいに、元気な返事が返ってきた。
◇
俺はコースターの確認を始めた。
まずレールに沿って歩き、木材や接合部分におかしなところがないかを見る。支えになっている部分も揺らしてみたが、緩んでいる様子はない。
次に車両へ戻り、車輪や車体を確認する。
坂を上るために積んである魔石も問題なさそうだ。
車体の後ろに取り付けた魔石から車輪へ魔力を送る部分も確認し、実際に手で動かしてみる。
さらに、頂上で駆動を切る仕組みも見ておく。
車両が坂を上り切ったところで、車体側の突起がレール脇に取り付けた棒へ触れる。その動きで車内の接点が外れ、魔石から駆動部分への魔力が切れる仕組みだ。
乗り場へ戻ってきた車両を止める方も確認する。
こちらは車両が決めた位置まで戻ってくると、レール側の仕組みが車両へ触れ、それに合わせてブレーキが少しずつ車輪へかかるようにしてある。
最後に、安全バーも実際に何度か動かしてみた。
下ろした位置で固定される。
手で引いても簡単には外れない。
乗り場に車両が止まっている今なら、操作台から解除することもできる。
「……よし」
全部、一度は何度も試している。
だからといって、今日も大丈夫だろうと確認せずに人を乗せていいわけじゃない。
ただ、最初に作ったときと違って、どこを確認すればいいのかは少しずつ分かるようになってきた。
「アリア様、こちらへどうぞ」
「はい」
アリア様が近づいてきた。
乗り込みやすいように手を貸し、座席へ座ってもらう。
そこで俺は、すぐに出発させず、安全バーをゆっくりと下ろした。
「…………」
「どうしました?」
「ちょっと待ってくださいね」
安全バーを固定してから、アリア様の身体との位置を確認する。
俺が乗ったときより、当然だけど身体が小さい。
商業ギルドの職員さんを乗せたときも、ここまで体格差はなかった。
安全バーとの間にどれくらい余裕があるのかを見て、少し身体を動かしてもらう。
「苦しくないですか?」
「大丈夫です」
「少し身体を前に動かしてみてもらえます?」
「こうですか?」
「はい。そのまま、今度は背中を座席につけてください」
言われた通りに動いてもらいながら、安全バーが外れたり、身体が抜けそうになったりしないかを確認する。
今回のアリア様なら、きちんと身体を保持できそうだ。
でも、それだけで子供なら誰でも乗れると考えるのは違う。
同じ七歳でも身体の大きさは違うし、もっと小さな子供だっている。
開園するなら、乗せる前に何を確認するのか、ちゃんと基準を決めた方がいい。
年齢だけじゃなくて、この安全バーで確実に身体を保持できる体格なのかどうかも考えないと。
「……また一つ増えたな」
「何がですか?」
「開園までに考えないといけないことです」
俺が苦笑すると、アリア様は不思議そうに首を傾げた。
「雷牙」
後ろからアイラ様に呼ばれる。
「はい?」
「問題はないのか?」
「今のアリア様なら、きちんと安全バーで身体を保持できています。ただ、もっと小さい子供まで同じように乗せていいかは、開園までにちゃんと考えた方がよさそうです」
「そうか」
アイラ様はそれ以上急かさなかった。
エリー様にも今の確認結果を伝える。
「アリア様の体格なら問題なさそうです。ただ、一人で乗ることになるので、そこだけは変わりません」
「分かりました」
エリー様は娘を見る。
「アリア。本当に乗るのですね?」
「はい!」
「では、雷牙さんの言うことをきちんと聞くのですよ」
「分かりました!」
それを聞いてから、俺はもう一度アリア様へ乗り方を説明した。
「走っている間は座ったままでいてください。安全バーは両手でしっかり握っていてくださいね」
「はい」
「途中で止めることはできないので、一度出発したら、ここへ戻ってくるまで立ち上がったり、身を乗り出したりしないでください」
「はい!」
アリア様が安全バーを両手で握る。
「準備できました!」
「じゃあ、いきます」
俺は操作台へ移動した。
エリー様がアリア様を心配そうに見ている。
アイラ様も、さっきメリーゴーランドを操作していたときとは少し表情が違う。
カミル様だけは、どこか面白そうにコースターを眺めていた。
「動かします」
俺が乗り場のレバーを操作すると、その動きが車両へ伝わり、車内の接点がつながった。
