第33話:都会の猛獣たちと、職人の『梅みぞれ』凱旋
「――うおぉぉぉぉぉぉん! 創ぉぉぉぉ! 会いたかった、本当に会いたかったよぉぉぉ!!」
午前11時。
2週間ぶりに『食事処 藤』の暖簾を掲げた瞬間、爆音の咆哮と共に店内に突っ込んできたのは、ガテン系姉御肌の常連、千草さんだった。
彼女は俺の姿を見るや否や、カウンターを飛び越えんばかりの勢いで身を乗り出し、俺の白シャツの袖をがっしりと掴んで目を血走らせた。
「あんたが居ない2週間、中央都の猛暑とマズいメシのせいで本当に死にそうだったんだからね! 噂じゃ、地方の泥棒猫の食堂を大繁盛させてきたって!? 私という最高のパトロンがありながら、浮気かい!?」
「いや、浮気って何ですか。ただの夏休みのお手伝いですって、千草さん」
俺――藤崎 創は苦笑いしながら、私服から着替えたばかりの清潔な調理服の袖をきゅっと捲り上げた。
「お待たせいたしました、創さん。……無事のご帰還、心からお祝い申し上げるわ」
千草さんの背後から、一分の隙もない完璧な高級スーツに身を包んだエリート一ノ瀬さんが静かに、だが執念に満ちた瞳で入店してきた。
「あなたの居ない中央都は、文字通り暗黒期だったわ。連日の猛暑で機能性ゼリーすら喉を通らず、私の今月の業績が3%も落ちたほどよ。……さあ、私の疲れ切った身体に、その逞しい腕で今すぐ活力を補給してちょうだい」
開店と同時に、店内は一瞬で熱狂的な都の女たちの熱気で満たされていった。
「お二人とも、暑さでかなり胃が参っているみたいですね。よし、それじゃあ――」
俺はいつもの裏表のない、飾らないナチュラルな笑顔を向け、包丁を力強く握り直した。
「この夏休み、港町で新鮮な魚をたくさん触って、改めて僕の『技術』を見つめ直してきたんです。その暑さを一瞬で吹き飛ばす料理を作りますから、食べていってください」
職人の手解き:鮮度差を凌駕する、職人の包丁捌きと『梅みぞれ』
俺が作ると決めたのは、中央都の夏にふさわしい至高の清涼メニュー――『大市場の極上真ダコと夏野菜の梅みぞれ和え定食』だ。
港町の獲れたてと違い、中央都の大市場に集まる魚介は、どんなに一級品でもわずかに鮮度が落ちる。だからこそ、料理人の『技術』で素材のポテンシャルを120点まで引き上げる。
「千草さん、一ノ瀬さん。よく見ていてください」
俺は大市場で目利きした、吸盤の吸い付きが素晴らしい大ぶりの真ダコを取り出した。
波を打つように包丁を細かく動かし、タコの身に数ミリ単位の美しい切れ目を入れながら、薄く、かつ芸術的な飾り切り(波造り)にしていく。
調理服の袖から覗く、毎日包丁を握り続けて鍛え上げられた、男らしい引き締まった前腕の筋肉。その無骨で美しい職人の佇まいに、千草さんも一ノ瀬さんも「っ……!」と息を呑み、顔を林檎のように真っ赤にして俺の手元に見惚れていた。
次に、しっかりと水分を切った大根おろし(みぞれ)に、丁寧に種を除いて叩いた紀州の高級梅干し、そして隠し味に、煮干しと昆布から極限まで濃く引いた『冷たい合わせ出汁』を数滴加える。
これを、細かく刻んだシャキシャキのキュウリや大葉、みょうがと一緒に、先ほどの真ダコと手早く和えていく。
「お待たせしました。『食事処 藤』特製、大市場の真ダコと夏野菜の梅みぞれ和え定食です。冷たいうちにどうぞ!」
都会の猛獣たちの陥落、そして再び始まる大戦争
「……タコの梅みぞれ和え? 暑さで食欲がすっかり落ちていたけれど、この香りを嗅いだだけで、なんだか急に胃袋が騒ぎ出してきたわ……」
一ノ瀬さんが、箸でみずみずしい梅みぞれをたっぷり纏ったタコを口へと運んだ。
シャキッ……コリィィッッ!!! ……じゅわぁぁぁ……っ!!!
