第2話:新しい常連と、胃袋を掴む「黄金色のアジフライ」
『食事処 藤』を開店して数ヶ月。
地主のばあちゃんという最強の後ろ盾のおかげで、男一人、夜の路地裏で襲われることもなく、俺はマイペースに店を続けていた。
だが、ある日の仕込み中、ばあちゃんがフラリと店にやってきて、カウンターにドカッと座るなりこう言ったのだ。
『創よ。お前の飯が美味いのは百も承知だが……さすがに客が少なすぎやしないか?』
「え? 毎日、千草や一ノ瀬が来てくれてますし、細々とやっていければ俺は十分ですけど……」
『アホ言え』と、ばあちゃんはキセルをコンと叩いた。
『男だてらにこれほどの腕を持ちながら、身内の数人だけにしか振る舞わんなど宝の持ち腐れだ。いいか、今月中に新しい客を増やせ。さもなきゃ、強制的に私の屋敷に連れ戻して、私の専属料理人(身内)として囲い込んでしまうからな』
「ええっ!? それは困ります!」
『なら、新しい常連を引っ張ってくるんだな』
ニヤリと不敵に笑うばあちゃんの顔は、完全に「面白いおもちゃを見つけた悪ガキ」のそれだった。
男が自立して店を持つだけでも奇跡なのに、これ以上客を増やすなんて、一体どうすれば……。
午後7時:迷い込んできた「お疲れ女子」
その日の夜。いつも通り千草と一ノ瀬がカウンターに並び、ばあちゃんの無茶振りについて俺が愚痴をこぼしていた時のことだ。
「……というわけで、客を増やさないと店を畳まなきゃいけなくなって」
「はぁ!? 大旦那様、何考えてんだ! マスターの飯が外の女どもに知られたら、それこそライバルが増えて大戦争になるだろ!」
「ええ、私も反対だわ。この隠れ家のような空間だからこそ、私たちは癒やされているのに……」
二人が本気で頭を抱えていた、その時だった。
ガラガラ、と弱々しく引き戸が開き、一人の女性が迷い込んできた。
「あ、あの……ここ、ご飯食べられますか……?」
着古したスーツをヨレヨレにし、目の下に濃いクマを作った小柄な女性。手には大きなアタッシュケース。この世界の一般的な「肉食系女子」とは違い、完全に仕事のプレッシャーで擦り切れ、今にも泣き出しそうな「社畜OL」という佇まいだった。
「いらっしゃい。もちろん大丈夫だよ。カウンターへどうぞ」
俺が笑顔で迎えると、女性は一瞬、俺の姿(エプロン姿の男)を見てフリーズしたが、あまりの疲労からか、ふらふらと席に就いた。
「何にします? 今夜のおすすめは『アジフライ定食』だけど」
「じゃあ……それで、お願いします……。もう、今日締め切りの大仕事で何も食べてなくて……」
職人のこだわり:サクサクの黄金色
この世界のアジフライといえば、大量の油で雑に揚げられ、骨もまともに抜かれていない硬い皮の塊、あるいは冷凍の衣だらけの代物だ。
だが、俺の仕込みは違う。
毎朝、市場で仕入れた新鮮なアジを丁寧に三枚におろし、小骨を一本残らずピンセットで抜き取る。そして、軽く塩胡椒を振った後、薄く小麦粉をはたき、溶き卵にくぐらせてから、あえて「生パン粉」を粗めにまぶす。
「よし、揚げるよ」
180度の高温に熱した油に、アジを静かに投入する。
シュワァァァ……と小気味よい音が店内に響き、香ばしいパン粉の香りが広がっていく。
千草と一ノ瀬は、新参者の女性を「おい、新入り。お前はこれからとんでもない奇跡を目撃するぞ」と言わんばかりの、妙に誇らしげな目で見守っていた。
外側を短時間でサクッと揚げ、中は余熱でふっくらと火を通す。
黄金色に輝く、大ぶりのアジフライが2枚、お皿に盛り付けられた。
「お待たせ。アジフライ定食ね。ソースでもいいし、こっちの自家製タルタルソースも合うよ」
目の前に置かれたのは、箸を入れずとも分かるほどサクサクの衣を纏ったアジフライ、山盛りのキャベツ、ツヤツヤの白米、そしてアサリの味噌汁。
「いただき、ます……」
疲れ切った女性が、まずはタルタルソースをたっぷりつけて、アジフライにガブッと噛み付いた。
胃袋を掴まれた社畜、限界を迎える
サクゥッ!!!
