穂高羨望12
「出会ってから奈弥ちゃんとは此の一年、数え切れないほどのメールを交わしているのに、今日みたいな話は初めて」
いつも、どうでもいいメールをしていたのかしら、と彼女は気落ちした。如何したものかとこっちも滅入ると、いきなり生ビールが呑みたいと言い出して驚いた。一転してそんな表情をされると、訳もなく同意して越村は売店に行った。
「ようッ、今年も来てくれたか」
と去年も居た若い男が、ジョッキに生ビールを注いでくれた。
「上手くなりましたね」
やはり三千メートルの山小屋だ。気圧が低くて地上とは少し加減しないとビールが一気に溢れてしまう。
「此処では当たり前のように空気を吸っていても、下とは違うんですよね」
その内に三千メートルの空気入り穂高の缶が発売されれば、この空気を求めて登って来る者には最悪だと二人は笑った。
響子さんが待つ張り出したカウンター席に座ると「今年も頑張ろうー、それと此の景色に乾杯ー」と二つジョッキを合わせた。ついでにエイのひれをつまみに買ってきた。
三千メートルの山と、棚引く雲を眼下にして呑む生ビールは、此処でしか味わえない。高山になれた胃に下界の炭酸が、一気に胃袋に広がり、いつもと満足度が違った。
二人はその日のうちに穂槍山荘に戻り、響子さんとはまた仕事場でよろしくと別れた。受け付けで小淵沢伸也が迎えてくれた。
「どうでした今年の北穂高岳は」
「太古のままだ」
下界があれほど目まぐるしく変わっても、此処は変わりようがない。
「小淵沢くんもこの絶景をどう説明していいか迷ってる」
この世に不変の世界の存在を石塚に教えるには如何したものかと共通点を探った。
「彼奴は死ぬまで無理だ」
石塚と同じ病か。
「そいつは酒は呑むのか?」
「ビールが好きでね」
「それは良い。三千メートルで呑む生ビールを宣伝しろ。あれは良いぞ」
「北穂で呑んだんですか」
「今年最初の北穂高の生ビールだ。今年も彼奴が居て上手く入れてくれた」
いいですね。今度休暇が合えば、北穂高岳小屋のあの展望テラスで呑みましょう、と誘ってくれた。




