来客の頼み3
「ここのかやぶきの里もいいですけど。見た目は田舎の風景で、郷愁こそ湧いても原生林の森の方が眼の捉え方が違ったでしょう」
「そう言われても、俺には足腰の苦痛以外には何も解らんかった」
「半日歩いただけでしょう。しかも高低差のない平らな道を、そんなのひと晩寝れば吹っ飛ぶわよ」
「そうだ、俺たちは日の出から日の入り前まで、峻険な急斜面の境目のような岩場を歩き通してテントで横になって。また翌日も岩場の続く数百メートルの高低差を歩いて次の山頂を目指す。それが三、四日も彼女も俺も歩いてきたんだ」
そうだなあー。と言いながらもビールを呑むだけだ。おそらく石塚にすれば、昨日は生まれて初めて歩いた大冒険なんだろう。
「行かないのなら、あたし明日直ぐ帰るわよ」
「エッ、もう帰るの」
「だってここの集落は一時間もあれば見て回れるでしょう。その後どうするの」
「もっとゆっくりすればいいだろう。せっかく来たんだから……」
「だから来た以上はもっと別なものを見たいのよ。昔から植樹の盛んなこの国で未だに残っている原生林なんて、そんじょそこらにはないもの。それに比べて江戸時代の町並みは結構残ってる」
「岐阜の白川郷もそうだが……。じゃあ行くにしてもガイドが要る。どうなんだ。なんせあそこ道がなかったぞ」
往生際の悪いやつだ。
「あの長治谷小屋からさきは芦生の山の家に申し込めばガイドが案内してくれる。二日連続はきついかも知れないが菅原さんに訊いてみる。あの人がいれば原生林の森で道に迷うことはない。話は決まった。訊いて来る」
「オイオイ、待て。俺はまだ何も言ってないぞ」
席を外した越村の背中に言ったが、彼は無視した。澤村は口を覆って笑ったが、石塚は笑い事ではない。
「だって越村さんは、もの凄く真剣な顔して頼みに行くんですもの」
対応に迷う石塚に「さあ吉報を待ちましょ」とビールを注がれた。この場合二人の吉報は正反対だ。