「ーーーーーーーーっっっ!!!!」
一ノ瀬さんの身体が、ガタガタと激しく震えた。あまりの美味さと清涼感の衝撃に、目からぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「な、何これえええええええっ!? タコが……タコが信じられないくらいコリコリと心地よい弾力なのに、包丁の切れ目のおかげで、信じられないくらい柔らかく解けていく……っ吐息を漏らす暇もないくらい美味しいわ……っっ!!」
「どれ、私にも食わせろ! ……ガブッ、んんんんーーーっっっ!!!(悶絶)」
千草さんも猛烈な勢いで貪りついた瞬間、カウンターに拳を叩きつけて絶句した。
「梅の酸味がツンとこねぇ! すっごくまろやかで、その奥にあるお出汁の深いコクが、タコの甘みを限界まで引き立ててやがる! カリカリしたキュウリと、みょうがの清涼感が合わさって……クソ暑くてダレてた身体の芯から、冷たい風が吹き抜けていくみたいだ!! 飯だ、白飯をくれ!!」
都会の猛獣たちが、完全にエリートの理性も夏バテもぶっ飛ばし、野生の獣のように猛烈な勢いで梅みぞれを喰らい、大盛りの白米をかき込んでいく。
「美味すぎる……っ! さっぱりしてるのに、なんでこんなに白飯が進むんだよぉ!?」
「都の食材の弱点を、出汁の足し算と、完璧な包丁の入れ方で完全にカバーしてあるんです。これが僕の、中央都での戦い方ですから」
俺が頭を掻きながら、裏表のない、飾らないナチュラルな笑顔を向けると、千草さんも一ノ瀬さんも、ハァハァと熱い吐息を漏らしながら、カウンター越しに俺の両手をがっしりと握りしめた。
「創!! 頼む、もうどこにも行かないでくれ! 私が一生あんたの用心棒になって、悪い女から守ってやる! だから、私のお嫁さんになって、毎日この飯を食わせてくれ!!」
「ずるいわよ千草! 創さん、私のタワマンのキッチンをリフォームして、あなたためだけの最高級厨房を作ったわ! 今すぐ私と結婚して、私の専属料理人になってちょうだい!」
「いや、皆さん落ち着いてください。プロポーズなら他所でやってくださいね。ほら、おかわりならまだたくさんありますから」
俺がいつものように優しく微笑みながら、二人の空になった茶碗を受け取り、ふっくらとした白米を再びよそい始めると、女たちは「あ、あの包み込むような大人の包容力……やっぱりズルすぎる……っ!」「もう一生離さないんだから……っ!」と、顔を真っ赤にして悶絶し、カウンターに突っ伏してしまうのだった。
その日の夜。
大盛況の営業を終え、片付けをしていると、店の前に一台の最高級黒塗りリムジンが静かに停車した。
後部座席から降りてきたのは、天領グループの秘書。彼女は恭しく一礼すると、俺に一通の、薔薇の香りが漂う漆黒の招待状を手渡してきた。
「藤崎様。総裁・天領馨からの伝言です。『八重凪町での夏休みは楽しかったですね。ですが、中央都に戻った以上、私のターンです。近々、あなたを天領のすべての権力をもって、正式にお迎えに上がります』とのことです」
招待状には、中央都の最高峰が集う、今週末の『東西料理大極祭』のゴールドパスが挟れていた。
俺は苦笑いしながら、調理服の袖をきゅっと引き締めた。
「馨さん、本当に諦めが悪いな……。でも、望むところだ。どんな場所でも、僕のやるべきことは変わらないからね」
都会の猛女たちに、田舎から追いかけてくる巨頭。
路地裏の職人がもたらした『極上梅みぞれ』の熱狂は、中央都という巨大な戦場で、さらなる激動の『料理大戦争』へと突入しようとしていた。
『食事処 藤』凱旋・真ダコと夏野菜の梅みぞれ和え(2人前)
中央都のうだるような猛暑と、連日の激務。
疲れ果てて食欲が落ち、栄養ゼリーすら喉を通らなくなっていた千草や一ノ瀬さんのために、創が厨房で包丁を振るった至高の清涼メニューです。
大市場で仕入れた真ダコを、職人の「引き算」と「足し算」の技術で120点の芸術品へと昇華させ、さっぱりしているのに驚くほど白米が進む極上の小鉢に仕上げています。
材 料
真ダコ(刺身用・ボイル):150g
大根:5cm程度(すりおろして「みぞれ」にする)
キュウリ:1/2本
みょうが:1個
大葉:3枚
【極上梅みぞれダレ】
梅干し(肉厚で酸味がまろやかな塩分10%前後のもの):2個
醤油:小さじ1
みりん:小さじ1
砂糖:ひとつまみ
極濃和風合わせ出汁(昆布とカツオを限界まで濃く引いたもの):大さじ1(★これが味の決め手!)
