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穂高連峰1

梅雨明けの安定した天候に恵まれて予定通り着いた。大雨が降ると水のない沢筋まで濁流に包まれると行けなくなる。電車やバスに乗っているあいだは、石塚との議論が頭に浮かぶが、新穂高の登山口からは黙々と歩き続ける。雄大な自然に触れれば恋も仕事も此の景色が心の片隅に追いやってくれる。北アルプスの稜線に立つと浮き世の全てが遠い彼方へ飛んで、常に滑落の危険と隣り合わせなのだ。

 山荘の主人に到着を告げると温かく迎えてくれた。なんせみんなが尻込みする、三千メートルの頂上近くにある山小屋だ。ここまで登って来る通勤が大変なんだ。給料に差はないが、みんな登りやすい中腹の山荘に行く。此処まで来る連中はあの槍ヶ岳に魅せられた者たちで越村もその一人だ。

 山荘には彼を含めて十五人のスタッフが居る。仕事は部屋の掃除や、山荘の場所柄痛みが激しい箇所の修理。一番大変なのは宿泊客に提供している食糧だ。これはまとめてヘリで運んでくるが、山荘付近が霧に包まれヘリが中々来られない場合、歩荷《ぼっか》だ。これは各自が背負子《しょいこ》に積んで人海戦術で三千メートルまで運ぶ。これが一番きつい仕事でもバイトの連中は根性が座って中途半端じゃない。彼らは一切の娯楽も人間社会の喧騒にも囚われずに、天空に聳《そび》える槍ヶ岳三千百八十メートル直下の無の世界で働く。自分自身をとことん磨き上げるには持ってこいの世界だ。心が閉ざされて自分を見失ったつらい時こそ、こう謂うスキルアップが必要なんだ。人生観が変わる。石塚にすれば心の視野が広がるのは請け合いだが、彼奴《あいつ》は死ぬまで興味のない物には体力を使わない温存策を取ってる。そんな石塚と別れてほぼ丸一日掛けて到着した山荘で落ち着くと彼奴を散々貶した。登山口から樹林帯を抜けて、いよいよ岩ばかりの山岳ルートに入れば、彼奴を貶す余裕なんてない。石塚のように上りきったコンドラの頂点で満足すればどんなに楽だろうと後悔の念に囚われる。これでは彼奴をバカに出来んが、喉もと過ぎれば何《なん》とかで、着けば直ぐにまた石塚を批判した。翌日から仕事が始まれば石塚の事など構ってられない。全て自給自足の山荘では、何から何まで此処に居るスタッフで処理しなければならない。故障しても電気屋や水道業者を呼んではいられない。何《なん》とか自分達で不都合な箇所を見付けて直さないといけない。


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