第30話:女帝のプロポーズと、地主のおばあちゃん
「――見つけましたよ、創。こんな辺境の潰れかけの食堂で、またしても女たちを狂わせる料理を作っているなんて。本当に、罪な男ですね」
『みなと食堂』の入り口に鳴り響く、カツ、カツ、という容赦のない硬いヒールの音。
押し寄せていた地元の女性客たちがその圧倒的な「支配者」の覇気に恐怖し、モーセの海割りのように一斉に左右へと道を開けた。
現れたのは、仕立てのいい漆黒の高級タイトスーツに身を包んだ、洗練された大人の色気を放つ女性。
『天領大御祭』の総裁にして、日本経済の頂点に君臨する巨大財閥の最高権力者――天領 馨だった。
「か、馨さん……!? どうしてここが……」
俺――藤崎 創は、私服の白シャツの袖を捲り上げたまま、思わず一歩後退りした。まさか、中央都から数時間も離れたこんな辺境の港町まで、自ら高級車を引き連れて直接強奪しに来るなんて、夢にも思わなかった。
馨さんは、店内に残る潮の香りを愛おしそうに肺いっぱいに吸い込むと、妖しく、そして狂おしいほどの独占欲を宿した瞳で俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「言ったはずですよ。天領の女が、一度目をつけた獲物を諦めることはないと。……創、あなたの夏休みはここまでです。これ以上、地方の泥棒猫どもにあなたのその逞しい腕や、無防備な笑顔を安売りさせるわけにはいかない。今すぐ私の本邸へ行きましょう。私の総資産の半分をあなたに譲渡し、一生、私の愛の檻の中で保護してあげます」
「な、何言ってるのよこの都会の女狐……っ! マスターは今、私と一緒にこの店を再建するって約束してくれたんだから!」
渚さんが顔を真っ赤にして、震える体で俺の前に立ちはだかる。カウンターの漁師たちも「そうだ!」と立ち上がるが、馨さんの背後に控える屈強な黒スーツのSPたちが一斉に一歩踏み出しただけで、その威圧感に気圧されて動けなくなってしまった。
「……身の程をわきまえなさい、田舎のメス猫ども。私とあなたたちとでは、動かせる金の桁が違う。必要なら、この八重凪町ごと私が買い取って、更地にしてあげてもいいのですよ?」
馨さんの冷徹な言葉に、店内の空気が凍りつく。一料理人を手に入れるために、町を一つ買い取る。冗談ではない、この世界の頂点に立つ女なら、本当にそれをやってのけるだけの権力があるのだ。
「馨さん、やめてください!」
俺は渚さんを背後に庇い、馨さんの前に一歩踏み出した。
「お断りします。僕は誰の専属にもならないし、囲われるつもりもありません。僕はただ、僕の料理を食べて笑顔になってくれる人のために……」
「ええ、その頑なな職人魂も本当に愛らしい。ですが、私の圧倒的な財力の前で、いつまでその言葉が保てるかしら――」
馨さんが勝利を確信したように艶やかな笑みを浮かべ、SPたちに目配せをした、その時だった。
最強の後ろ盾:大旦那の電撃参戦
「――おいおい、天領の小娘。私の可愛いお気に入りを、随分と安っぽい札束で脅してくれるじゃないか」
ガラガラガラガラッッッ!!!
食堂の引き戸が、今日一番の爆音と共に蹴破られるようにして開け放たれた。
そこに立っていたのは、男物の着物をラフに羽織り、白髪をいかつく結い上げた、一本の杖を突いた初老の女性。
この街の一帯を牛耳る地主であり、老舗工務店の先先代社長――天領馨すらも無視できない、俺の『食事処 藤』の最強の後ろ盾である『おばあちゃん(大旦那)』だった!