作り方
1. 真ダコの「波造り」(素材を柔らかくする包丁技術)
1. タコの足をまな板に置き、包丁の刃を優しく前後に細かく波打たせるように動かしながら、3〜4mmの厚さで斜めに薄切りにしていきます(波造り)。
★マスターの技術ポイント
中央都の大市場で仕入れたタコは、普通にぶつ切りにすると少し硬さが目立ちがち。こうやって包丁の刃を細かく波打たせて、断面に無数の細かな切れ目(溝)を入れてあげるんだ。これだけで、噛んだ瞬間にコリコリとした心地よい弾力を残しながら、口の中でフワッと柔らかく解ける絶妙な食感に化けるのさ。
2. 夏野菜のシャキシャキ下処理
1. キュウリは縦半分に切ってから斜め薄切りにし、ごく少量の塩(分量外)を振って5分置き、キッチンペーパーで水分をギュッと絞っておきます。
2. みょうがは縦半分に切ってから斜め薄切り、大葉は千切りにし、サッと水にさらしてシャキッとさせ、水気を完全に切っておきます。
3. 梅みぞれダレの調合(酸味をコクに変える出汁の技術)
1. 大根はすりおろし、ザルに上げて自然に水分を切ります(手で強く絞りすぎず、大根の自然な甘みを残すくらいがベスト)。
2. 梅干しは種を除き、まな板の上で包丁の刃で叩いて滑らかなペースト状にします。
3. ボウルに、叩いた梅肉、醤油、みりん、砂糖、そして冷ましておいた極濃和風出汁(大さじ1)を加えてよく混ぜ合わせます。そこに、水気を切った大根おろしを投入してさっくりと混ぜます。
★マスターの技術ポイント
一ノ瀬さんたちが「梅の酸味がツンとこない」って驚いてただろ? 梅の強い酸味に対して、砂糖をドバドバ入れるのは野暮ってものさ。限界まで濃く引いた昆布とカツオの旨味(出汁)をほんの少し足してやるだけで、酸味が劇的にまろやかな『コク』に変わる。これが、都会の疲れた胃に優しく染み渡るための職人の計算なんだ。
4. 仕上げ(完璧な調和)
1. 大きめのボウルに、波造りにした真ダコ、下処理したキュウリ、みょうが、大葉を入れます。
2. 3の【梅みぞれダレ】をすべて加え、全体を優しく底からひっくり返すようにして手早く和えます。
3. 器に涼しげに盛り付けたら完成です!(冷蔵庫で10分ほどキンキンに冷やすと、さらに美味さが跳ね上がります)
店主(創)からのワンポイントアドバイス
「お待たせ。中央都の熱気でクタクタになった身体をシャキッと生き返らせる、特製の梅みぞれ和えさ。
さっぱりしているのに、奥にある出汁の旨味のおかげで、不思議なくらい炊きたての白米を欲する味に仕上げてある。
タコの代わりに、夏が旬の白身魚の刺身で作っても最高に美味いぜ。都会で戦うみんなも、この一皿でしっかり夏バテを吹き飛ばして、これからの毎日に備えてくれよな!」




