第29話:漁師たちの朝飯と、黄金アジの漆黒煮付け
「マスター! 昨日最高のアジフライを食わせてくれたお礼に、今朝獲れたての一番いいやつを持ってきたぜ!」
翌朝、午前6時。
まだ朝靄が残る『みなと食堂』の勝手口の引き戸が、威勢よく開け放たれた。
やってきたのは、昨夜の極上アジフライですっかり俺の胃袋の奴隷となった漁師の頭たちだ。彼女たちが抱えるタライの中には、バチバチと激しく跳ね回る、文字通り黄金色に輝く丸々と太った最高級のアジがひしめき合っている。
「うわぁ、これは素晴らしいアジですね……! ありがとうございます」
俺――藤崎 創が、私服の白シャツの袖を捲り上げてタライを覗き込むと、海の荒くれ女たちは「っ……!?」と一瞬で顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
朝一番の無防備な俺の笑顔と、シャツの隙間から覗く引き締まった鎖骨に、完全にノックアウトされているらしい。
「あ、あの、マスター……! 今日はこれで、またあのアジフライを教えてくれるの?」
隣で渚さんが、ノートとペンを握りしめながら目を輝かせて聞いてくる。
「いえ。アジフライも最高ですけど、これだけ脂がのった鮮度抜群のアジなら――今日は『煮付け』にしましょう」
「えっ? 青魚の煮付け……? それって、すごく生臭くなって難しいんじゃ……」
渚さんが不安そうに首を傾げる。この世界の女性たちが作る魚の煮付けといえば、力任せに醤油と塩で煮詰めた、身がパサパサで生臭い、お世辞にも美味しいとは言えないものばかりだったからだ。
「大丈夫です。正しい下処理と、火入れのコツさえ掴めば、生臭さなんて一瞬で消え去りますから。……さあ、漁師の皆さんも、朝飯を食べていってくださいね」
俺が不敵に微笑み、腰元のエプロンをきゅっと締め直すと、カウンターに並んだ漁師たちは「マスターの煮付け……!」「効率重視のゼリーなんて今朝は一本も吸ってねえぜ!」と、期待で目をギラつかせた。
職人の手解き:生臭さを完全圧殺する『霜降りの一手』
「渚さん、魚の煮付けで一番大事なのは、煮る前の『下処理』です。アジのウロコと内臓を取ったら、ここに一度、熱湯をさっと回しかけてください」
俺の指示通り、渚さんが緊張しながらアジに熱湯をかける。表面の皮がキュッと縮み、白っぽく変化していく。
「すぐ冷水にとって、表面のヌメリや血合いを優しく洗い流します。これを『霜降り』って言うんです」
「わぁ……! 触ってみると、さっきまでの生臭さが全然しない……!」
「そう、この一手間で魚の臭みは完全に消えるんです。次はタレですね。醤油、酒、みりん、砂糖、そしてたっぷりのスライス生姜。ここに、煮干しと昆布から丁寧に引いた『合わせ出汁』を少し加えるのが、俺のやり方です」
渚さんが驚きの声を上げる中、俺は大きな平鍋に調味料を合わせ、強火で一気に沸騰させた。
グラグラグラッ!!!
煮立った漆黒のタレの中に、下処理を終えた黄金アジを静かに並べる。
すかさず、クッキングペーパーで作った落とし蓋をのせた。
「煮付けは、弱火でダラダラ煮ちゃダメなんです。強火のまま、泡立った煮汁を落とし蓋に当てて、アジの表面を覆うようにして一気に火を通す。そうすれば、旨味も肉汁も全部中に閉じ込められますから。時間は5分、一発勝負です!」
強火のバーナーの炎に照らされ、汗を光らせながら鍋を見つめる俺の真剣な横顔。
その圧倒的な男らしさと職人のオーラに、客席の女たちは完全に気圧され、ゴクリと激しく喉を鳴らした。
タレの甘辛い香りと、生姜の爽やかなパンチ、そしてお魚の濃厚な脂が混ざり合った『全人類の白米の本能を呼び覚ます究極の香り』が、一気に店内に大爆発した。
漆黒の芸術、海の女たちの胃袋を完全調教
「はい、お待たせしました。『みなと食堂』特製、黄金アジの甘辛生姜煮付け定食です」
目の前に並べられたのは、艶やかな漆黒のタレをたっぷりと纏い、ふっくらと盛り上がったアジの煮付け。横には、出汁が芯まで染みたホクホクの針生姜と、ツヤツヤの炊きたて大盛り白米。
「……いただきますっ!」
漁師の頭が我慢できずに箸を入れ、アジの身を大きく崩した。
ホロリッ……。じゅわあああ……っ!!!
