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貞操逆転世界の孤高なる料理人「男ですが、路地裏で定食屋はじめました」  作者: たうやん


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第16話:若き天才女流棋士の投了と、脳を覚醒させる鉄板ふわとろオムライス

21時半。夜の街の喧騒から少し外れた『食事処 藤』のカウンターで、扇子を固く握りしめたまま、じっとメニューの木目を見つめている女性がいた。

彼女の名前は、羽賀はが千歳ちとせ。10代にして最高峰のタイトルを保持し、連勝記録を塗り替え続けている「天才女流棋士」だ。

女が冷徹なロジックで盤上を支配し、男はそれを優雅にサポートするのがこの世界の将棋界。彼女は「一歩も間違えられない」極限の思考戦を毎日繰広げていたが、今夜は同世代のライバルとの対局で15時間にも及ぶ死闘の末、痛恨の逆転負けを喫してしまった。脳のエネルギー(ブドウ糖)が完全に枯渇し、精神的な疲労から、目に入るものすべてが盤面の符号に見えるほど追い詰められていた。

「……ここで、▲4四歩だったのよ。どうして私は、あんな悪手を……」

カチカチと、頭の中で駒を動かす音が止からない。思考の迷宮に迷い込み、完全に心が「詰み」かけていた。

「いらっしゃいませ。……って、羽賀さん? 今日は遅くまで大変でしたね」

俺――藤崎ふじさき はじめが、いつもと変わらない飾らない笑顔で、冷たいおしぼりと温かいお茶を差し出す。

千歳はハッとして顔を上げた。いつも周囲の大人たちから向けられるのは、勝敗への一喜一憂や、次の対局の期待ばかり。だが、俺の目は、ただ目の前の疲れ切った一人の女の子を、心から気遣う優しさに満ちていた。

白シャツの袖をたくし上げ、明日使うお米を優しく、だけどリズミカルに研いでいる俺の腕。実直に毎日を重ねてきた男らしい逞しさと温もりがある。

(なんなの、この人……。私が負けたことなんて、どうでもいいみたいに……ただ、私の頭が熱くなっているのを、優しく冷まそうとしてくれている……)

「……マスター。私、もう次の手を指す元気が残っていないの。脳細胞が完全に焼き切れて、お腹は空いているはずなのに、何も受け付けないわ。私のこの『詰みかけている脳』に、一瞬でエネルギーを補給できるような一皿をちょうだい……」

天才棋士の、切実な一手リクエスト

俺は「よし、任せて。最高の逆転劇、用意するからね」と頼もしく笑い、厨房のコンロに火をつけた。

メニューは、枯渇した脳を一瞬で100%覚醒させる、『特製・鉄板ふわとろオムライス』だ。

職人の手解き:その手際は、名人戦の初手よりも美しく

千歳は、厨房で無駄なく、しかし驚くほどリズミカルに動く俺の姿を、吸い寄せられるように見つめていた。

俺はまず、鶏肉とタマネギを細かく刻み、フライパンで香ばしく炒める。そこへ固めに炊いた白米を投入し、ケチャップとほんの少しの醤油、バターを加えて、強火で一気に煽る。パラパラかつ、しっとりと旨味をまとった最高のチキンライスが完成だ。

「さて、ここからが勝負だよ」

俺は別の小さなフライパンを強火で熱し、たっぷりのバターを溶かす。そこへ、贅沢に3個使って絶妙に解きほぐした卵液を一気に流し込んだ。

ジュワァァァッ!!!

心地よい音が響き、俺は箸を素早く動かしながら、左手でフライパンをトントンとリズミカルに叩き始めた。卵が空気を含んでフワッフワに膨らみ、綺麗なラグビーボール型にまとまっていく。一切の迷いがないその無駄のない動きは、将棋の名人戦で放たれる「絶妙手」と同じくらい、美しくて圧倒的に男らしく、格好良かった。

熱々の鉄板スキレットの上にチキンライスを盛り付け、その上に焼き上がったばかりのぷるぷると震えるオムレツをポンと乗せる。

そして、千歳の目の前で、オムレツの真ん中に包丁の刃をすっと滑らせた。

パカッ……とろぉぉぉん……!

