第13話:【見参未遂】名乗りキャンセルに失敗する黒銀ヒーローと、二度目の公開処刑
安全確認配信。
開始早々、安全ではないものが確認されてしまった。
ダイヤモンド・ゴーレム。
全身を透明な結晶で覆った、四メートル級の人型魔獣。
低層に出ていい相手ではない。
それどころか。
俺が徹夜で選んだ百パーセント安全なピクニックルートに出てきた時点で、完全に話が違う。
「なんで安全ルートに隠しボスが湧いてるんだよ……!」
探索者協会のデータにないイレギュラーか。
この前の崩落で、地下の魔力溜まりが移動したのか。
それとも。
誰かが、何かを仕込んだのか。
いくつもの可能性が頭をよぎる。
赤城レオン。
所属事務所。
熱狂的なファン。
ステラライブへの嫌がらせ。
だが。
分析は後だ。
今は、全員を逃がす。
「星宮さん、退避ルートBへ」
俺は即座に指示を出した。
「スタッフは左壁沿い。立会人は最後尾。配信ドローンを下げろ。走るな。床へ一か所に荷重をかけるな」
「わかった!」
姉貴が短く答える。
声は震えていない。
事故を経験したばかりだ。
怖くないはずがない。
それでも、姉貴は配信ドローンへ向き直った。
『星の子のみんな、落ち着いて聞いてね』
さっきまでの明るい声から、一段だけ音量が落ちる。
『今から安全確認のため、配信チームは退避します。無理はしません。みんなも画面の前で見守っていてください』
コメント欄が一気に流れた。
:ハルカちゃん逃げて!
:配信止めていいから!
:スタッフの指示に従って!
:落ち着いてるのすごい
:でも早く逃げて!
:黒いスタッフさん頼む!
頼まれなくてもやる。
危機管理です。
シスコンではない。
ダイヤモンド・ゴーレムが、ゆっくりと頭部を動かした。
透明な結晶の顔には、目らしいものがない。
それでも。
視線が向けられているのが分かった。
姉貴だ。
「……おい」
俺は一歩前へ出る。
ゴーレムの右腕が持ち上がった。
軽自動車ほどある拳。
あれをまともに受ければ、普通の人間は形も残らない。
だが。
この距離なら、まだ間に合う。
変身しなくていい。
ヒーロー見参しなくていい。
スタッフジャンパーのまま。
配信ドローンの死角から。
普通の人間に見える範囲で助けられる。
俺は腰を落とした。
「全員、下がれ!」
ゴーレムの拳が振り下ろされる。
だが。
狙いは姉貴ではなかった。
拳が向かう先は、その足元。
退避ルートBへ続く結晶床だった。
「そっちか!」
ゴーレムの拳が床へ迫る。
衝撃で結晶床を割り、退路を塞ぐ気だ。
知能がある。
しかも。
逃げる人間を追うのではなく、先に退路を潰そうとしている。
面倒なタイプだ。
俺は配信ドローンの死角へ滑り込む。
足元に落ちていた結晶片を拾う暇はない。
つま先で蹴り上げる。
透明な破片が弾丸のように飛んだ。
ガキンッ!
ゴーレムの手首へ直撃。
巨大な拳の軌道が、ほんの数十センチだけずれた。
直後。
ズドォンッ!
結晶床が砕ける。
だが、退避ルートの中心からは外れた。
亀裂は走ったが、まだ使える。
コメント欄がざわついた。
:今、何か飛んだ?
:拳の軌道ズレたよな?
:黒いスタッフさん何かした?
:蹴った?
