第6話:【初出勤】謎ヒーロー捜索会議に本人参加と、立体音響で流される黒歴史
大手VTuber事務所『ステラライブ』本社会議室。
そこに、世界で最も居心地の悪そうな顔をした成人男性が一人、ポツンと座っていた。
俺だ。
黒瀬玲司、二十三歳。
姉に無職だと思われているAランク探索者。
そして昨日、配信事故に乱入して「ヒーロー見参ッ!」などと絶叫し、ネット上でヒーロー見参ニキとして爆誕してしまった男である。
今の俺は、いつも通りパーカーのジッパーを喉仏の限界まで引き上げている。
できれば鼻まで上げたい。
もっと言えば、顔面ごと収納したい。
だが、パーカーにそこまでの性能はない。
開発してくれ、誰か。
「みんな、お待たせ!」
隣に座っていた姉貴――黒瀬遥香、配信者名・星宮ハルカが、無駄に元気よく手を上げた。
昨日、エリアボスに襲われて死にかけた女とは思えないテンションである。
さすが人気VTuber。
メンタルが強い。
いや、単に切り替えが早いだけかもしれない。
姉貴は俺の肩をバシバシ叩きながら、会議室に集まった社長、チーフマネージャー、安全管理スタッフたちへ向かって胸を張った。
「紹介します! 我が家のリビングで毎日プロテイン飲んでスクワットしてる無職の弟、黒瀬玲司です!」
「紹介の仕方」
「社会復帰のために連れてきました!」
「社会には出てる」
「職場は言えないそうです!」
「補足するな」
「身体だけは仕上がってます!」
「もっと補足するな」
会議室の視線が、俺の上半身に集まった。
やめろ。
初対面の社会人たちが、弟の胸板を見るな。
この会社はコンプライアンス研修をしているのか。
俺はジッパーをさらに上げようとした。
もう限界まで上がっていた。
ジッパーが小さく悲鳴を上げた。
「なるほど。星宮さんの弟さんですか」
チーフマネージャーらしき眼鏡の男性が、真面目な顔で頷く。
「昨日の件もありますし、身内で信頼できる補助スタッフがいるのは助かります」
「補助スタッフではないです」
「短期で大丈夫です」
「期間の問題ではないです」
「玲司、社会人の会話を邪魔しない」
「俺の雇用の話だろ」
姉貴は俺を完全に無視した。
強い。
この人、ダンジョンでは方向音痴なのに、弟を社会へ引きずり出すルートだけは絶対に間違えない。
「まあ、まずは例の件の会議を始めましょう」
眼鏡のチーフマネージャーがそう言うと、会議室の照明が落ちた。
正面の巨大モニターが起動する。
俺は少しだけ嫌な予感がした。
少しだけ、というか、全身の毛穴が警報を鳴らしていた。
次の瞬間。
大画面に映し出されたのは、黒銀の密着型ヒーロースーツをまとった男だった。
俺だ。
会議室の空気が一瞬変わった。
全員がモニターを見ている。
俺だけが正面を向けなかった。
『助けを呼ぶ声があるなら――』
無駄にエコーの効いたイケメンボイスが、会議室の高性能スピーカーから流れる。
やめろ。
やめてくれ。
高音質で流すな。
無駄に音響設備がいい。
VTuber事務所の本気を、こんなところで発揮しないでほしい。
『闇を裂き、光を纏いて、今ここに――』
「音声カットしてもらえませんか」
俺は思わず言った。
チーフマネージャーが真面目に首を振る。
「いえ、この名乗りにも能力発動時の特徴がある可能性があります。重要な分析対象です」
「重要じゃないです」
「玲司、静かに」
「姉貴はこの映像を平気で見られるのか?」
「うん。だって面白いし」
「助けた人間への敬意は?」
「感謝はしてるよ。面白いだけで」
面白いだけで俺の命は削られる。
画面の中の俺が、片手を腰に当て、もう片方の手を天に突き上げる。
完璧なポーズ。
完璧な角度。