「わぁ……っ!」

千歳が思わず声をあげる。黄金色の半熟卵が、まるでドレスのようにチキンライスを優しく包み込んだのだ。仕上げに、何日も煮込んだ漆黒の自家製デミグラスソースを鉄板の周りにたっぷり回しかける。ジューッ!とソースが焦げる最高に香ばしい匂いが一気に立ち上った。

「お待たせしました! 特製オムライス。スプーンでガッツリいっちゃって!」

天才棋士の投了、そして命がけの「永世だんな様」宣言

目の前に現れたのは、熱々の鉄板の上でグツグツとデミグラスソースが泡を立て、眩しいほど黄金色に輝くふわとろのオムライス。

千歳は震える手でスプーンを持ち、卵とソース、そしてチキンライスを一緒に贅沢にすくって、思い切り口に運んだ。

ぱくっ……ぷるん、とろぉぉお……っ!

「――ーーーっっっ!!!!」

千歳の脳内で、数手先どころか、数万手先まで見通せるような鮮烈な光が走った。

「美味しい……っ!! 脳の細胞が、一斉にパチパチと音を立てて目覚めていく……!!」

彼女はなりふり構わず、熱々の鉄板から猛烈な勢いでスプーンを動かし始めた。

「チキンライスのケチャップの甘みとバターのコクが、信じられないくらい濃厚! そこに、お口の中で一瞬でとろけて消えちゃうふわっふわの卵……っ! さらにこのデミグラスソース、少しビターで奥深いコクがあって、全体の味を完璧に引き締めているわ……! 熱い、美味い、なのにスプーンが、私の手が止まらない! 盤上の迷いが、全部この一皿で消し飛んでいく……! ああ、だめ、美味しすぎて頭の中が完全にドロドロに溶かされていくわ……!」

食べるごとに、冷徹な天才棋士の仮面がとろとろに崩れ落ちていく。

気づけば彼女の頬はポッと赤くなり、潤んだ瞳でハァハァと熱い吐息を漏らしながら、俺のことを激しく、狂おしいほどの眼差しで見つめていた。

最後のご飯一粒、ソースの一滴まで綺麗に平らげ、ぷはぁ、と幸せのため息を吐いた千歳は、ガタッと立ち上がり、カウンター越しに俺の手をがしっと両手で掴んだ。その小さな手は、さっきまでの震えが嘘のように熱く、力強い。

「創さん……っ! 私、貴方に『一目惚れ』という名の王手をかけられたわ……っ!」

「ええっ!? は、羽賀さん!?」

「もうタイトルも、連勝記録もどうでもいい! 私のこれからの頭脳は、毎日私にこんなに最高に脳が痺れるご飯を作ってくれる、創さんのためだけに使うわ! だから……お願い。私を貴方の『永世だんな様(お嫁さん)』にして! 私の全ての賞金も、これからの未来も、全部貴方に貢ぐから! 毎日、私の隣で笑って、私をその優しい腕で包み込んで……っ!」

日本将棋界の絶対的至宝が、一人の定食屋のあんちゃんに完全にメロメロになり、人生のすべてを賭けたプロポーズを迫ってくる。

「あはは、永世だんな様なんて僕には荷が重すぎますよ」

俺は本気で困惑して、照れくさそうに頭を掻きながら笑った。

「僕はただの定食屋ですから。羽賀さんみたいに、盤上で孤独に戦って、頭がパンクしそうになった人が、うちのご飯を食べて『よし、次の対局も思いっきり指すか!』って笑顔になってくれるのが、一番の幸せなんです。だから、誰か一人のものにはなれません。……でも、もしまた次の手に迷ったら、いつでもお腹を空かせて帰ってきてください。また、最高の一皿を作って待ってますからね」

俺がいつものように、飾らないナチュラルな笑顔で優しく語りかけると、千歳は「うぅ……そんな無邪気な笑顔で私の完璧な攻めを受け流すなんて、どこまで罪作りな男なの……っ!」と、胸を押さえて真っ赤になって俯いてしまった。

女が知略の限りを尽くして世を支配し、男はただ大人しくそれに従うのが当然の世界。

だけど、どんなに鋭い頭脳を持つ天才棋士であっても、俺が心を込めて作った一皿と、飾らない素顔の前では、ただ一人の男の腕の中に飛び込みたい、愛らしい女の子に変えることができる。