:いや速すぎて見えない
:ヒーロー見参ニキの気配を感じる
:まだ出てないのに気配で草
出ていない。
出てたまるか。
俺はそのままゴーレムの視界から外れ、避難が遅れていたスタッフの背後へ回った。
「前だけ見てください」
「えっ――」
両手を伸ばす。
スタッフ二人。
その間にいた立会人。
三人の背中を同時に押した。
力を入れすぎない。
吹き飛ばさない。
転ばせない。
全員を同じ速度で、亀裂の外へ押し出す。
「うわっ!?」
「何が――」
「止まらず進んで!」
三人がほぼ等間隔で安全圏へ移動した。
よし。
普通。
非常に普通の避難補助だ。
「黒瀬くん」
横からチーフマネージャーの声が飛んできた。
「今、三人同時に押しました?」
「偶然です」
「人間は偶然で三人を等間隔に移動させません」
「緊急時の一般論です」
「一般的な人間にはできません」
「無職仮なので」
「無職仮に何を期待しているんですか?」
俺も知りたい。
だが、今は説明している場合ではない。
ダイヤモンド・ゴーレムが床から拳を引き抜いた。
結晶の巨体が、軋む音を立てて方向を変える。
今度こそ。
姉貴へ向いた。
「星宮さん、止まるな!」
「うん!」
姉貴が退避ルートを走る。
いや。
走るなと言った。
だが今は仕方がない。
ゴーレムが一歩踏み出す。
結晶床が揺れる。
距離は近い。
だが。
まだ間に合う。
俺なら間に合う。
素の状態でも。
変身しなくても。
俺は床を蹴ろうとした。
その瞬間。
頭上で。
甲高い音が鳴った。
パキン。
小さい。
だが。
聞き間違えるはずがない。
俺は視線を上げた。
天井の巨大な結晶板に、亀裂が走っている。
さっきの拳の衝撃だ。
床だけではない。
壁を通じて、天井まで振動が伝わっていた。
「まずい」
亀裂が広がる。
一本。
二本。
三本。
結晶板が大きく二つに割れた。
一つは姉貴のすぐ前。
もう一つは、スタッフたちが逃げている退避ルートの真上。
落下地点は二か所。
タイミングは同時。
「全員、上だ!」
俺が叫ぶ。
巨大な結晶板は、辛うじて天井へ引っ掛かったまま軋んでいた。
ミシ……ミシ……。
無数の亀裂が音を立てながら広がっていく。
いつ最後の支えが砕けてもおかしくない。
スタッフたちが振り返る。
遅い。
姉貴も頭上を見る。
ゴーレムの拳が、姉貴へ迫る。
同時に。
数トンはある結晶板を支える結晶柱が、一本、また一本と砕けていく。
姉貴を助ければ。
スタッフに間に合わない。
スタッフを助ければ。
姉貴が拳に潰される。
素のままでは。
どちらか一方しか救えない。
俺の足が止まった。
ほんの一瞬。
その一瞬が、致命的になる。
頭の奥で。
聞きたくない電子音が鳴った。
【警告。複数の救助対象に危機を感知】
やめろ。
【救助猶予時間、僅少】
「分かってる」
【固有能力『ヒーロー見参』発動条件を確認】
「確認するな」
【発動条件を満たしました】
「待て待て待て」
俺は小声で言う。
誰に向けているのか、自分でも分からない。
能力か。
現実か。
神か。
全部だ。
「まだいける。俺が頑張ればいける。だから出てくるな」
【最適救助には能力発動が必要です】
「必要かどうかは俺が決める」
【必要です】
「そこだけ断言するな!」
胸の奥が熱くなる。
まずい。
本当にまずい。
「今日だけ休め」
【回答不能】
「有給を取れ」
【有給制度はありません】
「福利厚生が終わってる!」
黒銀の光が、スタッフジャンパーの下から漏れ始めた。
配信ドローン三号が反応する。
レンズがこちらへ向いた。
ここは配信中。
ドローン三台。
同接十万人超え。
しかも今日は。
最初からヒーロー見参待機勢がいる。
ここで変身したら。
二回目だ。
完全に再登場だ。
切り抜き確定。
名言集更新。
前回とのスーツ比較。
身体のライン比較。
胸板の仕上がり比較。
ポージング差分。
全部見える。
嫌すぎる未来が、高画質で見える。
だが。
姉貴の頭上には拳。
スタッフたちの頭上には結晶板。
もう。
時間がない。
【変身シークエンスを開始します】
「労働意欲が高すぎるんだよ、この能力……!」
次の瞬間。
黒銀の光が、身体の内側から一気に溢れ出した。
まずい。
止まらない。
胸の奥から噴き出した光が、スタッフジャンパーの隙間を突き破っていく。
袖口。
首元。
裾。
全部だ。
まるで俺だけ蛍光塗料を浴びせられたみたいだった。
「だから目立つんだよォ……!」
俺は慌てて近くの岩陰へ飛び込んだ。
配信ドローンの死角。
ここなら、まだ多少はごまかせる。
……ごまかせると信じたい。
しかし。
能力はそんな俺の願いなど知ったことではなかった。
黒銀の粒子がスタッフジャンパーを包み込み、そのまま光へと分解していく。
代わりに現れたのは。