積んである魔石から駆動部分へ魔力が流れ、車輪が動き始める。
「わぁ……!」
アリア様の声が聞こえる。
車両はそのまま坂へ入った。
少しずつ、高くなっていく。
最初は楽しそうに周囲を見ていたアリア様だったけど、途中からだんだん静かになっていった。
両手でしっかり安全バーを握っている。
「大丈夫かな……」
俺まで少し緊張する。
三メートル。
たったそれだけと言えば、それだけだ。
でも、地面に立って見る三メートルと、小さな車両に乗って上っていく三メートルは違う。
やがて、車両が頂上へ到達した。
車体に取り付けた突起が、レール脇の棒へ触れる。
その動きで車内の接点が外れ、車輪を動かしていた魔力の供給が切れた。
一瞬だけ動きが変わった車両は、そのまま坂へ入り――。
「きゃああああっ!」
「アリア!」
エリー様が思わず声を上げる。
「だ、大丈夫です!」
俺も言いながら車両を目で追う。
大丈夫。
予定通りの動きだ。
車両は坂を下り、その勢いで一つ目の小さな起伏を越える。
続いてもう一つ。
その先の緩やかなカーブへ入った。
「きゃああっ!」
またアリア様の声が響いた。
俺は乗り場の前で待つ。
やがて車両が最後の区間へ入った。
乗り場手前まで戻ってきた車両にレール側の仕組みが触れ、それに合わせてブレーキが徐々に車輪へかかっていく。
車両は少しずつ速度を落とし――。
止まった。
「……よし!」
完全に停止したことを確認する。
それから安全バーを解除するためのレバーを操作した。
乗り場に停止している車両へ魔力が伝わり、固定されていた安全バーが外れる。
俺はすぐに車両へ近づいた。
「アリア様、大丈夫ですか?」
「アリア?」
エリー様も近づいてくる。
「…………」
アリア様は座席に座ったまま、少し固まっていた。
「えっと……」
やっぱり怖かったか?
七歳にはまだ早かったかもしれない。
俺が心配になった、そのとき。
「……もう一回」
「え?」
アリア様が顔を上げた。
「もう一回乗りたいです!」
「また!?」
思わず声が出た。
アリア様は満面の笑顔だ。
「最初の坂を下りるところ、びっくりしました! でも、すごく楽しかったです!」
「そ、そうですか」
よかった。
本当によかった。
でも――。
「……また、もう一回か」
「どうしました?」
「いえ、なんでもないです」
商業ギルドの職員さんもそうだった。
そして今度は七歳のアリア様。
全然違う二人が、同じコースターに乗って、同じ言葉を口にした。
「……もしかして、これ結構いい出来なんじゃないか?」
自分で言うのもなんだけど、ちょっと自信が出てきた。
「雷牙殿」
「はい?」
声をかけてきたのはカミル様だった。
俺の横まで来ると、今アリア様が戻ってきたばかりの車両を見る。
「これは、大人でも乗れるのか?」
「乗れますよ」
「そうか」
「…………」
嫌な予感ではない。
でも、なんとなく次の言葉が分かった。
「では、私も乗ってみよう」
「やっぱり!」
思わず言ってしまった。
カミル様が笑う。
「何だ。私が乗ってはいかんのか?」
「いや、全然いいんですけど……」
「父上」
アイラ様が口を挟む。
「無理をなさらないでください」
「何を言っている。これくらいで無理をする歳ではない」
「そういう問題では――」
「それに」
カミル様がコースターを見る。
「話を聞いているだけでは、分からんのでな」
「…………」
それは、どこかで聞いたような言葉だった。
商業ギルドの職員さんも、メリーゴーランドに乗る前に似たようなことを言っていた。
見ているだけでは分からない。
だから乗ってみたい、と。
「分かりました。じゃあ、もう一度確認してからお願いします」
「うむ」
アリア様を降ろしたあと、俺は再び車両や安全バーを確認した。
走った直後だからこそ、何か変わったところがないかも見ておく。
問題はなさそうだ。
カミル様に座ってもらい、安全バーを固定する。
「走っている間は、安全バーをしっかり握っていてください」
「分かった」
「立ち上がったり、身を乗り出したりもしないでくださいね」
「承知した」
俺は操作台へ戻った。
「では、動かします」
車両がゆっくりと坂を上っていく。
