第4話:孤高の(ヤクザ)と、肉汁あふれるメンチカツ
『食事処 藤』のカウンターは、今やちょっとした異業種交流会の場と化していた。
ガテン系の千草、エリート官僚の一ノ瀬、社畜OLの凛、そして深夜に現れる警察署長の神楽坂。本来なら交わるはずのない彼女たちが、俺――藤崎 創の料理の前では、ただの「腹ペコな客」として平和に肩を並べている。
しかし、この夜ばかりは、店内の空気がピリッと張り詰めていた。
ガラガラ……と、静かに引き戸が開く。
入ってきたのは、高級な黒のスーツを隙なく着こなし、鋭い眼光を放つ長身の女性だった。
背後には、見るからにカタギではないガタイの良い女性部下たちが控えている。
(……この界隈の裏社会を実質的に取り仕切る、龍崎組の若頭、龍崎 薫さんだ)
千草や一ノ瀬の手が、一瞬で身構えるように強張る。警察署長の神楽坂がこの場にいなかったのは、不幸中の幸いか。
龍崎はこの街の裏社会の顔であり、パトロンであるおばあちゃん(地主)とも古い付き合いがあるため、この店で無茶な真似はしない。だが、その圧倒的な威圧感は、一般の女性たちを震え上がらせるに十分だった。
「……若頭、本当にこんな、男が一人でやってる店で飯を?」
部下の女が、怪訝そうに店内を見回す。
「黙れ。大旦那が惚れ込んだ男の店だ。無礼を働けば、私が直々にケジメをつけさせるぞ」
龍崎は鋭い声で部下を退けると、カウンターの端に腰掛けた。
冷徹な美貌だが、その奥には、連日の縄張り争いや組織の泥臭い揉め事による精神的疲労が色濃く刻まれている。
「店主。大旦那から話は聞いている。……男の料理など、どうせ見てくれだけの甘味か、型通りの高級飯だろうと思っていたが、お前の面構え、なかなか骨がありそうだな。……今夜の、一番ガッツリしたメニューをくれ」
「いらっしゃい、龍崎さん。じゃあ、今夜はとびきりジューシーな『極厚メンチカツ定食』にするよ」
職人の手解き:肉汁を閉じ込める「絶対の盾」
この世界における「男の料理」は、前述の通り過保護に飾り立てられた趣味の領域だ。ましてや、手が脂で汚れる「ひき肉のタネをこねる」なんて作業、男がやるなど言語道断、野蛮の極みとされる。
また、女性たちが外の定食屋や居酒屋で食べる揚げ物といえば、カチカチに揚げられた肉の塊に、既製品のドロッとした濃いソースをぶっかけた、ただ胃袋を膨らませるための無骨なものばかりだった。
だが、俺が作るのは、裏社会の頂点に立つ彼女の度肝を抜く「本物のメンチカツ」だ。
まずは、牛と豚の合挽き肉。脂の比率を厳密に計算し、あらかじめキンキンに冷やしておく。
そこに、飴色になるまでじっくり炒めて甘みを引き出し、これまた完全に冷ました玉ねぎを加える。
「よし、ここから一気に行くよ」
手の熱が肉の脂を溶かさないよう、氷水を張ったボウルに重ね、電光石火の速さで肉をこねる。肉の繊維が結びつき、白っぽく粘りが出るまで。
そして、タネを両手でキャッチボールするように交互に叩きつけ、中の「空気」を完璧に追い出す。ここで空気が残っていると、揚げた時にそこから肉汁が逃げてしまうんだ。
小麦粉、溶き卵、そして衣には再び、あのサクサクの「生パン粉」を纏わせる。
170度の油へ静かに滑り込ませると、ジュワァァァ……と重厚で心地よい音が店内に響き渡った。
じっくりと中まで火を通し、最後に温度を上げて衣をカラッと仕上げる。
お皿に盛られたのは、丸々と太った黄金色の極厚メンチカツが2個。
「お待たせしました。極厚メンチカツ定食。まずはソースをつけずに、そのまま食べてみて」
目の前に置かれたのは、箸を当てるだけで「パリッ」と音がしそうな美しい衣のメンチカツ。
そして山盛りキャベツ、ツヤツヤの白米、しじみの味噌汁。
「ふん、ソースもつけずに食えとは、大きく出たな……」
龍崎は不敵に笑い、箸でメンチカツを中央から真っ二つに割った。
決戦の瞬間、あふれ出す濁流
サクゥッ……じゅわああおお!!!
割った瞬間、信じられない光景が起きた。
メンチカツの断面から、透明で美しい「肉汁」が止めどなく溢れ出し、お皿のキャベツを瞬く間に浸していく。
「――っ!? なん、だと……っ!?」
龍崎の部下たちが、思わず息を呑む。龍崎自身も、限界まで目を見開いていた。
「肉汁が……溺れるほどの肉汁が、皮(衣)の中に完璧に閉じ込められていたというのか……!」
彼女は我慢できず、肉汁が滴る大ぶりの塊をガブッと口に放り込んだ。
ザクッ、じゅわぁぁぁぁ……!