信じられないほど軽やかで、小気味よい音が店内に響き渡る。
その瞬間、女性の身体がビクッと跳ね上がった。
「――っ!? な、にこれ……っ!?」
女性の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「衣が……羽みたいに軽くてサクサクなのに、中のお魚が、信じられないくらいフワフワでジューシー……! 青魚の臭みが全くなくて、旨味だけが口の中に広がる……っ!」
彼女は泣きながら、猛烈な勢いでアジフライを齧り、白米をかき込み始めた。
「美味しい……美味しいよぉ……! 毎日深夜まで残業して、冷え切った栄養ゼリーばっかり食べて……何のために生きてるか分からなくなってたのに……こんな温かくて、優しいご飯……っ!」
「おいおい、泣くなって。お疲れ様。よく頑張ったね」
俺が苦笑しながら温かいお茶を差し出す。
女性はハッと我に返り、涙を拭うと、猛烈な勢いでアサリの味噌汁を飲み干し、一気に完食してしまった。そして、カウンターに身を乗り出し、俺の両手をがっしりと握りしめた。
「マスター……!! 私、明日からも生きられます! お願いです、私をあなたの店に毎日通わせてください! もしよかったら、私があなたを買い取って、一生美味しいものを食べられる生活を保障しますから、私のお嫁さんに――」
「おい新入り!! 調子に乗るんじゃねえ! 求婚なら俺たちが先だ!」
「そうよ、列の後ろに並びなさい!」
千草と一ノ瀬がすかさずガードに入り、店内は一気に大騒ぎになった。
女性は顔を真っ赤にしながらも、「絶対また来ますから!」と力強く宣言して、すっかり元気になった顔で店を後にした。
閉店後、片付けをしていると、ばあちゃんが満足げに暖簾の奥から顔を出した。
『ふん、さっそく一人、骨抜きにしたようだな』
「ばあちゃんのせいで、またプロポーズされちゃいましたよ。心臓に悪いなぁ」
『がはは! いいことじゃないか。男が腕一本で女どもを狂わせる……最高に痛快だねぇ』
男は家の中で守られるべき、料理なんて男のすることじゃない。
そんな偏見に満ちた世界だけど、俺の料理を求めてくれる客が増えるなら、それも悪くないかもしれない。
「さて、明日は何の定食にしようかな」
俺は、新しく増えた「常連さんの笑顔」を思い浮かべながら、嬉しそうに厨房の包丁を研ぎ始めるのだった。
『食事処 藤』特製・黄金アジフライと自家製タルタルソース(2人前)
材 料
新鮮なアジ(三枚おろし):4枚(2尾分)
塩、胡椒:少々
小麦粉:適量
溶き卵:1個分
生パン粉(粗め):適量(乾燥パン粉よりサクサクに仕上がります)
揚げ油:適量
【和風仕立ての自家製タルタルソース】
ゆで卵:1個(フォークで粗めにつぶす)
玉ねぎ:1/8個(みじん切りにして水にさらし、水気を限界まで絞る)
マヨネーズ:大さじ3
レモン汁:小さじ1/2
砂糖:小さじ1/4
塩、胡椒:少々
醤油:2〜3滴(★マスターの隠し味!これで白米に合う味になります)
作り方
1. タルタルソースを作る
1 ボウルに、つぶしたゆで卵、水気をしっかり絞った玉ねぎ、マヨネーズ、レモン汁、砂糖、塩、胡椒を混ぜ合わせます。
2 仕上げに醤油を2〜3滴たらして、全体をさっと混ぜます。
★マスターのこだわりポイント
ほんの少しの醤油を加えることで、アジフライの衣(油)のくどさが消え、定食の「白米」に猛烈に合うタルタルソースに化けます。
2. アジの下処理(フワフワに仕上げる絶対条件)
1 アジの身の真ん中にある「小骨」を、骨抜きピンセットで丁寧にすべて抜き取ります。
2 両面に軽く塩を振り、5分ほど置きます。
3 身の表面にじんわりと浮き出てきた「余分な水分(臭みの元)」を、キッチンペーパーで優しく徹底的に拭き取ります。
4 揚げる直前に、軽く胡椒を振ります。
3. 衣付け(羽のような軽さを出す)
1 アジに小麦粉を薄く、ムラなくはたきつけます(余分な粉はしっかり落とす)。
2 溶き卵にくぐらせ、生パン粉の入ったバットへ。
3 上から優しくパン粉をかけ、手のひらで軽く押さえるようにして、パン粉のトゲを潰さないようにまとわせます。
4. 揚げの工程(外はサクッ、中はフワッ)
1 揚げ油を180度に熱します(パン粉を落としたら、すぐにシュワッと広がって浮き上がってくる温度)。
2 アジを静かに油に入れます。
3 最初は触らず、衣が固まってきたらひっくり返します。
4 揚げ時間は約2分〜2分半。全体の泡が小さくなり、パチパチという高い音に変わったら、中まで火が通ったサインです。
5 油をしっかりときりながら引き揚げます。
5. 盛り付け
1 お皿に山盛りのキャベツの千切りを添え、アジフライを立てかけるように盛り付けます。
2 作っておいたタルタルソースを、アジフライの上から豪快にたっぷりとかけて完成です!
店主(創)からのワンポイントアドバイス
「アジフライは、骨を綺麗に抜いておくことで、食べた時に口の中で『フワッ』ととろけるような食感になるんだ。タルタルソースをたっぷり絡めて、熱いうちに白飯と一緒にガブッといっちゃってよ」
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