第9話:不敗の女弁護士と、じゅわっととろける鉄板フレンチトースト
ある日の15時。昼の営業が終わり、いつもなら『食事処 藤』が静まり返る仕込みの時間。
ガラガラと引き戸が開き、高級な香水の香りが店内に流れ込んできた。
「……ここが、噂の路地裏の隠れ家ね」
入ってきたのは、仕立ての良い漆黒のパンツスーツに身を包んだ、知的で綺麗な女性だった。
彼女の名前は、鷹司麗香。裁判では一度も負けたことがないという、冷徹無比な「不敗の女弁護士」だ。
男を「ただ守られるだけの弱い存在」としか見ていない彼女は、最近巷で噂の「男一人が営む、女を虜にする店」という怪しげな評判を、自分の目で確かめ(論破し)にきたのだ。
「あ、いらっしゃいませ! ……すいません、今は仕込み中で、お食事のメニューはまだ準備できてないんですよ」
俺――藤崎 創は、慌てて手元の包丁を置いて振り返り、頭を下げた。
その瞬間、麗香の鋭い瞳がわずかに揺れた。
厨房の熱気で、白シャツの袖をたくし上げている俺の腕。決して着飾ってはいないけれど、毎日重い中華鍋を振っているせいで、自然と引き締まった逞しい筋肉がついている。そして、額の汗をぐっと拭いながら「いらっしゃい」と気取らずに笑う、素朴で温かい笑顔。
(な、何よ、この男……。媚びを売るようなおねだりもしないし、男のくせに、すごく真っ直ぐで……なんだか、眩しい……)
麗香は内心の動誉を隠すように、ツンと足を組み、カウンターを指先で叩いた。
「構わないわ。私はただ、この店が『女性を騙す悪質な店』かどうかを見極めに来ただけ。……男の手仕事で作れる、一番マシな甘味でも出しなさい。それで貴方の実力を測ってあげる」
手強そうなお客さんだ。だけど、冷たい仮面の裏で、彼女の肩は緊張でガチガチに凝り固まり、仕事のしすぎのせいか、すごく疲れているように見えた。
「うーん、甘いものですね……。よし、ちょっと待っててください。今の時間にぴったりな、とっておきのを焼きますから。ゆっくり休んでてくださいね」
俺は気負うことなく、ただ「元気になってほしいな」という一心で、笑顔で調理場へ向かった。
メニューは、小腹の空いた昼下がりに胃優しく染みる、『至高の鉄板フレンチトースト』だ。
職人の手解き:一生懸命な姿に、のぼせていく心
麗香の視線が、俺の手元に釘付けになる。
この世界の男が作るお菓子は、フリルをあしらった可愛いデコレーションが定番だ。しかし、俺のやることはひたすら実直。
厚切りにカットした食パンを、卵と牛乳、そして少量のラム酒を加えた特製の卵液にじっくり浸す。
「よし、焼いていくか」
俺はカウンターの目の前にある鉄板に、バターを落とした。
じゅわあぁっ、と芳醇な香りが店内に立ち込める。
パンを鉄板に乗せ、弱火でじっくりと中まで火を入れていく。
「美味しくなれ、美味しくなれ……」と心の中で念じながら、真剣な目で鉄板を見つめる俺。フライパンを扱う手つきは力強く、男らしい。それなのに、料理に向き合う姿勢は驚くほど優しくて丁寧だ。
麗香は、そんな俺の「一生懸命に料理を作る姿」から、どうしてだか目が離せなくなっていた。
(男のくせに、あんなに一生懸命に……。ただ私に美味しいものを食べさせようと、あんなに綺麗な目で……。……っ、私、何を考えているのよ!)
仕上げに、表面にグラニュー糖を振りかけ、バーナーで一気に炙る。
表面の砂糖がカラメル状に弾け、甘く香ばしい匂いが一瞬で店内に広がった。
バニラアイスを添え、熱々の鉄板のまま、彼女の目の前に差し出す。
「お待たせしました! 鉄板フレンチトーストです。火傷しやすいので、気をつけて食べてくださいね」
完全敗訴、そして狂おしいほどの独占欲
目の前でパチパチと音を立てる、黄金色のフレンチトースト。
麗香はゴクリと唾を飲み込み、フォークを突き立てた。外側は「パリッ」と香ばしい音がしたのに、中は信じられないほど柔らかい。
一口、口に運んだ瞬間、彼女の脳内に衝撃が走った。
「――っっっ!?!?探」
麗香のフォークを持つ手が、ガタガタと震え出した。
「な、何これ……! 外側はカリッと香ばしくて、ほんのりビターなのに……中は、まるで温かいカスタードクリームみたいにプリンプリンじゃない……! 噛まなくても、お口の中でとろけて消えちゃうわ……!」
彼女は冷たいバニラアイスを絡め、夢中で二口目を頬張る。
「冷たいのと熱いのが交互に来て、もう頭が、思考が麻痺していく……っ! 優しいハチミツの甘さの中に、この大人っぽい香りは……ラム酒!? ああ、だめ……完璧すぎる。私の完敗だわ……!」
食べるごとに、麗香の冷徹なエリートの仮面がボロボロと崩れ落ちていく。
気づけば彼女の目はトロンと潤み、頬は夕日のように真っ赤に上気していた。そして、熱い吐息を漏らしながら、俺のことをじっと熱い眼差しで見つめてくる。