「う、美味い……っ!!!」
裏社会で「氷の女」と恐れられる龍崎が、思わず声を漏らして身悶えした。
「美味すぎる……っ! 噛んだ瞬間、粗挽き肉の圧倒的な弾力と旨味が襲いかかってくる! なのに、玉ねぎの気品ある甘みがそれを包み込んで、全くくどくない! ソースなど不要、肉と出汁の塩気だけで、この私の心が完全に撃ち抜かれた……っ!」
彼女は極道のプライドも何もかも忘れ、猛烈な勢いでメンチカツを齧り、大盛りの白米を文字通り「ガツガツ」とかき込み始めた。
「おい、白飯だ! 白飯をおかわりをくれ! 箸が止まらん!!」
いつもは上品な一ノ瀬や、ガテン系の千草も、龍崎がここまで我を忘れて貪り食う姿を見て、「ほらね」と言わんばかりにニヤニヤしている。
龍崎はものの数分で、大盛りご飯を3杯平らげ、メンチカツを綺麗に完食した。
信じられないほどスッキリとした、晴れやかな笑顔を浮かべ、彼女はふぅと長い溜息を漏らす。
そして、ゆっくりと居住まいを正すと、懐から上質な手帳を取り出し、真剣な目で俺を見つめた。
「店主、創と言ったな。……惚れた。お前のこの腕、そして男だてらに職人として生きるその精神、見事だ。……どうだ、私の本家に迎え、24時間、365日、私のためにこの飯を作ってくれないか? お前を狙う不届きな女がいたら、私の組織の総力を挙げて、指一本触れさせないと誓おう」
「おい龍崎! 大旦那様の店で何スカウトしてんだコラァ!」
「そうよ、そんな物騒なプロポーズは認められないわ!」
千草と一ノ瀬がすかさず割って入り、店内は一気に賑やかな言い合い(ただし全員身内)になった。
「いや、だから全員落ち着いて。ここはただの定食屋だから。龍崎さんもお茶飲んで落ち着いてよ」
俺が苦笑いしながら冷たい麦茶を出すと、龍崎はハッと我に返り、「あ、す、すまない……漢を前に取り乱した」と、耳まで真っ赤にして慌ててスーツの襟を正した。
男はただ守られ、部屋にいるべき世界。
だけど、裏社会の重圧を背負い、命を削って生きている彼女たちの渇きを、この一切れのメンチカツが癒やせるのなら、俺はいくらでもひき肉まみれになろう。
「こんな世界でも、俺にできる事は料理だけだからな」
そう呟きながら、俺は「おかわり、まだありますよ」と、少しだけ表情の柔らかくなった彼女たちの茶碗を受け取り、ふっくらとした白米を再びよそい始めるのだった。
『食事処 藤』特製・肉汁あふれる極厚メンチカツ(2人前・大ぶり2個分)
材 料
牛豚合挽き肉:250g(★使う直前まで冷蔵庫でキンキンに冷やしておく)
玉ねぎ:1/2個(みじん切り)
バター(またはサラダ油):小さじ1(玉ねぎ炒め用)
キャベツ:お好みの量(千切りにしておく)
揚げ油:適量
【肉タネの調味料】
卵:1/2個分
パン粉(乾燥):大さじ3
牛乳:大さじ1(パン粉に浸しておく)
塩:小さじ1/2(★肉の旨味を引き出し、粘りを出す重要成分)
胡椒、ナツメグ:少々
醤油:小さじ1/2(★マスターの隠し味。コクをプラスします)
【衣】
小麦粉:適量
溶き卵:1/2個分(肉タネの残りと合わせる)
生パン粉(粗め):適量
作り方
1. 玉ねぎの準備(甘みを引き出す)
1 フライパンにバターを熱し、みじん切りにした玉ねぎをじっくり炒めます。
2 薄い飴色になり、甘みが引き立ったら火を止め、お皿に移して冷蔵庫で完全に冷まします。
★マスターのこだわりポイント
温かいままの玉ねぎを肉に混ぜると、ひき肉の脂が溶け出してしまい、揚げた時に肉汁がすべて逃げてしまいます。「完全に冷ます」のが鉄則です。
2. 肉タネをこねる(スピード勝負!)
1 ボウルにキンキンに冷えた合挽き肉と塩(小さじ1/2)を入れます。
2 手の熱が伝わらないよう、氷水を張った別のボウルに重ね、手のひらで素早く、力強くこねます。
3 肉に白っぽい粘り(糸を引く状態)が出たら、冷ました玉ねぎと【肉タネの調味料】をすべて加えます。
4 全体が均一に混ざるまで、さらに素早く混ぜ合わせます。
3. 成形と空気抜き(絶対の盾を作る)
1 肉タネを2等分にし、1個ずつ手に取ります。
2 両手の間でキャッチボールをするように、手のひらに20回以上、強めに叩きつけて中の空気を完璧に追い出します。
3 厚さ2.5cm〜3cmほどの、丸々と太った綺麗な楕円形に整え、中央を少しだけくぼませます。
4. 衣付け
1 成形したタネに、小麦粉を薄く、隙間なくまぶします。
2 溶き卵にくぐらせ、目の粗い生パン粉を優しく、全体を包み込むようにしっかり纏わせます。
5. 揚げの工程(じっくり火を通す)
1 揚げ油を170度(低温〜中温)に熱します。
2 メンチカツを静かに投入します。極厚なので、最初は触らずじっくり火を通します。
3 3分ほど揚げたらひっくり返し、裏面も同様に3分ほど揚げます。
4 最後に火力を強めて油の温度を180度に上げ、衣をカラッと黄金色に仕上げます(合計で6〜7分)。
5 引き揚げて油をきり、3分ほど網の上で休ませて余熱で中心まで肉汁を行き渡らせます。
店主(創)からのワンポイントアドバイス
「食べる時は、最初は何もつけずに箸で真ん中を割ってみて。じゅわぁっと溢れる肉汁そのものが極上のソースだからさ。口いっぱいに広がるお肉の甘みを、炊きたての白飯で追いかけるのが最高だよ」
美味しいメンチはソース要らず!
お腹は空いた?




