沙苗の出迎え3
「自宅は真っ直ぐでしょう」
彼女はハンドルを持って前を見たまま意味ありげに微笑んだ。
「その前に訊きたいことがあるの」
今更なにを聞くというのだ。
「弟はあなたを羨ましがってるのよ」
三千メートルを超える世界は、下界の鬱陶しい暑さから逃れられる身分に、石塚は嫉妬していた。越村にすればそんなご身分ではない。ひとときの天空を求める登山客とは違う。天候次第でヘリの搬送が滞れば、人海戦術で自分の体重近い荷物を運ばないといけない。しかも普通でない生活に二ヶ月も堪える精神力も要求される。平行移動しか好まない石塚の嫉妬はお門違いだ。
「そりゃあ解るわよ野外活動が苦手なのは。でも電話では、それでもあなたがその澤村さんを紹介したのでしょう」
今回のことで沙苗さんは、弟の石塚祐司と言う男について、親身になってくれるのは、此の人以外にはいないとつくづく思ったようだ。
「まあそうですが」
彼女の期待の深さを胸に感じながらも適当に返事をした。その謙虚さが既に好印象にまで昂揚している。軽やかになったハンドルさばきで読み取れた。
「それで穂高でのあなたの活躍に報いたいの。お昼をご馳走するわ」
「そこまでしてもらわなくても」
今回の石塚祐司の一件で、家族より店の者から口には出さないが、相当のやっかみを父は肌で感じていた。なんせ数人の社員の有限会社で、ひと月でもう既に五十万以上の金が放蕩息子に流れれば、社員の不満も溜まって当たり前だ。
「父はホテルの昼食に招待しろって言ってたけど、越村さんはそんな堅苦しい所で食べたくないでしょう。北山通にちょっと凝った料理を出してくれるお店を知ってるの」
「しかしまだ期待するのは禁物で、ひょっとして今頃はユニバーサルに行くどころか喧嘩別れしてるかもしれませんよう」
あの出不精で、とくに野外活動には苦手というより尻込みする弟が、京の秘境と呼ばれる原生林に二回も踏み込めば、それだけで父は満足している。
「最初に金を無心された時に、ほっとけば帰って来るのに、無視して送金させたのはお父さんですから。それで内心では一番ホッとしているのよ」
ホッとしているのは越村かも知れない。なんせ会わぬ先から、沙苗さんのお父さんに好感を持たれたからだ。