カミル様は余裕そうだった。
周囲を見回しながら、車両がどう動いているのか観察しているようにも見える。
やがて頂上へ到達。
車体の突起がレール脇の棒に触れ、駆動が切れる。
そのまま車両が坂へ入り――。
「おおっ!?」
下った。
「…………」
聞こえた。
今、確実に声が出た。
でも俺は何も言わないことにした。
車両は二つの小さな起伏を越え、カーブを抜ける。
やがて乗り場へ戻り、ブレーキによって徐々に速度を落として止まった。
「お疲れさまです」
完全に停止したことを確認してから、安全バーを解除する。
カミル様は車両から降りると、しばらくコースターを眺めていた。
「どうでした?」
「……なるほど」
「またそれですか」
「ん?」
「いえ、さっきから『なるほど』ってよく言ってるので」
カミル様が小さく笑った。
「話だけ聞けば、坂を上って下るだけの乗り物だ」
「……まあ、そうですね」
「正直に言えば、なぜそれが遊びになるのか分からなかった」
「ですよね」
俺だって、遊園地を知らない人に言葉だけで説明しろと言われたら困る。
坂を上って、下る。
それだけ聞いたら、何が楽しいのか分からないだろう。
「だが、乗ってみれば分かる」
カミル様はもう一度車両を見る。
「なるほど。これは確かに面白い」
「ありがとうございます」
なんだか素直に嬉しい。
「お祖父様も楽しかったのですか?」
「ああ」
「では、お父様も乗りましょう!」
「なぜそうなる」
即座にアイラ様の声が返ってきた。
「お祖父様も乗りました」
「それは父上が勝手に乗っただけだ」
「お父様は乗らないのですか?」
「私は視察に来たのであってだな――」
「乗らないのですか?」
「…………」
アリア様が見上げる。
アイラ様が黙る。
その横で、エリー様が口元に手を当てて笑っていた。
「あなた。せっかくですから」
「エリーまで……」
「実際に乗った方が、視察になるのではありませんか?」
「…………」
正論なのか屁理屈なのか分からない。
でも、アイラ様には効いたらしい。
「……雷牙」
「はい」
「私も乗れるのだな?」
「もちろんです」
「そうか」
アイラ様が小さく息を吐いた。
「では、乗ろう」
「お父様、頑張ってください!」
「何を頑張るんだ、何を」
伯爵家って、思っていたより普通の家族なのかもしれない。
◇
アイラ様もコースターに乗った。
もちろん、出発前にはカミル様と同じように安全バーをしっかり握り、走っている間は立ち上がったり身を乗り出したりしないよう伝えてある。
さすがに大声を上げることはなかったけど、最初の坂を下った瞬間、僅かに身体が強張ったのを俺は見逃さなかった。
戻ってきてから感想を聞く。
「どうでした?」
「……なるほど」
「親子ですね」
「何がだ」
「いえ、何でもありません」
やっぱり似ている。
「だが、父上の言った意味は分かった」
アイラ様は、安全バーを解除してから車両を降りた。
「確かに、これは説明を聞くだけでは分からないな」
「そうなんですよね」
「商業ギルドの者が二度乗った理由も、少し理解できた」
「アイラ様も二回乗ります?」
「いや、私はいい」
即答だった。
そこはアリア様や職員さんとは違うらしい。
「お母様は?」
アリア様が今度はエリー様を見る。
「私は……そうですね」
エリー様はコースターを見上げ、それから微笑んだ。
「もう少し穏やかなものがいいですね」
「それなら」
俺は少し離れたところにある灰石の道を指差した。
「昨日できた遊覧車なら、二人で乗れますよ」
「二人で?」
アリア様がすぐに反応する。
「はい。二人乗りなので」
「お母様!」
「ふふ。分かりました」
エリー様も断るつもりはないらしい。
俺たちは遊覧車の乗り場へ移動した。
◇
「これに乗るのですね」
エリー様が小さな木製の車を眺める。
「はい。こっちが運転する人で、隣にも一人座れます」
「お母様が運転するのですか?」
「どうやら、そうみたいですね」
アリア様は嬉しそうに隣の座席へ向かった。
エリー様には運転席へ座ってもらう。
「まず、この丸い部分を左右に動かすと、前の車輪もそれに合わせて向きが変わります」
「これを動かすのですね」
「はい」
エリー様が試しに動かす。