見慣れてしまった黒銀のヒーロースーツだった。
今日も無駄に艶がある。
今日も無駄に密着している。
今日も無駄に身体のラインが分かる。
改善しろ。
そこが一番改善点だろ。
「もっと布面積を増やせ!」
【ご要望は今後のアップデートの参考にします】
「絶対しないだろ!」
【変身完了】
直後。
さらに嫌な電子音が鳴った。
【名乗りシークエンスへ移行します】
「移行するな!」
【ヒーローは名乗るものです】
「一般論で押し切るな!」
【決めポーズを生成します】
「生成するなァ!」
右腕が勝手に持ち上がる。
左足が一歩前へ出る。
腰が捻られる。
胸が張られる。
完全に前回と同じ流れだ。
「学習したのは俺だけじゃないのか!」
だが。
俺にも学習成果はある。
昨夜。
社会的尊厳を守るためだけに徹夜で積み重ねた、涙ぐましい努力が。
「今日の俺は違う!」
勝手に腰へ向かう右腕を、左手で掴む。
さらに。
天へ突き上がろうとする左腕を、右脇へ挟み込んで固定した。
ギシッ。
身体が軋む。
【ポージングプロセス停滞】
「そのまま止まれ!」
【エラー】
「いいぞ!」
【代替演出へ移行します】
「良くない!」
勝ったと思った瞬間に別ルートを出してくるな。
【名乗りボイスを開始します】
「そっちに逃げるなァ!」
今度は喉が熱くなる。
前回も味わった、あの嫌な感覚。
声帯が勝手に動き始める。
『助けを呼ぶ声があるなら――』
来た。
最悪の第二段階だ。
俺は迷わなかった。
両手の親指を喉へ当てる。
ぐっと押し込む。
物理ミュート。
文明の利器など使わない。
人類最古のセルフ消音機能である。
「んんんんん……!」
苦しい。
息が苦しい。
だが。
名乗る方がもっと苦しい。
社会的に。
能力が無理やり言葉を押し出そうとする。
『たすけを――』
「んぐっ!」
『よぶ――』
「ごほっ!」
『こえが――』
「がはっ!」
危ない。
危なかった。
あと一文字で完全詠唱だった。
岩陰の外では。
ゴーレムが姉貴へ迫る。
スタッフたちは必死に退避している。
配信ドローンは上空を旋回している。
そして。
そのすぐ後ろの岩陰では。
黒銀の密着スーツを着た男が、自分で自分の喉を締めながら「んおおおおお」と悶絶していた。
誰がどう見ても不審者だった。
いや。
誰にも見られてはいけない。
本当に。
絶対に。
見られてはいけない。
……そう思った瞬間だった。
ウィィン。
静かなモーター音が近づく。
俺は嫌な予感しかしなかった。
恐る恐る顔だけ動かす。
そこには。
配信ドローン三号がいた。
レンズが、まっすぐ俺を見ている。
「…………」
俺も見る。
ドローンも見る。
永遠にも思える一瞬が流れた。
「やめろ」
俺は喉を押さえたまま、小さく首を振った。
ドローンも小さく角度を変えた。
いや。
ズームするな。
寄るな。
仕事をするな。
今日は休め。
有給を使え。
だが。
ステラライブの機材は、今日も仕事熱心だった。
音声反応。
熱源追尾。
人物認識。
全部発動している。
前回まで俺が「優秀ですね」と褒めていた性能が、今日は全部敵だった。
コメント欄が一気に流れ始める。
:今、岩陰から変な声しなかった?
:誰か「たすけをよぶこえが」って言った?
:黒い何か見えたぞ
:いやいやいや
:まさか
:ヒーロー見参ニキ?
:来るのか!?
:来るな、でも来い!
:喉詰まってない?
:また名乗り失敗してる?
見るな。
聞くな。
察するな。
俺は喉を押さえたまま、必死に首を横へ振る。
しかし。
ダイヤモンド・ゴーレムは待ってくれない。
姉貴の目前まで拳が迫る。
同時に。
ミシィィィン!!
最後の支えが砕ける。
数トンはある巨大な結晶板が、スタッフたちの頭上へ落下した。
もう。
時間がなかった。
姉貴の前には、軽自動車ほどもある結晶の拳。
スタッフたちの頭上には、数トンはある巨大な結晶板。
助けられるのは、一人じゃない。
今の俺なら。
変身している今の俺なら、両方とも助けられる。
だから能力が発動した。
だから、止まらない。
俺は喉を押さえたまま歯を食いしばる。
能力が最後の力で言葉を押し出そうとする。
【名乗りボイスを開始します】
(するなァァァッ!)
「――ヒーロー」
(黙れ!)
「――見」
(言うな!)
能力が押す。
俺が押し返す。
能力が押す。
俺が潰す。
まるで、自分の喉の中で綱引きをしているようだった。
その結果。
口から飛び出した言葉は。
「――見参、未遂だッ!!」
意味が分からなかった。
俺にも分からない。
能力にもたぶん分かっていない。
一瞬。
コメント欄が止まった。
全員の思考が止まった。
そして。
:見参未遂wwwwww
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