掛川寛人・1
彼はたいしたものは描いていない。心に思うことを絵にするだけでは味気ない。ほとんどの画家がそうなんだ。生前のたわいもない絵に興味を示した連中が、画家が死ぬと金づるのように彼の作品を高評価して、焼却炉行きを免れた多くの作品に、ありもしない付加価値を付けて売り出す。後は売れなかった生前の絵が、彼の死と引き換えにバカ売れすれば悲劇と思わないか。絵の価値なんてそんなもんさ。大衆には判らない一部の人がその価値に火を点けて、群集心理を巧みに操れば、大衆はこぞってその絵を絶賛する。絵の価値は観る人が決めるもので、噂で決めるものじゃあない。生前は画家の強い個性で遠ざけている作品は、死ぬのを待って売り出せばいいだけの話さ。
これが彼を知る石塚の批評だ。どこまで核心を突いているか解らないがそれを払拭するには、掛川が描いた絵を見れば石塚の入れ込みようが解る。しいては長期滞在の原因も掴める。
「絵は自宅にあるんですか? まさかあの旅館に置いているんですか」
「此処で描いた絵だけは此処に数点ある」
「どれだけここに居るんです」
「さあ、二週間か二十日ぐらいだろう」
「で数点ですか?」
「何日かおきに彼女が切れた絵の具を届けて、帰りに出来た絵を持って帰るのさ」
「その人は篠さんとか言う人だ」
「石塚はその人に会ったのか?」
「ああ、二、三回」
「どんな人なんだ?」
「別に普通の人で、どっちか言うと無口な人だなあ」
「あいつは人前に出るのが苦手な女なんだ」
「そうかなあ。でもその女のお陰で此処に居て絵に専念出来るんだろう」
取り敢えず掛川さんの絵を見ないと何とも言えんし、石塚も冷静に分析しているようだ。
腹ごしらえが終わるとやっと此処の風景が心地よく見えだした。此処では珈琲でなく緑茶で食後の喉を潤した。掛川もさっきのそば同様に、美味そうに湯飲み茶碗を両手で抱えて緑茶を飲んでいる。越村にはそんな掛川が年寄り臭く見えた。