それに合わせて前輪の向きが変わった。
「あら」
「ただ、道の中央に案内するための仕組みがあるので、少しくらい操作を間違えても道から外れないようにしてあります」
「では、ずっと正確に動かさなくても大丈夫なのですね」
「はい。自分で運転してる感じを楽しんでもらうためのものなので」
次に足元を示す。
「こっちのペダルを踏んでいる間だけ進みます。離せば魔力の供給が切れるので、それまでの勢いで少し進んでから自然に止まります」
「止まるための操作は?」
「ペダルから足を離すだけです。ブレーキは付けていません」
「なるほど」
できるだけ操作は簡単にしてある。
この世界では、こういう形の乗り物自体が見慣れないものだ。いきなりいくつもの操作を覚えてもらうより、簡単な方がいい。
「ただし、今いる乗り場の中では、ペダルを踏んでも動きません」
「そうなのですか?」
「はい。乗り降りしている途中で急に動くと危ないので」
エリー様が試しにペダルを踏む。
車体後部の魔石は取り付けてあるが、車輪は動かない。
「本当ですね」
「乗り場にある仕組みが、車の下にある部品を押して、ペダルから駆動部分へ魔力が流れないようにしてるんです」
エリー様が足元を覗こうとする。
「外に出れば動くようになります。なので、最初は俺が押します」
俺は車体の後ろへ回った。
「それと、戻ってくるときは最後のカーブからあまり速度を上げないようにしてください。乗り場へ入る少し前から自動で駆動できなくなりますけど、速く入りすぎると止まるまでの距離も長くなるので」
「最後はゆっくり戻ってくればいいのですね」
「はい。それでお願いします」
「アリア様も、走っている間は座っていてくださいね」
「はい!」
「では、いきます」
車を後ろから押す。
灰石で平らにした乗り場の上を、車輪がゴロゴロと転がった。
やがて、車体下部の可動部が乗り場側の仕組みから外れる。
これでペダルから駆動部分へ魔力を送れる状態になった。
「ここからは動きます。ゆっくり踏んでみてください」
「分かりました」
エリー様が恐る恐るペダルへ力を入れた。
車体に積んである魔石から魔力が流れ、後ろの車輪が回り始める。
「……動きました」
「動きますよ。そういう乗り物ですから」
思わず笑ってしまった。
「お母様、動いてます!」
「ええ。分かっていますよ」
アリア様は隣で大喜びだ。
車はゆっくりと灰石の道を進んでいく。
最初のカーブへ差しかかる。
「お母様、曲がります!」
「分かっています」
エリー様が前輪の向きを変える。
車はそれに合わせて曲がっていく。
少しずれても、車体の下側に取り付けた部分が中央の案内路に沿って進むため、大きく道を外れることはない。
「本当に曲がりました」
「お母様、すごいです!」
「私がすごいわけではありませんよ」
二人の声が少しずつ遠ざかっていく。
俺は乗り場から、その様子を見送った。
「馬もなしに動くか」
隣でアイラ様が呟く。
「遊ぶためだけに、こういうものを作ったんです」
「移動には使わないのか?」
「使うつもりはないですね。これはここで遊ぶためのものです」
「……そうか」
アイラ様は何か考えるように、走っていく車を眺めていた。
別に、こういう車そのものをこの世界へ広めたいわけじゃない。
俺が作りたいのは移動手段じゃなくて、遊園地の乗り物だ。
だから、あれでいい。
しばらくすると、木々の間から遊覧車が戻ってきた。
「見えてきました!」
アリア様の楽しそうな声が聞こえる。
エリー様も最初よりずっと自然に操作していた。
最後のカーブを抜け、乗り場へ近づいてくる。
「エリー様、そのままゆっくりで大丈夫です!」
「はい」
速度は問題ない。
やがて車体下部の部品が、乗り場手前から伸ばしてある仕組みに触れた。
押された部品が動き、ペダルから駆動部分へ続く魔力の経路が物理的に切れる。
エリー様がペダルを踏んでいても、もう駆動する力は伝わらない。
そのまま車は、それまでの勢いでゆっくりと乗り場へ入ってきた。
少し進んで、自然に止まる。
「ここからは俺が動かします」
後ろへ回り、人力で車を押す。
「乗り場では、人が動かすのだな」
アイラ様が聞いてきた。
