深山常弱6
どうやら住職は寺を軌道に乗せる方策が尽きてもここを離れられずに、にっちもさっちも行かず憂さ晴らしに今日は誘ったようだ。そんな心境を石塚は今まで知らずに仁徳を聞かされていたのだ。今日もそのつもりで、越村を見て尚更に受けの良い話をするつもりが、越村の槍ヶ岳の話に心が引き摺られて石塚のようにはいかなかった。
「奥さんに任すなんて、それでは虫が良すぎる」
掛川はここに桃源郷を見ても、住職は女将が間違えた自分の名前すら、そのまま受け容れるほど、軟弱な心を酒に紛らわして嘆いていた。
「それで、帰れなくなったんですか」
此の人は酒が入るとあの温情の籠もった喋り方までなくして、己自身は救いを求める求道者に成り果てている。今日まで住職と交友を温めた石塚も弱り果ている。学生の身分と先生の立場では、集落の受け止め方がこうも違う。越村は益々沙苗さんへ報告を間違えずに伝えるには至難になった。
「取り敢えず、常寂さんはここを一刻も早く離れた方がいいですよ」
「その勧告は遅い、遅すぎるんだッ」
酒の勢いをこんな処で出すなと言いたいが、槍ヶ岳よりも厳しい悟りを克服した人になんと言えばいいのか。
「わしはさっきのあんたの槍ヶ岳から穂高連峰を縦走する話に気持ちがすっかり変わった」
どうやら住職は今夜でこの宿を離れる決意をしたようだ。どうせならパッと華やかに去りたいのだろう。だがその気持ちはとうとうこの席では話さなかった。今更ながらおこがましくて言いづらいのだろう。石塚には常寂の何処がみっともないのか理解出来てない。
ここでも桃源郷を見付けた掛川と、その逆に桃源郷に釘付けになり帰れずにいる住職の見極めが出来ないのが、石塚の逗留の原因だ。
住職をここまで引き摺ったのは、ひとえに石塚が住職を持ち上げ過ぎて、それに住職が溺れた。石塚にそれを警告するには、どうすればいいのか、沙苗さんへの報告に更に頭を痛めた。