完璧なクソダサさ。
そして最後の一言。
『ヒーロー見参ッ!』
会議室に、俺の黒歴史が響き渡った。
四方八方から。
立体音響で。
逃げ場がない。
俺は魂を半分くらい口から出しかけた。
「こちらが現在ネット上でヒーロー見参ニキと呼ばれている、正体不明の救助者です」
チーフマネージャーがレーザーポインターを構えた。
画面の俺の肩を指す。
「まず注目すべきは、この肩と背中の使い方です」
やめろ。
「岩盤落下に対し、拳で破砕する瞬間、上半身の軸が一切ブレていません」
そこを分析するな。
「さらに、星宮を抱えた際の姿勢保持。頸部への揺れを抑え、呼吸を妨げない角度で搬送しています」
そこは見ていい。
むしろ見てほしい。
だが、俺の映像でやらないでほしい。
「そして、このスーツです」
やめろ。
そこはやめろ。
チーフマネージャーは、レーザーポインターで画面の胸部から腹部へ線を引いた。
「極めて密着度が高い。通常の防具では隠れてしまう筋肉の収縮が、ほぼそのまま視認できます」
「やめませんか、この会議」
俺は言った。
社長が首を傾げる。
「どうして?」
「個人の尊厳に関わる気がします」
「本人ではない君が心配することではないでしょう」
本人なんです。
喉元まで出かかった。
だが、飲み込んだ。
ここで言ったら全部終わる。
姉に無職扱いされる日々も、隠れAランク探索者生活も、社会的尊厳も、ヒーロー見参ニキではない一般男性としての最後の砦も、全部終わる。
俺はパーカーのフードを深くかぶった。
これ以上できる防御はない。
会議は続く。
社長は四十代くらいの女性で、スーツ姿が妙に似合う武闘派っぽい雰囲気の人だった。
目が鋭い。
たぶんこの人、若い頃に何かしら戦っている。
業界とか、権力とか、もしくは物理的にモンスターとか。
社長は腕を組み、画面の俺をまじまじと見つめた。
「見事なフィジカルね」
やめろ。
「見てください。この岩盤を砕いた瞬間の胸郭の使い方。拳だけで殴っているのではなく、足裏から腰、背中、肩、拳まで力がきれいに通っている」
そこは正しい。
正しいが、黙っていてほしい。
「体脂肪率はかなり低い。だが、見せるための筋肉ではなく、現場で鍛えられた実戦的な身体ね」
俺は少しだけ顔を上げた。
この社長、見る目がある。
そうだ。
そこだ。
俺の身体は見世物ではない。
ダンジョンで生き残るために作った道具だ。
誰かを抱えて逃げるための腕で、落石を砕くための拳で、崩れた足場を蹴るための脚だ。
その評価なら、まあ、まだ耐えられる。
社長は続けた。
「それにしても、スーツ越しでもスタイルがいいわ」
耐えられなかった。
俺は再びフードを深くかぶった。
耐久値が一瞬でゼロになった。
「いやー、本当にすごいですよね!」
ここで姉貴が、最悪のタイミングで会議に参戦した。
「動きはガチのプロなのに、名乗りとポーズが致命的にダサくて!」
「星宮さん」
チーフマネージャーがたしなめる。
「失礼ですよ。命の恩人です」
「感謝はしてます! めちゃくちゃしてます! でも『闇を裂き、光を纏いて』ですよ? あれは反則じゃないですか? 助けられた瞬間、怖いのにちょっと笑いそうになりましたもん」
「笑うな」
俺は低く言った。
姉貴がこちらを見る。
「玲司、なんであんたが怒るの?」
「一般論だ。命の恩人を笑うのはよくない」
「でも昨日、あんた切り抜き見ながら『台詞が古い』って言ってなかった?」
「言ってない」
「毛布の中で聞こえたよ」
「幻聴だ」
「弟の幻聴が具体的すぎる」
まずい。
昨日、毛布の中で思ったより叫んでいたらしい。
防音対策を考える必要がある。
VTuber事務所に就職するより先に、自室を防音室にしたい。