「はい。ここではペダルを踏んでも自分では走れないようにしてます。乗り降りするときに急に動いたら危ないので」
「なるほど」
俺は車を乗降位置まで押して止めた。
「お疲れさまでした」
「楽しかったです!」
先に答えたのは、やっぱりアリア様だった。
「お母様が動かしたんですよ!」
「半分くらいは、この道のおかげですけどね」
エリー様も車から降りる。
「不思議な乗り物ですね。最初は少し緊張しましたが、自分で進む方向を動かしていると思うと、思っていた以上に楽しかったです」
「ありがとうございます」
新しく作ったばかりの遊覧車。
俺以外の人を乗せるのは、これが初めてだった。
それも楽しんでもらえた。
肩の力が少し抜ける。
「アリア様」
「はい?」
「メリーゴーランドと、コースターと、遊覧車。どれが一番楽しかったですか?」
なんとなく気になって聞いてみた。
「一番……」
アリア様が真剣な顔になる。
メリーゴーランドを見る。
次にコースター。
最後に、今降りたばかりの遊覧車。
かなり悩んでいる。
七歳の子供にそんな難しい質問をしたつもりはなかったんだけど。
やがて、アリア様が顔を上げた。
「全部です!」
「全部?」
「はい! お馬さんも楽しかったですし、コースターはびっくりしましたけど、もう一回乗りたいです! 遊覧車もお母様と一緒に乗れました!」
迷いのない答えだった。
「……そっか」
思わず笑う。
「それ、一番嬉しい答えかもしれません」
一番を決めてもらいたかったはずなのに、全部と言われた方が嬉しい。
それぞれ違う楽しさがある。
それでいい。
いや、それが遊園地なんだと思う。
◇
しばらくして、アイラ様たちが帰る時間になった。
結局、視察というより本当に遊びに来たような感じになっていた気がする。
でも、アイラ様は乗り物だけではなく、作りや安全の仕組みについても何度か質問していた。
本人としては、最後まで視察だったのだろう。
「雷牙」
「はい?」
馬車へ向かう前、アイラ様が俺を呼び止めた。
「一つ聞いておきたい」
「なんでしょう?」
「君は、これをいつから人に開放するつもりだ?」
「…………」
俺は遊園地を見た。
メリーゴーランド。
コースター。
遊覧車。
乗り物は三つになった。
でも、昨日気づいたばかりだ。
入口もない。
受付もない。
スタッフもいない。
料金だって、まだ決めていない。
「実は……ちょうどそれを考え始めたところなんです」
「そうなのか?」
「はい。乗り物を作ることばっかり考えてて、三つできてから気づいたんですよ」
少し恥ずかしい。
「乗り物があるだけじゃ、遊園地って開けないなって」
「なるほど」
「だから、まだ少し準備が必要です」
「そうか」
アイラ様はそれ以上何も言わなかった。
ただ、もう一度遊園地全体を眺める。
「商業ギルドでは、ここについて話す者が少しずつ増えているそうだ」
「やっぱりですか」
「ああ。ただ、遊園地というものを理解している者は、まだほとんどいないだろう」
それはそうだ。
北門の外で何かを作っている。
変な木の乗り物がある。
小さな車が走っている。
今のところ、街の人たちが知っているとしても、その程度だろう。
「だが、人に開放するつもりなら準備はしておいた方がいい」
「はい」
俺も同じことを考えていた。
入口。
受付。
人手。
ほかにも必要なものは、まだまだある。
「ライガ様」
今度はアリア様に呼ばれた。
「はい?」
馬車へ乗る前のアリア様が、俺を見上げる。
「また来てもいいですか?」
「もちろんです」
ほとんど考えることなく答えた。
「本当ですか?」
「はい。そのころには、もっと遊園地らしくなってるかもしれませんよ」
「もっと?」
「乗り物だって、これで終わりじゃないですから」
「まだ増えるんですか!」
アリア様の顔が一気に明るくなる。
「はい。いっぱい作るつもりです」
「楽しみにしています!」
その言葉を残して、アリア様はエリー様と一緒に馬車へ乗り込んだ。
カミル様も続く。
最後にアイラ様が俺へ軽く頷き、馬車へ乗った。
護衛たちも移動の準備を整える。
やがて馬車が動き始めた。
「…………」
俺はその場に立ったまま、遠ざかっていく一行を見送った。
さっきまで聞こえていたアリア様の楽しそうな声は、もう聞こえない。