「創、さん……。貴方、なんて罪な人なの……。料理だけで私をこんなに狂わせるなんて、ずるいわ。私の心が、貴方なしでは動かなくなっちゃった……!」
綺麗に完食し、はしたなくも指についたカラメルをペロリと舐めた麗香は、立ち上がり、カウンター越しに俺の手をギュッと両手で握りしめた。
その手は少し震えていて、さっきまでの傲慢さは消え失せ、完全に恋する乙女の顔になっていた。
「もうお仕事なんてどうでもいい……っ。創さん、お願いだから私だけのものになって。今すぐこの店を閉めて、私の家に来てほしいの。貴方のその逞しい腕も、その優しい笑顔も、毎日私だけに見せて。いくら欲しい? 私の全財産を貴方に貢いでもいい、だから……っ!」
最高権力の弁護士が、一人の男のナチュラルな魅力に完全にメロメロになり、必死に迫ってくる。
「えっ、全財産!? いやいや、困りますよ!」
俺は本気でびっくりして、顔を真っ赤にしながらブンブンと首を振った。
「俺はただの定食屋のあんちゃんですから。こうやってお店を開いて、麗香さんみたいなお客さんに『美味しい』って喜んでもらうのが、一番の幸せなんです。だから、誰か一人の家には行けませんよ。……それより、お仕事大変そうですし、またいつでも甘いもの食べに、一休みしにきてくださいね」
俺がいつものように照れくさそうに頭を掻きながら笑うと、麗香は「なっ……そんな無邪気な笑顔で断るなんて、どこまで罪作りな人なの……っ!」と、胸を押さえてさらに身悶えした。
女が外で戦い、男を支配するのが当然の世界。
だけど、どんなに鉄の意志を持つ女性であっても、俺が心を込めて作った一皿と、飾らない素顔の前では、ただの可愛い女の子に変わってしまう。
「こんな世界でも、俺にできる事は料理だけだからな」
夕方の開店準備を始めながら、俺は「また待ってますね」と、すっかり骨抜きにされて、何度も振り返りながら名残惜しそうに帰っていく麗香の背中を、いつまでも温かく見送るのだった。
『食事処 藤』特製・至高の鉄板フレンチトースト(1人前)
材 料
食パン(4枚切りなど厚切りがベスト):1枚
バター:15g(焼き用)
グラニュー糖(または普通の砂糖):大さじ1(仕上げのキャラメリゼ用)
バニラアイス:適量(トッピング用)
【極上アパレイユ(卵液)】
卵:1個
牛乳:100ml
ハチミツ:大さじ1
ラム酒:小さじ1/2(★大人のコクを出す秘密!)
作り方
1. 魔法の下準備(一瞬で芯まで染み込ませる)
1 ボウルに【極上アパレイユ】の材料(卵、牛乳、ハチミツ、ラム酒)をすべて入れ、泡立て器でダマがなくなるまでよく混ぜ合わせます。
2 食パンを好みの大きさ(半分、または4等分)にカットします。
3 深めの耐熱容器(またはジッパー付き保存袋)にパンを入れ、卵液をすべて注ぎます。
★劇中のプロの技!
本来なら一晩浸けたいところですが、ラップをかけずに電子レンジ(500W)で片面30秒、ひっくり返してさらに30秒加熱してみてください。パンの中の空気が抜けて、一気に芯まで卵液をグングン吸い込み、一瞬で「極厚ぷるぷる状態」になります。
2. じっくり焼く(中までカスタード状態に)
1 スキレット(またはフライパン)を弱火で熱し、バターを落として全体に広げます。
2 卵液を限界まで吸い込んだ食パンを、崩れないように優しくフライパンに乗せます。
3 弱火のまま、蓋をしてじっくり3〜4分焼きます。焦らず弱火で蒸し焼きにすることで、中身が膨らみ、まるでカスタードプリンのような食感になります。
4 きれいな焼き色がついたらひっくり返し、反対側も蓋をしてさらに3分ほど、優しくキツネ色になるまで焼きます。
3. 仕上げのキャラメリゼ(理性を狂わせる香ばしさ)
1 両面がふっくら焼き上がったら一度蓋を外し、パンの表面全体にグラニュー糖をまんべんなく振りかけます。
2 ひっくり返して、中火で30秒〜1分ほど、砂糖が溶けてカリッとするまで一気に焼き上げます。(※バーナーがある場合は、表面を直接炙ってパチパチと泡立てるとさらに本格的になります!)
3 表面が飴色(カラメル状)になったら火を止めます。
4. 盛り付け
1 熱々の鉄板のままテーブルへ。
2 仕上げに冷たいバニラアイスをどかんとトッピングすれば完成です!
店主(創)からのワンポイントアドバイス
「隠し味のラム酒は、少し入れるだけで一気に高級カフェみたいな大人っぽい香りに化けるから試してみて。あと、焼くときはとにかく『弱火でじっくり』が鉄則。麗香さんみたいに普段ツンツンして頑張りすぎちゃう人も、この熱々とろとろのフレンチトーストを食べれば、きっとフニャッと力が抜けて癒されると思うんだよね。火傷に気をつけて、アイスをたっぷり絡めて食べてみて!」




