第7話:ガテン系女子の夏バテと、さっぱり酸味が弾けるゴロゴロ野菜と角切り豚の特製にんにく黒酢豚定食
ジメジメとした梅雨が明け、本格的な夏がやってきた。
アスファルトから陽炎が立ち上るような猛暑の日の夜、『食事処 藤』の引き戸がバァン! と勢いよく開いた。
「ま、マスター……冷てえ水……いや、麦茶をガツンと一杯くれぇ……」
入ってきたのは、現場帰りの千草だった。
いつもなら威勢のいい職人気質の彼女だが、今夜は首に巻いたタオルも汗でベタベタ、作業着の袖をまくりあげた腕もどこか力がない。カウンターに崩れ落ちるように座り、差し出された冷たい麦茶をジョッキごと一気飲みした。
「ぷはぁーっ……! 生き返る……。いや、マジで今日の現場は地獄だった。熱中症で倒れる奴が出なくて良かったレベルだぜ……」
「お疲れ様、千草さん。本当に外は厳しい暑さだもんね。何か作ろうか?」
「それがさ……」
千草はいつもなら真っ先に頼む大盛りご飯のメニューを見つめながら、珍しく眉をひそめた。
「腹はペコペコのはずなんだけどよ、身体が熱を持っちまって、いまいち食欲が湧かねえんだ。でも、明日も朝から重機を回さなきゃいけない。何か、こう……ガツンとパワーが出るけど、箸が進むようなもんってないか?」
夏バテの一歩手前。体力を消耗しているのに、胃腸が疲れて脂っこいものは受け付けない。
そんなガテン系女子のジレンマを解決すべく、俺――藤崎 創はニヤリと笑った。
「酸っぱくて、だけどにんにくがガツンと効いてて、匂いだけで白飯が食いたくなるやつ、一発で作ってあげるよ」
俺が冷蔵庫から取り出したのは、ビタミンB1が豊富で疲労回復に最適な、豚の肩ロースの塊肉。
今夜のメニューは、お酢の酸味で食欲を極限まで呼び覚ますスタミナ食、『ゴロゴロ野菜と角切り豚の特製にんにく黒酢豚定食』だ。
新たな常連:異国の「流浪の剣客」
俺が調理にかかろうとしたその時、ガラガラと静かに引き戸が開き、新たな客が滑り込んできた。
入ってきたのは、この界隈では見かけない、浅黒い肌に精悍な顔立ちをした外国籍の女性だった。
引き締まった身体に、どこか異国の軍人か用心棒を思わせる、独特の鋭いオーラを纏っている。名前はアズサ。戦火の絶えない国からこの街に流れ着き、現在は裏社会の要人警護や、危険な用心棒を請け負って日銭を稼いでいる「流浪の剣客」のような女性だ。
「……随分と、香ばしい匂いのする店だな」
アズサは低く、ハスキーな声で呟き、千草から二つ離れたカウンター席に腰掛けた。
「いらっしゃい。うちは普通の定食屋だけど、何にする?」
「何でもいい。この国の料理はどれも繊細すぎて、戦い帰りの私の胃袋には物足りない。砂漠の配給よりはマシなものを期待しよう」
フン、と不敵に笑うアズサ。彼女もまた、連日の過酷な裏仕事と日本の猛暑に、人知れず胃をやられているようだった。
「へえ、新しいお客さんかい。マスター、この姉ちゃんにも俺と同じやつ作ってやってくれよ。度肝抜かれるぜ」
千草が麦茶を片手に笑う。
「分かった。じゃあ、二人とも『特製にんにく黒酢豚』で決まりだね」
職人の手解き:クエン酸とアミノ酸の波状攻撃
この世界における「男の中華料理」は、油を極力減らした、ダイエット向けのヘルシーすぎる薄味のものばかりだ。あるいは、市販の甘酸っぱいケチャップ餡をただ絡めただけの、子供騙しの酢豚。
だが、俺が作るのは、前の世界で数多の腹ペコ労働者たちを満足させてきた、ガッツリかつキレのある黒酢豚だ。
まずは、豚の肩ロース肉を贅沢に大きめの角切りにする。
醤油と少々の酒、そして隠し味のおろしにんにくで下味をつけたら、片栗粉をしっかりと塗す。
(この片栗粉が、後で肉の肉汁を閉じ込め、黒酢の餡を完璧に絡めるドレスになるんだ)
180度の油で、外はカリッと、中はジューシーに肉を揚げる。同時に、素揚げした乱切りの人参、蓮根、臨場感を出すためのピーマンを用意。
そして、味の決め手となる自家製黒酢餡。
本格的な黒酢をベースに、少々の砂糖、醤油、そして中華出汁を合わせる。
「よし、一気に仕上げるよ」
強火で熱したフライパンに少量の油を引き、すりおろしたにんにくを軽く炒めて香りを立たせる。そこに揚げたての肉と野菜を投入し、合わせ黒酢餡を一気に回し入れる!
