沙苗さんの想い5
「沙苗さん」
はい? 急に何なのと声を張り上げた。
「なんせこの大勢の人で声が掻き消されそうで」
「あたしも此の人波に揉まれて、でもあなたの顔は直ぐそばにあるのよ」
「何で沙苗さんは天神さんの縁日に行く気になったんですか」
「弟がこうしてピッタリとくっ付いて歩いたと聞かされたからよ」
楽しい思いをしているのは沙苗さんも一緒だ。彼は握った手を肩に廻して引き寄せた。彼女も小首を傾げて肩に乗せてきた。沙苗さんとこれだけ触れ合ったのは今日が初めてだ。なんせいつも車の助手席で運転する沙苗さんとは、真面に顔も合わせられない。そりゃそうだ脇見運転は厳禁だ。車を降りてもあの少ない参拝者の寺では手も握れなかった。物足りなかったのは越村だけでなく沙苗さんもだった。そうなると俄然勇気が湧いてくる。
「そりゃあそうでしょう。向こうは弘法さんだけあって活気がある。此処の屋台は黙々とたこ焼きや焼きそば焼いて、呼び込みはやってない。向こうは『さあいらっしゃい、いらっしゃい』と言葉を掛けながら焼いてる。そこも菅原道真と弘法さんの違いかもしれん」
「なるほど坊さんらしく言葉に張りが出るのね。一方の官僚は黙々と書物の写しや整理をやってるのか。それはそうと車の免許はいつ取るの?」
「夏休みは無理だからちょこちょこ通って取ろう思うけど」
「詰めていった方が上達が早いのに、資金難なの」
「いや、それは何とかなる。夏山のバイトで蓄えてるから」
そうかバイトに明け暮れて、教習所に行く時間が少ないのか。
本当は四回生になって就職活動の合間に教習所に行くつもりが、沙苗さんの運転に魅了されたのだ。
「いつか沙苗さんの車をかっこよく運転したいんです」
あたしの車を。この人はマイカーを買う予定はないのか。よく考えれば無理もない、単位すれすれでバイトに明け暮れてる人なんだ。
「ええよ。早う運転する姿が見たいわ」
「その時は沙苗さんを助手席に乗せてぶっ飛ばします」




