閑話その二 雷牙がいた教室
今回も本編を少し離れて、元の世界でのお話です。
家族と過ごしていた家とは別に、ライガには毎日のように通い、友人たちと過ごしていた場所がありました。
今回は、ライガがいなくなったあとの学校を覗いてみます。
放課後を告げるチャイムが鳴ると、それまで静かだった教室が一気に騒がしくなった。
部活へ向かうために急いで荷物をまとめる者もいれば、友達と話しながらのんびり帰り支度をする者もいる。今日の授業が終わった解放感からか、教室のあちこちで笑い声が上がっていた。
いつもと変わらない放課後だった。
「なあ、雷牙。今日――」
鞄に教科書を押し込みながら声をかけて、少年は途中で言葉を止めた。
返事はない。
当たり前だった。
それでも一瞬だけ、本当に返事が来るような気がしてしまった。
「…………」
少年は隣にある机を見た。
そこに、一ノ瀬雷牙はいない。
「……またやった」
後ろから声がした。
「うるせえ」
「もう何回目だよ」
「しょうがねえだろ。ずっと隣だったんだから」
「まあ、そうだけどさ」
話しかけてきたのは、同じクラスの男子生徒だった。
雷牙ともよく一緒にいた友人の一人だ。
二人はしばらく何も言わず、雷牙が座っていた場所を見る。
少し前までなら、そこには当たり前のように雷牙がいた。
授業中に眠そうにしていたり、教師に当てられて慌てて教科書を開いたり、休み時間になるとこちらの席までやってきたり。
そんな光景は、もうない。
「最初の頃よりは減ったんだけどな」
「何が?」
「雷牙に話しかけそうになるの」
「ああ」
「昼休みとか、まだたまにやる」
「俺もこの前やった」
「お前もかよ」
「体育のあと。あいつに飲み物買いに行こうぜって言いそうになった」
「なんだよ。人のこと言えねえじゃん」
「俺は声に出してない」
「同じだろ」
二人でそんなことを言い合っていると、近くで帰り支度をしていた女子生徒が呆れたように振り返った。
「何の勝負してるのよ」
「こいつが俺のこと馬鹿にしてきた」
「してねえよ」
「どっちでもいいけど、まだやってるんだ」
「お前はないの?」
「あるけど」
「あるんじゃねえか」
「私は口に出してないから」
「お前もそいつと同じこと言うのかよ」
三人の間に、小さな笑いが起きた。
以前なら、ここでもう一人笑っていた。
あるいは「俺を勝手に話題にすんなよ」とでも言っていただろうか。
そんな雷牙の声まで想像できてしまう。
それが少しだけ寂しかった。
「帰るか」
「そうだな」
少年が鞄を肩に掛ける。
そのとき、女子生徒がスマートフォンを見ながら「あ」と声を上げた。
「そういえば、これ」
「何?」
「今度できるやつ」
画面をこちらへ向ける。
そこに表示されていたのは、ある遊園地の広告だった。
大きなジェットコースターの写真とともに、新しいアトラクションの開業を知らせる文字が並んでいる。
それを見た瞬間、二人の男子も「ああ」と声を漏らした。
「これか」
「雷牙が言ってたやつじゃん」
「そう。それ」
雷牙が亡くなる少し前まで、何度も話題にしていた。
新しくできるジェットコースター。
国内でもかなり大きなものになるらしく、雷牙は情報が発表されるたびに楽しそうに話していた。
『これ絶対乗りに行こうぜ』
そんなことを言われた記憶がある。
「俺たち、勝手に行くことにされてたよな」
「されてた」
「俺、まだ行くって返事してなかったんだけど」
「関係ないだろ。雷牙の中では決定事項だったんだから」
「そうなのよね。『いつ空いてる?』から始まったもの」
「『行く?』じゃないんだよな」
「最初から行く前提」
思い出すと、いかにも雷牙らしかった。
遊園地の話になると、普段より明らかに行動が早くなる。
まだ誰も予定を確認していないのに、候補日をいくつも出してくる。
交通費を調べる。
開園時間を調べる。
混みそうな日まで気にする。
そのくせ、学校の提出物は締め切り前日になって慌てることがあった。
「遊園地に使ってる計画性を、もうちょっと学校生活にも使えばよかったのにな」
「ほんとそれ」
「この前の数学の課題もギリギリだったでしょ」
「俺、見せてくれって頼まれたぞ」
「見せたの?」
「見せるわけねえだろ。答え合わせならいいって言った」
「真面目だな」
「雷牙にも言われた」
「なんて?」
「『そこは友達だろ』って」
「言いそう」
三人がまた笑った。
笑ってから、誰からともなく少しだけ黙る。
雷牙が亡くなった直後は、こんなふうに話すことすら難しかった。
名前を出せば空気が重くなる。
楽しかった話をしていいのかさえ分からない。
でも、最近になってようやく、少しずつ変わってきた。
雷牙のことを思い出して笑う。