ジュワァァァァーーーーッ!!! カシャァァァ!
湯気とともに、黒酢独特のコクのある芳醇な酸味と、焦げたにんにくの香ばしい匂いが一瞬で店内に爆発した。
「くっ、くうゥゥゥ……!!! なんだこの匂いは……っ!?」
千草が匂いの暴力に抗えず、弾かれたようにガタッと立ち上がった。
異国のアズサも、その鋭い眼光を驚きに変化させ、調理場を凝視している。
餡がフツフツと沸騰し、肉と野菜に美しい黒真珠のような照りが絡んだところで火を止める。
二人のお皿に豪快に盛り付けた。
「お待たせ。特製・にんにく黒酢豚定食。熱いうちにどうぞ」
蘇る野生、限界突破のおかわり
目の前に置かれたのは、とろりとした濃厚な黒酢餡をたっぷりと纏い、ツヤツヤと黒光りする大ぶりの豚肉。
千草とアズサはゴクリと喉を鳴らし、競うように肉を一個掴んで口に放り込んだ。
はぐっ……ザクッ、じゅわぁぁ!
「「――っっっ!!!!」」
千草の拳がカウンターを叩くと同時に、アズサの身体がビクッと硬直した。
「うっ、美味ええええええええ!!! なんだこれ、箸が止まらねえ!!」
千草はそのまま、大盛りの白米を猛烈な勢いとかき込み始めた。
「……信じられない」
アズサは肉を噛み締めながら、茫然と呟いた。
「周りの衣がカリッとしてて、中はめちゃくちゃジューシー……。何よりこの餡だ。ガツンと酸っぱいのに、深みがある。にんにくのパンチが、戦場で枯れ果てていた私の血を呼び覚ますようだ。日本の男が、これほど力強く、野生的な料理を作れるというのか……!」
アズサの目が、完全に獲物を見つけた戦士のそれに変わっていた。
今度は素揚げされてホクホクの蓮根と人参を交互に食べ、旨味の詰まった餡をご飯にワンバウンドさせて、凄まじい勢いで口いっぱいに頬張る。
「マスター! ご飯おかわり! マンガ盛りでくれ!!」
「店主、私にもその白い飯をもう一杯。いや、三杯頼む!」
「はいよ、特盛り二つね!」
「あぁ最高だ! この黒酢豚があれば、夏のクソ暑さなんて一発で吹き飛ぶぜ! おいマスター、もう決めた!」
千草は2杯目の白飯をガツガツと食らいつきながら、顔を真っ赤にして俺を睨みつけた。
「お前、俺の嫁になれ! 毎日、現場が終わったら俺がバイクで迎えにきてやる。だから、俺の家で毎日この黒酢豚を作ってくれ!」
「待て、職人」
すかさずアズサが割り込み、千草を鋭い眼光で威嚇した。
「この男の腕は、国家の宝だ。こんな辺境の現場作業員にくれてやるには惜しい。店主、私と共に私の国(戦場)へ来い。お前のこの料理があれば、我が軍は不敗の軍隊となる。お前の身の安全は、私のこの命と剣に懸けて一生守り抜いてみせる」
「おい、新入り! 先に惚れたのは俺だぞコラァ!」
「惚れるのに先も後もあるか。強い者が奪う、それが世界の鉄則だ」
「いや、だから二人とも落ち着いて。ここはただの定食屋だし、奪い合いとか物騒なことはナシね。ほら、冷たい麦茶おかわりだよ」
俺が苦笑いしながら麦茶を差し出すと、二人はハッと我に返り、お互いに顔を真っ赤にして慌てて麦茶をあおりまくった。
男はか弱く、夏の暑さや油の熱、そして戦いから遠ざけられるべき世界。
