第25話:暴走する愛と財力、路地裏の防衛戦
『天領大御祭』の総裁・天領馨から深夜の勝手口で恐ろしい警告(という名の宣戦布告)を受けてから、数日が経った。
馨の言葉は、悲しいかな100%的中していた。
「――ちょっと店主さん! この店の『唐揚げ定食』を全部、うちの会社で買い占めたいの! 予算ならいくらでも出すわ!」
「寝言言ってんじゃないわよ! うちのテレビ局の独占密着が先よ! マスター、お願い、その逞しい腕をカメラの前で振って!」
昼時の『食事処 藤』は、天領大御祭での伝説を知った大企業の女社長やメディアの幹部たちが押し寄せ、札束と名刺が飛び交う大パニックに陥っていた。
彼女たちの目は、もはや料理を食べに来た客のそれではない。国宝級の男料理人をなんとかして自分の息の根がかかった場所に「囲い込もう」とする、完全にハンターの目だった。
「あの、すみません、うちは普通に食事をしてもらう店ですから、買い占めとか密着とかは……」
俺――藤崎 創が困惑しながら、調理服の袖を捲り上げて対応していると――
ドン!!!
「おいコラ泥棒猫ども! 営業の邪魔だってのが分かんねえのか! 飯を食わねえなら、その高級スーツごと路地裏のゴミ箱に叩き込んでやるぞ!」
カウンター席から立ち上がったのは、作業着姿も雄々しい常連の千草だった。鋭い眼光で周囲の女たちを威嚇する姿は、完全に「店の用心棒」そのものだ。
さらにその隣では、一ノ瀬が冷徹な笑みを浮かべながら、自身の名刺をカウンターに叩きつけていた。
「あら、そちらの会社、最近業績が傾いているんじゃなくて? 『藤』の、いえ、私の店主さんに妙な圧力をかけるなら、我が一ノ瀬グループの総力を挙げて、明日にはあなた方の市場価値をゼロにしてあげてもいいのよ?」
「ひっ……一ノ瀬コーポレーション……!?」
「それにあのガテン女、おばあちゃん(大旦那)のところの現場監督か……!」
最強の常連二人による命がけのディフェンスにより、ハイエナのような女たちは渋々引き下がっていく。
だが、店内にはまだ、お祭りの熱狂から冷めないエリートOLや良家のお嬢様たちが、虎視眈々と俺を狙ってギチギチに満席のまま席を埋めていた。
職人の意地:荒れる客たちを黙らせる、懐かしの甘辛お肉
「ふぅ……千草さん、一ノ瀬さん、助かったよ。ありがとう」
「気にするな! 創は俺が守るって決めてんだ!」
「当然の義務よ、店主さん。それで……今日のメニューは何かしら? 正直、これだけ有象無象の女たちに囲まれていると、私の胃も限界だわ」
一ノ瀬が少し疲れた様子で、だけど俺の身体を心配するように視線を送ってくる。
周囲の新規客たちも、「あの伝説の唐揚げかしら?」「フレンチの巨匠をなぎ倒した男の料理、早く食べたいわ!」と、殺気立った空気で厨房を凝視していた。
俺はふっと微笑み、大きな中華鍋を火にかけた。
「今日は唐揚げじゃないんだ。みんな、お祭りの熱気で少し疲れが溜まってるみたいだからね。スタミナがついて、どこかホッとする、僕の始まりのメニューだよ」
俺が作ったのは、第一話で千草と一ノ瀬の胃袋を完全に掴んだ、あの『特製・豚の生姜焼き定食』だ。
熱したフライパンに油を引き、厳選した豚の肩ロース肉を投入する。
じゅうううううううっっっ!!!
小気味よい音と共に、お肉の焼ける香ばしい匂いが立ち上る。
醤油、みりん、酒、たっぷりのすりおろし生姜。そこに、肉を劇的に柔らかくし、自然な甘みを出す「すりおろし玉ねぎとはちみつ」をブレンドした特製タレを、強火で一気に絡める!
パチパチパチッ! ジャァァァァァッ!!!
甘辛く、そして生姜のピリッとした官能的な香りの爆弾が、一瞬で店内に充満した。
お祭りの新メニューを求めて殺気立っていた新規の女たちの喉が、一斉に「ゴクリ」と大きく鳴る。
「はい、お待たせ。生姜焼き定食ね。ご飯、大盛りにしておいたよ」
原点にして至高、そして更なる包囲網
「これよ……! これが私の愛した、彼のすべての始まり……っ!」
一ノ瀬が上品に、しかし猛烈な勢いで肉を頬張り、うっとりと目を細める。
「丁寧にすりおろされた生姜の刺激が、張り詰めた脳の疲れを極上のお出汁のように優しくほどいていくわ……!」
「やっぱり最高だ! 創の生姜焼きを食べると、五臓六腑に力がみなぎるぜ!」
千草もガツガツと白米をかき込み、完全に至福の表情を浮かべていた。
そして、お祭り目当てでやってきた新規の女性客たちも、一口食べた瞬間、その場に凍りついた。
「なにこれ……! 唐揚げだけじゃないの!? この生姜焼き、お肉が信じられないくらい柔らかくて、タレのコクが異常なほど深い……っ!」
「ただ塩辛いだけの外食や、冷たい栄養ゼリーとは次元が違う……。食べるだけで、なんだか涙が出そうなくらい優しい味がする……っ!」
店内は一瞬にして、トロンと目を潤ませた女たちの幸福な溜息で満たされた。
「やっぱりこの男、絶対に私のタワマンに連れて行くわ……」「いや、私の別荘よ!」と、結局はさらに求婚の熱が上がってしまったのだが、俺はいつものように「おかわり、まだあるからね」と、飾らないナチュラルな笑顔でふっくらとした白米をよそい続けた。
22時。ようやく全ての営業が終わり、嵐のような一日が幕を閉じた。
千草と一ノ瀬が「夜道は危険だから」と、店の前でどちらが俺を家まで送るかで激しく揉み合っているのを苦笑いしながら見送り、俺は勝手口の片付けをしていた。
「ふぅ……生姜焼き、みんな喜んでくれて良かったな」
冷たいお茶を飲みながら、ふと夜空を見上げる。
天領馨の言った通り、これから先、もっと多くの女たちが俺を狙って押し寄せてくるのかもしれない。だけど――。
「どんな世界でも、どんなに人が押し寄せても、俺にできる事は料理だけだからな」
厨房の道具を愛おしそうに磨きながら、俺は明日仕込むお肉の量を少し増やそうと決めた。
路地裏の職人の包容力は、世界がどれほど狂おうとも、決してブレることはない。
だがその頃、街の最高層ビルの一室では、天領馨が俺の『豚の生姜焼き』のデータを眺めながら、不敵な笑みを浮かべていた。
「ふふ……唐揚げの次は、始まりの生姜焼きですか。どこまでも私の独占欲を煽ってくれる男。……さて、次の一手を始めましょうか」
創を巡る、世界の頂点たる女たちの『合法誘拐大戦争』の火蓋は、すでに切って落とされていた。