チーフマネージャーが資料を切り替えた。
次のスライドには、俺の登場ポーズが大きく映っていた。
右手は腰。
左手は天。
脚は肩幅。
胸を張る。
意味不明なほど堂々としている。
俺の意思ではない。
能力の仕様で勝手にやらされたポーズだ。
なのに、スライドのタイトルはこうだった。
謎ヒーローの構えに関する考察
やめろ。
考察するな。
そこに深い意味はない。
強制ポーズだ。
「黒瀬くん」
チーフマネージャーが俺を見た。
来るな。
俺に振るな。
「君は、星宮さんから聞いたところ、探索者について多少知識があるそうだね」
「ネットで少し見た程度です」
「では、この構えについてどう思う?」
「何も思いません」
「率直でいい」
「率直に言うと、何も思いません」
「なるほど。では専門的には?」
専門的に聞くな。
本人が一番困る。
会議室の全員が俺を見ている。
姉貴も見ている。
逃げられない。
俺は咳払いをした。
「……あー、格闘工学的な、一般論として、ですけど」
「ほう」
社長が身を乗り出した。
やめろ。
俺の適当発言に期待するな。
「右手を腰に当てることで、上半身の軸を固定しつつ、体幹の回旋を制限する。左手を天に突き上げることで、視線と重心を上方向に誘導し、落下物への初動反応を早める。つまり、崩落物に対する垂直方向の衝撃処理を想定した、極めて合理的な防御姿勢……ではないかと」
言い切った。
言い切ってしまった。
もちろん全部嘘である。
今、俺は自分の黒歴史ポーズに、後付けで理屈を生やした。
しかも、そこそこもっともらしい理屈を。
探索者として終わっている。
いや、探索者は関係ない。
人間として終わっている。
最後に小声で付け加えた。
「知らんけど」
チーフマネージャーは目を見開いた。
「なるほど……!」
なるほどじゃない。
「ダサいポーズに見えて、実は落下する岩盤への即応を目的とした合理的フォームだったわけか」
違う。
「一見ふざけているようで、すべての動きに意味がある。さすがAランク級の探索者だ」
だから違う。
「黒瀬くん、君はいい目をしている」
「節穴です」
「謙遜しなくていい」
謙遜ではない。
自己申告だ。
社長も深く頷いた。
「たしかに、そう見ると無駄のない構えに見えてくるわね」
見えてこないでください。
姉貴が隣で俺をじっと見ていた。
まずい。
この顔は疑っている。
「ねえ、玲司」
「何だ」
「今の説明、妙に詳しくなかった?」
「一般論だ」
「便利すぎない? 一般論」
「世の中の九割は一般論でできてる」
「あと、説明するときの手の動き」
「手?」
「画面のヒーローさんと、ちょっと似てた」
俺は両手を即座に膝の上に置いた。
遅い。
完全に遅い。
姉貴は目を細める。
「それに、あんたさっきから画面見るたびに耳赤いよ」
「会議室が暑い」
「冷房効いてるけど」
「精神が暑い」
「何それ」
俺は席を立った。
椅子がガタッと鳴る。
「雑用に行ってくる」
「まだ何も頼んでないけど」
「雑用は頼まれる前に行うものだ」
「社会人っぽいこと言って逃げようとしてる」
「逃げてない。戦略的撤退だ」
「それ、ダンジョン用語っぽいね」
まずい。
言葉の選択が全部まずい。
俺は会議室から出ようとした。
だが、その前に社長が口を開く。
「待って、黒瀬くん」
終わった。
俺は扉の前で固まる。
社長は、モニターに映った黒銀ヒーローと、俺の背中を見比べるようにして言った。
「君、かなり見込みがあるわ」
その言葉は、今日聞いたどの名乗りよりも、俺にとって不吉だった。
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