さらば穂高3
親戚のおじさんは、人の一生なんで知れてるが信州の山々は、何百万年の造山運動で我々人類に見せつけるために作り出した造形美だ。これを見ずして死ねるか、ただその一語に尽きる。信州の山はまさに一期一会のように滅多にお目に掛かれない景色を見せてくれる。何か訳の判らない話を熱っぽく聞いているうちに、彼女の面影と重なってしまった。それでおじさんの話を聞くうちに、君は一期一会の人なんだと彼女に言った。バッカ、そんな太古のままの山と一緒にしないでと言われた。
「それで嫌われたのか」
「そうでもないけど、何となく変な人だと察して、それで去年の春に彼女は消えてしまったんです」
「本当につまらない山男らしからぬ動機だなあ」
「何がです?」
「失恋が動機では参考にならない。じつは俺が毎年夏休みに山小屋にバイトに来るようになったのは、同じ大学に居る友人の思考を広げるために、どうしても此処から見える此の世界を見せてやりたからだ」
ついに二杯目の生ビールを呑みながら、眼前の言い尽くせぬ風景に舌鼓を打った。ひと口では言い表せないこの景色をどう説明すればいいか、我ながら表現力の乏しさに頭を痛めた。
「簡単です。一緒に登ればいいんです」
「そう簡単に言うな。それが通じる相手ならとうに一緒に来ている」
今まで山で会った人に声を掛けても、ここに来て見てもらうのが一番だと言われた。今年も答えを出してくれる人に巡り会わなかった、と越村は意気消沈した。
「今年もこの最高のビヤガーデンで乾杯して下山するか」
此の雄大な景色は、彼の失恋までも吹っ飛ばしてくれるのかとジョッキを合わせた。
此処から二人は下山する方角が違った。越村は岐阜県側の沢沿いに、行きしなと同じ新穂高の登山口に下りる。小淵沢伸也は、長野県側の沢沿いに上高地へ下りる。そこからはどちらも歩く必要はなく、バスと電車を乗り継いで、茅ヶ崎と京都へ帰った。