それが悪いことではないと思えるようになってきた。
「そういやさ」
一人がスマートフォンの画面を見ながら言った。
「俺たち、前にこことは別の遊園地行ったじゃん」
「去年?」
「そう」
「暑かったところ?」
「夏に行ったんだから当たり前だろ」
「違うって。異常に暑かったじゃん。雷牙が朝から閉園までいるとか言い出した日」
「ああ!」
その一言で、三人とも思い出した。
四人で遊園地へ行った日のことを。
あの日も雷牙は朝から元気だった。
開園前から入口に並び、入った途端に園内地図を広げていた。
最初に人気のジェットコースターへ向かったところまでは、全員の意見が一致していた。
問題はそのあとだった。
『次、こっちな』
『またジェットコースター?』
『違う。お化け屋敷』
『俺パス』
『なんでだよ』
『怖いから』
『ジェットコースター乗れるのに!?』
『それとこれとは別だろ!』
結局、嫌がる一人を三人で引っ張っていった。
出てきたときには、その一人だけが疲れ切った顔をしていて、雷牙は腹を抱えて笑っていた。
昼になれば、雷牙が事前に調べていた店へ行った。
午後には別のアトラクションへ乗り、途中でショーを見て、屋台の食べ物まで買った。
そして夕方。
全員がそろそろ帰ってもいいと思い始めた頃、雷牙だけはまだ園内地図を見ていた。
『次、観覧車行こうぜ』
『まだ乗るの?』
『まだって、観覧車乗ってないじゃん』
『俺たち今日ジェットコースター乗りに来たんじゃなかったのか?』
『それも目的の一つだけど』
『じゃあもう乗ったじゃん』
そう言うと、雷牙は本気で不思議そうな顔をした。
『せっかく遊園地に来たのに、ジェットコースターだけ乗って帰ったらもったいないだろ』
『もう十分遊んだって』
『まだ見てないところあるぞ』
『全部回る気かよ』
『できるだけ』
『マジかこいつ』
そんな会話をした。
結局、雷牙に押し切られて観覧車にも乗った。
さらにそのあとゲームコーナーへ寄り、最後には全員で土産物屋まで見て回った。
帰りの電車では、雷牙以外の三人がぐったりしていた。
『疲れた……』
『歩きすぎ』
『足痛い』
『楽しかっただろ?』
『お前だけ元気なのなんなんだよ』
そんな文句を言いながらも、結局は楽しかった。
翌日の学校でまた遊園地の話をしたくらいには。
「あいつ、本当に全部回ろうとしてたよな」
「俺、途中からこいつについていくの無理だと思った」
「私も」
「でもお前ら、最後までいたじゃん」
「雷牙が帰らせてくれなかったから」
「それはある」
三人とも笑った。
「でもさ」
一人が机へ腰を預けながら言った。
「あいつ、ジェットコースターが一番好きだったんじゃないの?」
「たぶんな」
「なのに観覧車とかショーとか、やたら行きたがってたよな」
「遊園地そのものが好きだったんじゃない?」
女子生徒が言った。
「アトラクションだけじゃなくて」
「ああ……」
「食べ物とか、パレードとか、店とかもよく見てたし」
「写真もめっちゃ撮ってた」
「そうそう。意味分かんないところ撮るのよね」
「意味分かんないところ?」
「入口とか看板とか」
「あー」
「あと建物」
「撮ってたな」
何に使うのかと聞いたこともある。
そのとき雷牙は、
『別に。なんかいいじゃん』
としか答えなかった。
本人にも大した理由はなかったのだろう。
綺麗だったから。
面白かったから。
気になったから。
たぶん、その程度だ。
「スマホ、写真だらけだったんじゃね?」
「絶対そう」
「遊園地だけで何枚あるんだろ」
「数えたくないな」
また少し笑った。
雷牙がそこにいないことを忘れたわけではない。
それでも、話している間だけは、すぐ近くにいるような気がする。
そんな時間だった。
「お前ら、まだ残ってたのか」
突然、教室の前から声をかけられた。
三人が振り返る。
そこには担任教師が立っていた。
「あ、先生」
「もう帰れよ。用事がないなら」
「今帰るところです」
「さっきからそう言ってないか?」
「気のせいです」
「まったく……」
担任は呆れた顔をしながら教室へ入ってくる。
そして三人の近くまで来たところで、机の上に置かれたスマートフォンが目に入ったらしい。
「遊園地か?」
「はい。今度、新しいのができるらしくて」
「ああ」
教師は一瞬だけ画面を見た。
それから、雷牙が座っていた場所へ視線を向ける。
「一ノ瀬が好きそうだな」
三人が少し驚いた。
「先生、知ってたんですか?」
「何をだ?」
「雷牙が遊園地好きなの」
「知ってるも何も、あれだけ話していれば嫌でも分かる」
「先生にも話してたのかよ、あいつ」
「進路の話をしている最中にな」
「なんで進路相談で遊園地の話になるんですか?」