「ーーーーーーーーっっっ!!!!」
身を割った瞬間、信じられないほどの白煙と共に、中に閉じ込められていたアジの濃厚な脂がじゅわっと溢れ出た。彼女はそれを豪快に口へと放り込む。
「な、何これえええええええっ!? 青魚の煮付けなのに、生臭さが1ミリも無いどころか、お肉が信じられないくらいフワッフワで柔らかい……っっ!!」
「タレが……っ、タレの濃厚な甘辛さの奥に、すっごく深いお出汁のコクがある! 生姜のキレも最高で、噛むたびにアジの純粋な旨味だけが脳天を突き抜けていくわ……っ!」
他の一緒にいた漁師たちも、野生の獣のようにアジの身を貪り、漆黒の極上タレをご飯に豪快に回しかけて、大盛りの白米を猛烈な勢いでかき込み始めた。
「白飯が、白飯が無限に消えていくぞおおお!!」
「今まで食べてた機能性ゼリーはいったい何だったんだ……! 食べるって、こんなに幸せなことだったのかよ……っ!」
海の猛者たちが、あまりの美味さに涙を流し、完全に創の料理の奴隷と化していく。
渚さんも自分の手がけた魚がここまで化けたことに感動し、「マスター……私、あなたの一生の後ろ盾になりたい……!」と、顔を真っ赤にして俺の手を握りしめようとしていた。
その日の昼前。
アジフライに続き、朝から放たれた『極上煮付け』の匂いの暴力は、港町中の女性たちを完全に狂わせていた。
噂を聞きつけた町民たちが、開店前から『みなと食堂』の前にとんでもない大行列を作り始めていたのだ。
そんな大熱狂の渦中にある食堂のすぐ目の前。
突如として、何十台もの高級黒塗りSUVが、砂埃を上げて路地を完全に封鎖した。
車内から降りてきたのは、漆黒のスーツを着た、天領グループの精鋭ガードマンたち。
そしてその中央、最高級リムジンの扉がゆっくりと開くと、洗練された大人の色気を放つ総裁――天領 馨が、ヒールの音を響かせてアスファルトを踏みしめた。
行列に並んでいた田舎の女性たちが、その圧倒的な覇気に恐怖して次々と道を開ける。
馨は、食堂の換気扇から漂う、甘辛い生姜とアジの煮付けの香りを小さく鼻で吸い込むと、妖しく、そして狂おしいほどの独占欲に満ちた笑みを浮かべた。
「ふふ……唐揚げの次は、魚の煮付けですか。どこへ行っても、私の心を焦がす天才料理人……。創、迎えに来ましたよ。さあ、私だけの城へ帰りましょう」
夏休みを満喫していたはずの創の元へ、ついに世界最高峰の権力者が直接その手を伸ばす。
静かな港町を舞台にした、最大大手の女帝による『創・強奪作戦』が、いよいよ幕を開けようとしていた。
『みなと食堂』奇跡の復活・黄金アジの甘辛生姜煮付け(2人前)
材 料
新鮮なアジ(丸ごと、または筒切り・二枚おろしなど):2尾
生姜:1片(半分は薄切り、半分は仕上げの「針生姜」用)
熱湯(下処理用):適量
冷水(下処理用):適量
【白米の本能を呼び覚ます漆黒の煮汁】
醤油:大さじ3
酒:大さじ4
みりん:大さじ3
砂糖(できれば三温糖やザラメだとコクが出ます):大さじ1と1/2
和風合わせ出汁(昆布とカツオ、または煮干し出汁):50ml(★これが都会の技、タレを化けさせる隠し味!)