だけど、炎天下の現場や、血生臭い裏社会でボロボロになって帰ってくる彼女たちの身体に、この一皿の黒酢豚がエネルギーを注入できるのなら。
俺は喜んで、熱い厨房で中華鍋を振る。
「こんな世界でも、俺にできる事は料理だけだからな」
そう呟きながら、俺は「いっぱい食べて、明日も怪我しないようにね」と、すっかり元気を取り戻した彼女たちの笑顔を見送るのだった。
『食事処 藤』特製・にんにく黒酢豚(2人前)
材 料
豚肩ロース肉(塊):250〜300g(食べ応えのある3cm角に切る)
蓮根:小1節(小さめの乱切り)
人参:1/2本(小さめの乱切り)
ピーマン:2個(一口大に切る)
片栗粉(肉にまぶす用):適量
揚げ油:適量
【豚肉の下味】
醤油:大さじ1/2
酒:大さじ1/2
おろしにんにく:小さじ1/2
【にんにく香る・濃厚黒酢餡】
黒酢(あれば鎮江香酢、なければ普通の黒酢):大さじ4
砂糖:大さじ3
醤油:大さじ1.5
酒:大さじ1
中華出汁(鶏ガラスープの素を小さじ1/2溶かした水):大さじ2
片栗粉:小さじ1(★あらかじめ餡に混ぜておきます)
おろしにんにく(仕上げ用):小さじ1
作り方
1. 具材の下準備
1 豚肩ロース肉は贅沢に3cm角のゴロゴロサイズに切り、【豚肉の下味】の調味料を揉み込んで10分ほど置きます。
2 蓮根と人参は小さめの乱切りにし、蓮根はサッと水にさらして水気をよく拭き取ります。ピーマンは一口大に切ります。
3 【濃厚黒酢餡】の調味料(片栗粉、仕上げ用のにんにくも含む)をあらかじめボウルにすべて混ぜ合わせておきます。
2. 揚げる(旨味を閉じ込め、食感を出す)
1 揚げ油を180度に熱します。
2 まず野菜から素揚げします。人参と蓮根を入れ、火が通って表面が少し色づくまで2〜3分揚げて取り出します。ピーマンは色鮮やかに仕上げるため、最後にサッと10秒ほど油に通すだけでOKです。
3 下味をつけた豚肉に、片栗粉をしっかりと、隙間なく塗します。
4 180度の油に豚肉を入れ、外側がカリッとして中に火が通るまで、4分ほどじっくり揚げて油を切ります。
3. 一気に仕上げる(劇中の香りの爆発!)
1 フライパン(または中華鍋)を強火でよく熱し、少量の油(小さじ1程度)をひきます。
2 揚げたての豚肉、素揚げした蓮根、人参、ピーマンをフライパンに一気に投入し、強火でサッと炒め合わせます。
3 事前に混ぜ合わせておいた【濃厚黒酢餡】を、底の片栗粉が沈殿しているのでもう一度よく混ぜてから、鍋肌に沿って一気に回し入れます。
4 ジューーーッ!と音がして餡が沸騰し、片栗粉に火が通ってとろみがつくまで、中華鍋を大きく振って全体に素早く絡めます。
5 全体に黒真珠のような美しい照りが出たら、すぐに火を止めてお皿に盛り付けます。
店主(創)からのワンポイントアドバイス
「黒酢のタレを入れる時は、ビビらず一気に強火でいくのがコツだよ。熱い鍋肌でお酢とにんにくが弾けた瞬間の匂いだけで、ご飯が一杯食べられちゃうからさ。カリッと揚がったジューシーな肉に、とろっとした餡をたっぷり絡めて、千草さんたちみたいにガツガツいっちゃって!」