「だ、大旦那様……!? なんでここに……」
俺が驚きに目を見開くと、おばあちゃんは豪快に笑いながら、杖をドン!と床に叩きつけた。
「カッカッカ! 創、千草の奴から『天領の女狐が創を追いかけて田舎まで行った』って泣き言の電話が入ってねぇ。私の物件で汗水垂らして自立しようって男だてらの気概を持つ職人を、横からかっさらおうなんて、いい度胸じゃないかい。金なら私だって腐るほど持っている。あんたがこの町を買い取るってんなら、私はあんたの天領グループの株を市場から限界まで買い叩いて、経営陣を大混乱に陥らせてやってもいいんだよ?」
「……藤崎グループの先代大旦那、藤崎 烈……っ。まさか、引退した老いぼれが自ら出てくるとはね」
馨さんの顔から余裕が消え、冷徹な仮面の下でギリッと奥歯が鳴る。
最高権力者VS地域最高権力者。男料理人一人を巡る、貞操逆転世界の頂点による『合法強奪代理戦争』が、田舎の小さな食堂のど真ん中で火花を散らしていた。
職人の裁定:怪物を黙らせる『極上スズキの熱油ジュワッがけ』
空気の重さに、渚さんも漁師たちも息をすることすら忘れている。
だが、そんな張り詰めた空気の中、俺は深呼吸を一つすると、トントンと自分の肩を叩き、二人の怪物の間に割って入った。
「――大旦那様、馨さん。そこまでにしてください。ここはお店です。喧嘩をする場所じゃありません」
「「っ……」」
俺は白シャツの袖をきゅっと引き締め、いつもの裏表のない、飾らないナチュラルな笑顔を二人に向けた。
「せっかく漁師さんが持ってきてくれた、最高の『夏スズキ』があるんです。大旦那様も、遠くから来てお腹が空いているでしょう? 馨さんも、そんなに怖い顔をしていないで、僕の作ったご飯を食べていってください。……料理人として、お二人をおもてなしさせてください」
俺はすぐに厨房へ入り、タライの中で暴れる見事な夏スズキを一瞬で三枚におろした。透明感のある白身を薄切りにして大皿に美しく並べ、その上に刻んだネギ、生姜、大葉、みょうがといった夏の薬味を山盛りにのせる。
そして、小さな鍋で煙が出るほどカンカンに熱した特製のごま油と醤油のタレを――一気に上から回しかけた!
ジィィィィィィィィィヤァァァァァァッッッ!!!!
店内に響き渡る、激しくも官能的な、油と薬味が爆発する音!
それと同時に、熱せられたネギと生姜、そしてスズキの極上の脂が放つ『すべての理性を一瞬で消し飛ばす暴力的な香ばしさ』が、一瞬で店内に大爆発した。
数分後。二人の最高権力者の前に、薬味がシャキシャキと音を立てるスズキの熱油がけと、ツヤツヤの炊きたて白米が並べられた。
「いただきます……っ」
二人が同時に箸をつけ、タレと薬味をたっぷり絡めたスズキの身を口へと運ぶ。
シャキッ……じゅわああああっっっ!!!
「「ーーーーーーーーっっっ!!!!」」
二人の動きが完全に止まった。あまりの美味さの衝撃に、おばあちゃんは目を見開いて震え、馨さんはトロンと目を潤ませて、ハァ、と熱い吐息を漏らしながら、エリートの理性もプライドもすべてかなぐり捨てて、猛烈な勢いで白米をかき込み始めた。
「美味い……っ! 創、淡白なスズキの身に、この熱いゴマ油と香ばしい醤油ダレを合わせるか! 薬味のシャキシャキ感とお肉の弾力が合わさって、箸が止まらん!」
「何これ……信じられない……っ! 熱い油で表面だけ一瞬で半生に火が通っていて、中からスズキのピュアな旨味が押し寄せてくる……っ! 食べるだけで、胸の奥のドロドロした独占欲が、優しくほどけていくみたい……っ!」
二人が夢中で完食し、幸せそうなため息をついたところで、おばあちゃんがニヤリと不敵に笑った。
「さて、天領の小娘。創は私の大切なお気に入りであり、何より今は『夏休み』の真っ最中さ。あんたみたいな仕事中毒の女狐と一緒に中央都に戻って、また馬車馬のように働かされたんじゃ、この男らしい身体がもたなくなっちまうよ。創の夏休みは、まだあと1週間以上たっぷり残っているんだろう?」
「あ、はい。一応その予定ですけど……」
俺が苦笑いしながら答えると、おばあちゃんは杖を突き、馨を挑発するように言い放った。
「よし、決まりだ! 創の夏休みを邪魔する奴は、この私が許さん。……天領の小娘、創を連れ帰るのが無理だと分かったなら、とっとと都へ帰りな!」
だが、馨は負けじと立ち上がり、乱れた高級スーツを正しながら、創を狂おしいほどに見つめて宣言した。
