第26話:職人の夏休みと、寂れた港町の潰れかけ食堂
「――よし、これでお昼の営業は一段落、と」
うだるような暑さが続く8月の初頭。俺――藤崎 創は、白い調理服の袖で額の汗を拭いながら、厨房の片付けを終えて息をついた。
『天領大御祭』での大熱狂以来、ありがたいことに『食事処 藤』には連日、凄まじい数のお客さんが行列を作ってくれている。千草さんや一ノ瀬さんといったいつもの常連さんに加え、お祭りでうちの唐揚げを食べてくれた新規の人たちもたくさん来てくれて、店はかつてないほどの活気に満ちていた。
ただ、毎日朝から晩まで休む間もなく厨房に立ち続けていたこともあって、流石に少し身体に疲れが溜まってきたのを感じる。
「創、あんた最近ちょっと働き詰めじゃないかい? 顔にも少し疲れが出てるよ」
カウンターで冷たい麦茶を飲みながら、ガテン系姉御肌の千草が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「ええ、私もそう思っていたわ」
その隣に座るエリートキャリアウーマンの一ノ瀬も、上品にグラスを置きながら頷く。
「これだけ毎日大繁盛しているのだから、ここらで少し休暇をもらったらどうかしら。身体を壊してしまっては元も子もないわ」
「休暇、か……」
二人の優しい気遣いに、俺はふっと自分の両手を見つめた。確かに、ここらで少し骨休めをして、リフレッシュするのもいいかもしれない。
「そうだね。じゃあお言葉に甘えて、ちょっと数日間、のんびりと夏休みをもらおうかな」
俺が笑顔でそう言うと、二人は「それがいいわ!」「ゆっくり休んできな!」と、我が事のように嬉しそうに送り出してくれたのだった。
そうして中央都から特急列車に揺られて数時間。俺がやってきたのは、静かな沿海地方にある『八重凪町』という寂れた港町だった。
スマホの電源を完全に切り、私服の白シャツの袖を軽く捲り上げて、潮風が吹く静かな町を歩く。都会のあの喧騒が嘘のように、ここにはのんびりとした時間が流れていた。すれ違うのは、畑仕事や漁の準備をする地元の女性たちだけだ。
「よし、せっかくの夏休みだ。のんびり街を散策しよう」
しばらく歩いていると、海岸沿いの寂れた通りに、一軒の古びた食堂がぽつんと佇んでいるのが目に留まった。
潮風で色褪せた暖簾には『みなと食堂』の文字。だが、お昼時だというのに店内に人影はなく、入り口の横には、手書きで小さく『今月末で閉店します』と書かれた張り紙が寂しげに揺れていた。
「……やってるのかな」
ガラガラと年季の入った引き戸を開けると、店内にはクーラーの静かな音だけが響いていた。カウンターの奥から顔を出したのは、髪を後ろで結んだ、疲れ切った表情の若い女性店主だった。
「いらっしゃい……。ごめんなさいね、もう店じまいの準備をしてて、大したものは作れないんだけど……」
「あ、大丈夫です。あるもので構いませんよ」
俺がカウンターに腰掛けて注文したのは、この店の看板メニューらしい『アジフライ定食』。
数分後、出された料理を見て、俺は料理人として少しだけ胸が痛んだ。
アジフライは衣が油を吸って少しベチャっとしており、付け合わせのキャベツは乾燥している。味噌汁を一口すすると、出汁の香りはほとんどなく、ただ塩辛い味噌の味だけがトゲトゲしく口の中に残った。
女性店主は、カウンターの奥で力なくタオルの上に顎を乗せ、ため息をついた。
「やっぱり、不味いよね。……分かってるの。おばあちゃんからこの店を継いだときは、もっと活気があったんだけど……。最近はゼリー飲料やプロテインバーの方が効率がいいって、地元の漁師たちも誰も来なくなっちゃって。私が料理の才能ないから、人が来ないのか、それとも時代遅れなのか……。もう、店を畳むしかないかなって」
彼女の言葉は、かつて機能性だけを重視した味気ない栄養食ばかりを食べていた、都会の女たちの姿と重なった。
この世界の女性たちは、本当に美味い「本物の家庭の味」を知らないだけなのだ。料理が不味いからじゃない、彼女はただ、正しい出汁の引き方も、職人の手解きも知らないだけ。
「――あの、すみません」
俺は白米を綺麗に平らげ、箸を置くと、調理服ではない私服のシャツの袖をさらに上へと強く捲り上げた。
「僕、中央都で小さな定食屋をやってるんです。料理、出来るんですよ。……もしよければ、その店、僕に少しだけ手伝わせてもらえませんか?」
「え……? あなた、男の子……だよね?」
女性店主は、目の前の男らしい体躯をした俺が、真剣な職人の目で厨房を見つめている姿に、思わずぽかんと口を開けて絶句した。
「せっかくの美味しい地元の魚です。このまま終わらせちゃうのは、もったいないですよ」
俺はいつものように、裏表のない、飾らないナチュラルな笑顔を彼女に向けた。
休暇をもらいにやってきたはずの夏休み。だが、目の前で潰れかけている食堂と、料理に悩む一人の女性を、俺の職人魂が放っておけるわけがなかった。
貞操逆転世界の片田舎で、路地裏の料理人による、常識破りの「食堂再建アドバイス」が、今ここに始まろうとしていた。