作り方
1. 創流「霜降り」の下処理(生臭さの完全圧殺)
1 アジはウロコ、エラ、内臓を綺麗に取り除き、表面の水気を軽く拭き取ります(切り身でも可。味が染み込みやすいよう、皮目にバッテンの切れ目を入れておきます)。
2 アジをザルに並べ、沸騰したての熱湯を両面にサッと回しかけます。皮がキュッと縮み、表面がうっすら白くなればOKです。
3 すぐに冷水(氷水ならなお良し)に浸し、表面に浮き出た白い脂の塊、残ったウロコ、内臓の奥にある赤い血合いを、指先で優しく綺麗に洗い流します。
4 水から引き揚げ、キッチンペーパーでこれでもかというくらい完全に水気を拭き取ります。
★マスターのこだわりポイント
渚さんが失敗してた一番の原因はこれさ。この「霜降り」をやるだけで、魚の生臭さやアクが完全に抜ける。仕上がりの上品さが次元違いになるんだよ。
2. 煮汁の沸騰(旨味を閉じ込める準備)
1 生姜の半分は薄切りにし、残り半分はできるだけ細く切って水にさらし、トッピング用の「針生姜」にしておきます。
2 底が広めの平鍋(または大きめのフライパン)に、【漆黒の煮汁】の材料(醤油、酒、みりん、砂糖、和風出汁)と、薄切りにした方の生姜をすべて入れ、強火にかけます。
3 煮汁がグラグラと完全に沸騰し、大きな泡が湧き立つまでしっかり待ちます。
3. 強火の一発勝負(フワフワ食感を残す技)
1 煮汁が激しく沸騰しているところへ、下処理したアジを重ならないように静かに並べ入れます。
2 すぐにクッキングペーパー(またはアルミホイル)真ん中に穴を開けた「落とし蓋」を上からぴったりと被せます。
3 火加減は「強火のまま」! 弱火に落とさず、沸騰した煮汁の泡が落とし蓋を押し上げ、アジの上部にも常に漆黒のタレが循環してかかり続ける状態をキープします。
4 そのまま強火で一気に【5分間】煮込みます。
ここが職人の手解き!
煮魚は弱火でコトコト煮るイメージがあるかもしれないけど、青魚を優しく煮すぎると旨味が全部外に逃げて、身がパサパサになっちまうんだ。強火の泡で包み込むように一気に熱を通すことで、アジの濃厚な脂と肉汁をすべて内側に閉じ込めることができるんだよ。
4. 仕上げと盛り付け
1 5分経ったら落とし蓋を外し、お玉で鍋底の煮汁をアジの表面に数回とろりとかけて、照りを出します。
2 アジが崩れないようにフライ返しなどで優しく器に盛り付け、鍋に残った生姜の利いた甘辛いタレを上からたっぷりと回しかけます。
3 最後に、水気を切ったみずみずしい針生姜を天盛りにしたら完成です!
店主(創)からのワンポイントアドバイス
「八重凪の海の女たちが野生に戻ってかき込んだ煮付けの完成さ。
箸を入れた瞬間、ホロリと崩れるフワフワの身。中から溢れる黄金アジのジューシーな脂。それが生姜のキレをまとった漆黒の甘辛ダレと混ざり合う……。
行列に並ぶ女たちが言ってた通り、この煮汁をご飯に少し回しかけて、アジの身と一緒に口へ放り込むのが一番美味い食べ方だ。機能性ゼリーじゃ絶対に味わえない『本物の飯の美味さ』、ぜひ自宅でも炊きたての白米を山盛り用意して試してみてくれよな!」