「こんな世界でも、俺にできる事は料理だけだからな」

冷たいお水をおかわりしながら、俺は「次の対局、応援してますね」と、すっかり心も身体もエネルギーに満ち溢れ、何度も愛おしそうに振り返りながら帰っていく彼女の背中を、夜の路地裏でいつまでも温かく見送るのだった。









『食事処 藤』特製・鉄板ふわとろオムライス(1人前)

材 料

【旨味が詰まったチキンライス】

温かいご飯:1杯分(約200g ※少し硬めがベスト)

鶏もも肉(または鶏むね肉):50g(1cm角に切る)

タマネギ:1/4個(みじん切り)

マッシュルーム(缶詰でも可):2個(薄切り)

ケチャップ:大さじ2

醤油:小さじ1/2(★味をグッと引き締める隠し味!)

バター:10g

塩・コショウ:少々

【極上のふわとろオムレツ】

卵:3個(贅沢に使うのがプロの技!)

牛乳(または生クリーム):大さじ1

塩:ひとつまみ

バター:15g(焼き用)

市販のデミグラスソース(またはケチャップ):適量(仕上げ用)

作り方


1. チキンライスを作る(パラパラ&しっとり)

1 フライパンにバター10gを熱し、1cm角に切った鶏肉を炒めます。鶏肉の色が変わったら、みじん切りのタマネギとマッシュルームを加えてさらに炒めます。

2 タマネギがしんなりしたら、一度火を弱めてケチャップ大さじ2、醤油小さじ1/2を加えます。


★マスターのこだわりポイント

ご飯を入れる前に、具材とケチャップを先に炒めて水分を少し飛ばしておきます。こうすることで、ご飯がベチャつかず、均一に綺麗な色がついて香ばしく仕上がります。


1 温かいご飯を投入し、強火にして木べらで切るように手早く炒め合わせます。塩・コショウで味を整えたら、熱したスキレット(鉄板)やお皿に、中央が高くなるように丸くこんもりと盛り付けておきます。


2. 卵液の準備(空気を含ませる)

1 ボウルに卵3個を割り入れ、牛乳大さじ1、塩ひとつまみを加えます。

2 白身のコシを切りながら、泡立て器や箸でしっかりと混ぜ合わせます。牛乳を入れることで、熱を通しても硬くなりにくく、とろける食感をキープできます。


3. 一気の職人技(ふわとろオムレツの成形)

1 小さめのフライパン(18cm〜20cmのフッ素樹脂加工のものがベスト)を強火でガンガンに熱し、バター15gを入れます。

2 バターがジュワッと溶けて細かい泡が立ったら、一気に卵液を流し込みます。

3 ここからはスピード勝負! 箸を大きく円を描くようにグルグルと素早く動かし、フライパンも前後に揺すって、全体をスクランブルエッグ状にします。

4 周りが少し固まり、全体が「まだドロドロの半熟」の状態になったら、一度火を止めます。

5 フライパンを傾けて卵を奥側に寄せ、ゴムベラや箸を使って手前から奥へと折り畳み、ラグビーボール型に整えます。

6 再び弱火に数秒かけ、合わせ目を下にしてフライパンの端を使って形を固定します。


4. 運命のパカッ(仕上げ)

1 用意しておいたチキンライスの真上に、オムレツを滑らせるようにしてポンと乗せます。

2 食べる直前に、オムレツの中央に包丁の刃を優しくすっと滑らせて、左右に開きます。

3 温めておいたデミグラスソースを周りにたっぷり回しかければ完成です!


店主(創)からのワンポイントアドバイス

「オムレツを作る時は、とにかく『ビビらないこと』が一番大事!強火で一気に仕上げるから、実質30秒くらいの勝負なんだよね。もし形がうまくまとまらなくても、チキンライスの上に乗せてからキッチンペーパー越しに手でキュッと整えれば綺麗になるから大丈夫。千歳さんみたいに、極限のプレッシャーで頭がパンクしそうな時は、このバターが優しく香るふわとろ卵とデミグラスのコクを、熱々のままお腹いっぱいにかき込んでみてね!」



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