「私が聞きたい」
担任はため息をついた。
けれど、その表情はどこか懐かしそうだった。
「一ノ瀬、進路どうするつもりだったんですか?」
友人の一人が尋ねる。
「それを本人に決めさせるのが進路指導だ」
「決まってなかったんですか?」
「少なくとも、私と最後に話したときにはな」
「へえ」
意外なような、そうでもないような気がした。
雷牙は遊園地が好きだった。
でも、将来そこで働きたいと言っているのを聞いたことはない。
「遊園地で働けばよかったのにな」
一人が言った。
「あ、それ俺も言ったことある」
「マジ?」
「うん」
「なんて言ってた?」
聞かれた少年は少し考えてから、当時の会話を思い出した。
『お前、そんな遊園地好きなら、将来遊園地で働けば?』
昼休みだったと思う。
パンを食べながら何気なく言っただけだった。
雷牙は少し考えたあと、
『いや、遊びに行くのと働くのは別だろ』
と答えた。
『なんだよそれ』
『好きな場所だからって、そこで働きたいとは限らなくない?』
『じゃあ将来何すんの?』
『それが決まってたら苦労してない』
『知らねえよ』
『俺も知らねえよ』
そんな、どうでもいい会話だった。
「『遊びに行くのと働くのは別だろ』だって」
「妙なところ現実的だな」
「そのくせ進路決まってなかったのか」
「決まってないから言ったんだろ」
「一ノ瀬らしいと言えば、一ノ瀬らしいな」
担任がそう言った。
少年は、もう一度隣の席を見る。
もし雷牙が今もここにいたら。
そのうち進路を決めていたのだろうか。
大学へ行ったのか。
就職したのか。
本当に遊園地で働くことだってあったかもしれない。
それとも、まったく関係のない仕事を選んで、休みの日になるたび遊園地へ出かけていたのかもしれない。
もう、それを知ることはできない。
「ほら。そろそろ帰れ」
担任の声で、少年は我に返った。
「はーい」
「返事だけはいいな」
三人はようやく鞄を持った。
教室を出ようとしたところで、女子生徒がスマートフォンを見ながら立ち止まる。
「ねえ」
「何?」
「これ、オープンしたらどうする?」
画面には、さっき見ていた新しいジェットコースターの広告が表示されたままだ。
「どうするって?」
「行く?」
二人の男子は顔を見合わせた。
「俺たちで?」
「そう」
「三人で?」
「嫌なら別にいいけど」
「いや、嫌じゃないけど……」
一人が頭を掻く。
雷牙がいないのに行く。
そう考えると、少しだけ変な感じがした。
あれだけ本人が楽しみにしていた場所へ、自分たちだけで行く。
「……行くか」
少年が言った。
「いいの?」
「いいだろ。雷牙が勝手に俺たちも行くことにしてたんだし」
「まあ、そうだけど」
「それに……」
そこまで言って、少年は一度言葉を止めた。
頭に浮かんだのは、いつだったか四人で遊園地へ行ったときの写真だった。
帰り際、入口の前で撮った一枚。
疲れ切っている自分たちの真ん中で、雷牙だけがまだ遊び足りないとでも言いたげに笑っていた。
「あいつの写真も持っていこうぜ」
「写真?」
「うん。せっかくあいつが楽しみにしてたんだし」
もう一人の男子が少しだけ目を見開き、それから笑った。
「それ、いいな」
「でしょ?」
女子生徒も頷く。
「じゃあ四人で行くってことで」
「……四人か」
「何よ」
「いや」
少年も少しだけ笑った。
「それでいいな」
やがて、放課後の教室には誰もいなくなった。
夕方の光が窓から差し込み、並んだ机の上を照らしている。
その中には、一ノ瀬雷牙が使っていた机もあった。
将来何をするのか。
どんな大人になるのか。
その答えを見つけるより先に、雷牙はこの教室からいなくなった。
友人たちも、その答えを知ることはない。
ただ、彼らがよく知っていたことが一つだけある。
一ノ瀬雷牙は、遊園地が大好きだった。
それだけは、誰に聞かなくても分かることだった。
お読みいただきありがとうございます!
今回は前回の家族編に続いて、ライガがいなくなったあとの学校と、友人たちのお話でした。
異世界では遊園地を作るために動き続けているライガですが、元の世界ではごく普通の高校生として、友人たちとくだらない話をしたり、一緒に遊園地へ出かけたりしていました。
そして当時のライガは、将来自分が何をするのかもまだ決めていませんでした。
「遊びに行くのと働くのは別だろ」
そんなことを言っていたライガが、今では自分の手で遊園地を作ろうとしているのですから、人生は分からないものです。
家族や友人たちは、異世界でライガが何をしているのか知りません。
それでも、彼らの記憶の中には、遊園地が大好きだった一ノ瀬雷牙が残っています。
続きも楽しんでいただけたら嬉しいです!