遊園地が急に静かになったような気がした。
俺は振り返る。
三つの乗り物がある。
昨日も同じものを見た。
でも、今は少しだけ違って見える。
「……やっぱり、人がいる方がいいな」
乗り物が置いてあるだけじゃない。
誰かが乗って、楽しんで、笑って。
もう一回乗りたいと言ってくれる。
また来たいと言ってくれる。
そういう人がいて、初めて遊園地になるのかもしれない。
「よし」
俺は三つの乗り物を見渡した。
「開園の準備、本気で進めるか」
まだやることは多い。
でも、何を目指せばいいのかは、昨日よりずっとはっきりしていた。
◇
リーベルへ戻る馬車の中でも、アリアの興奮はなかなか収まらなかった。
「お父様、コースターはどうでしたか?」
「先ほども言っただろう。面白かった」
「でも、もう一回は乗りませんでした」
「一度乗れば十分だ」
「わたしはもう一回乗りたいです」
「それは知っている」
馬車が走り始めてからも、アリアは今日乗ったものについて楽しそうに話し続けている。
「メリーゴーランドのお馬さんも楽しかったです。でも、今度は違うお馬さんがいいです」
「全部同じだったでしょう?」
エリーが微笑みながら言う。
「よく見ると違います。わたしが乗った子には、小さな模様がありました」
「あれは木目ではないのか?」
「お父様は分かっていません」
「そうか……」
娘に言い切られ、アイラはそれ以上何も言わなかった。
「それに遊覧車も楽しかったです!」
「そうですね」
エリーが頷く。
「馬がいないのに進むというのは、不思議な感覚でした」
「お母様が動かしたんですよ!」
「私だけの力ではありませんよ」
「でも、お母様がペダルを踏んだら進みました!」
楽しそうに話す二人を、アイラは静かに見ていた。
遊園地。
初めて雷牙からその言葉を聞いたときには、何を作ろうとしているのかすら想像できなかった。
人が遊ぶための場所。
乗り物に乗り、それ自体を楽しむ場所。
説明を聞いても、完全には理解できなかった。
だからこそ興味を持った。
そして今日。
ようやく、その意味が少し分かった気がした。
「父上」
向かいに座るカミルは、先ほどから会話にほとんど加わっていなかった。
窓の外を眺めている。
「なんだ」
「先ほどから、何を考えているのです?」
「……あの土地のことだ」
「遊園地ですか?」
「ああ」
カミルは窓の外を見たまま答えた。
馬車が進むにつれ、遊園地は少しずつ遠ざかっている。
「アイラ」
「はい」
「あの土地を雷牙殿に貸したとき、お前はどこまで考えていた?」
「どこまで、とは?」
「あれが成功した場合のことだ」
アイラは少し考える。
「人が集まる場所になれば、リーベルにも利益があるとは考えていました」
それは、雷牙へ土地を貸すと決めたときから考えていたことだ。
遊園地とやらに人が集まる。
街の外から訪れる者が増えれば、宿を使う者もいる。
食事をする者もいる。
商人にとっても、新しい商売の機会になるかもしれない。
だからこそ、開園前の賃料を抑え、その代わり営業を始めたあとには売上の一部を受け取る形にした。
「成功するかは分かりませんでしたが、領地にとって試す価値はあると判断しました」
「そうか」
カミルが頷く。
「ならば、お前の判断は間違っていなかった」
「ありがとうございます」
「ただし」
そこで初めて、カミルが窓から視線を外した。
「おそらく、お前が考えているより大きくなるぞ」
「……それほどですか?」
アイラは僅かに眉を上げた。
確かに、今日見たものは興味深かった。
実際に自分で乗ってみて、遊園地というものが人を楽しませる場所だということも理解できた。
だが、今はまだ三つの乗り物しかない。
入口すら存在しない。
そんな場所を、父はそこまで高く評価するのか。
「父上は、あの遊園地がそこまで大きくなると考えているのですか?」
「さあな」
意外にも、カミルは首を横に振った。
「未来のことなど、私にも分からん」
「では、なぜ?」
カミルは答える代わりに、隣に座る孫娘へ目を向けた。
「アリア」
「はい、お祖父様?」
「また行きたいか?」
「はい!」
答えるまで、一瞬もかからなかった。