「いいえ、帰りません。創がここに留まり、まだ夏休みが続くというのなら――私も総帥としての全公務をここにリモートで移転させ、この八重凪町に滞在します! 創の傍を片時も離れるつもりはありません!」
「なんだとぅ!? なら私だってここに居座って、毎日創の飯を食ってやるよ!」
「「ええええええええええっっっ!!!朝から大戦争だよお!!!???」」
店内に、渚さんと漁師たちの絶叫が響き渡る。
中央都を動かす二大巨頭が、まさかの『田舎に居残り宣言』。俺を巡る強奪戦は、終わるどころか、この静かな港町を舞台に、まさかの長期滞在型夏休み大戦争へと突入してしまったのだ。
「あはは……。まあ、おかわりならまだたくさんありますから、喧嘩しないでくださいね」
俺は困ったように頭を掻きながらも、二人の空になった茶碗を受け取り、ふっくらとした白米を再びよそい始めるのだった。
都会の喧騒を離れたはずの八重凪町。
だけど、二大女帝を巻き込んだ創の『嵐の夏休み』は、ここからさらに加速して、とんでもない大熱狂へと向かっていくのだった――。
『みなと食堂』夏スズキの熱油ジュワッがけ(2人前)
材 料
新鮮なスズキの刺身用ブロック(またはマダイ、ヒラメなどの白身魚でも代用可):150〜200g
塩:少々(下処理用)
【山盛りの夏薬味】
長ネギ:1/2本(みじん切り)
生姜:1片(みじん切り)
大葉:5枚(千切り)
みょうが:1個(千切り)
かいわれ大根(お好みで):適量
【理性を吹き飛ばす熱油ダレ】
ゴマ油:大さじ3
サラダ油:大さじ1(★ゴマ油だけだと重くなるので、ブレンドしてキレを出します)
醤油:大さじ2
みりん:大さじ1
砂糖:ひとつまみ
作り方
1. スズキの下処理(旨味の凝縮)
1 スズキの柵の両面に、ごく薄く塩を振り、5分ほど置きます。
2 表面に浮き出てきた水分を、キッチンペーパーでしっかりと拭き取ります。
★マスターのこだわりポイント
どんなに新鮮な魚でも、この塩のひと手間で余分な水分と臭みが抜けて、身の弾力が劇的にアップするんだ。白身魚のピュアな甘みが引き立つよ。
3 水気を拭き取ったスズキを、できるだけ薄く、そぎ切り(刺身)にします。
2. 薬味のレイヤー盛り(食感のベース作り)
1 大きめの平皿に、そぎ切りにしたスズキを少しずつ重ねながら、美しく円状に並べ広げます。
2 その上に、みじん切りにした長ネギと生姜を、魚の身を覆うように全体に散らします。
3 さらにその上から、千切りにした大葉とみょうが(お好みでかいわれ大根)を、中央に山盛りにのせます。
★ここが職人の技!
魚のすぐ上にネギと生姜をのせるのがポイントさ。後からかける熱い油がこの2つに直接当たることで、生姜のキレとネギの甘みが極上のソースに化けるんだ。
3. タレの調合と加熱(ジィィィィャァァァの準備)
1 小さなフライパンか手鍋に、【熱油ダレ】の材料(ゴマ油、サラダ油、醤油、みりん、砂糖)をすべて入れ、よく混ぜ合わせます。
2 強火にかけ、じっくりと熱します。煮汁がブツブツと泡立ち、鍋肌からうっすらと煙が立ち上る直前まで、カンカンに熱くします。
★ここが最大の山場!
馨さんが絶句したあの音の正体さ。ぬるい油じゃ、ただの油っこい刺身になっちまう。煙が出る一歩手前の「超高温」まで一気に引き上げるのが、職人の手解きだよ。
4. 運命の熱油がけ(一発勝負のレア火入れ)
1 煙が立ち上る寸前の熱々タレを鍋ごと持ち、薬味が山盛りになったスズキのお皿の上から、一気に全体へ回しかけます!
ジィィィィィィィィィヤァァァァァァッッッ!!!!
1 激しい音と共に、薬味の香ばしい匂いが爆発したら大成功です。熱が逃げないうちに、すぐに食卓へ運びます。
店主(創)からのワンポイントアドバイス
「熱い油がかかった瞬間、スズキの表面だけがキュッと白くなって、絶妙な『半生』に仕上がる。これが最高に美味いんだ。
食べる時は、下のスズキの身で、上のシャキシャキした薬味をたっぷり巻き込むようにして、タレごと豪快に口へ放り込んでくれ。
香ばしいゴマ油醤油のパンチと、みょうがや大葉の爽やかな風味が、夏スズキの上質な脂と完璧に融合して、文字通り白飯が無限に消えていくぞ。
おばあちゃんと馨さんがお茶碗を叩いておかわりを要求した至高の味、ぜひお家でもカンカンに熱した油の音と一緒に楽しんでみてくれよな!」