「またコースターに乗りたいです! 遊覧車にも乗りたいですし、メリーゴーランドのお馬さんにも乗りたいです!」
「そうか」
「それに、ライガ様はもっと乗り物を増やすと言っていました!」
アリアは今から楽しみにしているようだった。
カミルは次にエリーを見る。
「エリーはどうだ?」
「私ですか?」
「ああ。また行きたいと思うか?」
エリーは少し考えてから、穏やかに微笑んだ。
「ええ。私も、また訪れてみたいですね」
「私も同じだ」
そう言って、カミルは最後にアイラを見る。
「今日あそこへ行った者の中で、遊園地というものを最初から理解していた者はいたか?」
「……いませんね」
雷牙だけだ。
自分たちは誰も知らなかった。
「私も知らなかった。エリーも、アリアも知らなかった。お前も、雷牙殿から話を聞くまで知らなかった」
「はい」
「それでも、一度行けばまた行きたいと思った」
「…………」
アイラは黙る。
「知らないから人が来ないのではない」
カミルは静かに言った。
「まだ、知られていないだけだ」
アイラはその言葉の意味を考える。
遊園地というものは、この街の人間にとって馴染みがない。
いや、馴染みがないどころか、存在そのものを知らない。
だから今は、誰も遊園地へ行こうとは思わない。
だが、一度知った者が、また行きたいと思うのなら。
その者が誰かに話したら。
商業ギルドの職員がそうだったように。
アリアが今、家族に楽しそうに話しているように。
少しずつ知る者が増えていったら――。
「……なるほど」
「ようやく分かったか」
カミルが僅かに笑う。
「では、先ほどあの土地を見ながら考えていたのは……」
「ああ。乗り物だけを見ていたわけではない」
北門から続く道。
広い土地。
その周辺に残された、まだ何も使われていない場所。
人が集まれば、必要になるものも増える。
道。
馬車を止める場所。
商売をする者。
人の流れそのものが変わる可能性もある。
もちろん、まだ何も決まってはいない。
遊園地そのものがどこまで大きくなるのかも、成功するのかも、今の段階では誰にも分からない。
「遊園地がどこまで大きくなるかは分からん」
カミルはゆっくりと言った。
「だが、人が集まり始めれば、あの土地は今のままではいられん」
アイラは黙って父の言葉を聞く。
「人が増えれば道を使う者も増える。馬車で来る者が増えれば、それを止める場所も必要になる。腹が減れば食事を求め、遠くから来れば宿を求める者も出るだろう」
「はい」
「そこに人が集まる理由ができれば、その周りにも商売をしようとする者が現れる」
長く領地を治めてきたカミルだからこそ、人が集まることで生まれる変化を見ているのだろう。
「何がどう変わるかまでは、私にも分からん。だが、変化そのものは始まる」
カミルはそう言ってから、アイラを見る。
「だから、あの土地の周辺は今後も簡単には手放すな」
「以前、雷牙には、隣接する土地が必要になった場合には優先して相談できるよう取り決めています」
「ならばいい」
カミルは満足そうに頷いた。
そして再び、馬車の窓の外へ目を向ける。
遠ざかっていく草地には、まだ三つの乗り物しかない。
立派な門もない。
大きな建物が並んでいるわけでもない。
街から見れば、北門の外に見慣れないものがいくつか作られただけの場所にすぎない。
「覚えておけ、アイラ」
カミルの声から、それまでの楽しげな響きが少しだけ消えた。
そこにあったのは、長年この土地を治めてきた者の声だった。
「あの土地は、必ず大きく変わる」
「…………」
アイラは父を見た。
しかし、カミルはもうこちらを見ていない。
窓の向こう。
少しずつ小さくなっていく遊園地を眺めている。
「そして、おそらく――」
カミルは静かに笑った。
「変わるのは、あの土地だけではないだろうな」
馬車はそのまま、リーベルへ向かって走り続けた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
視察のはずが、すっかり遊園地を楽しんでいた伯爵一家。
そして、まだ三つの乗り物しかない小さな遊園地に、カミルは何か大きな可能性を感じたようです。
雷牙が思っている以上に、この場所はリーベルにとって大きな存在になっていくのかもしれません。




