第14話:鬼才ファッションデザイナーの枯渇と、色彩躍る初夏の冷やし中華
「……だめ。全然だめ。どれもこれも、魂が死んでるわ……」
時刻は14時半。昼のピークが過ぎ、初夏の爽やかな風が通り抜ける『食事処 藤』のカウンターで、派手な原色のアシンメトリーなジャケットを着た女性が、頭を抱えて机に突っ伏していた。
彼女の名前は、ルイ。世界中のセレブを顧客に持ち、パリコレでも大絶賛を浴びる「鬼才ファッションデザイナー」だ。
男がランウェイを歩き、女がそれを美しくプロデュースするのが当たり前のこの世界。彼女は常に「時代の最先端」を創り出すプレッシャーに晒され、次の秋冬コレクションのデザインが出せず、完全にスランプに陥っていた。ここ数日、頭を酷使しすぎて五感が麻痺し、味覚さえも失いかけている。
「いらっしゃいませ。……わっ、すごいオシャレな方ですね」
俺――藤崎 創が、仕込みの手を止めてお茶を差し出す。
ルイは前髪の隙間からギラリと俺を睨み、「お酒、一番強いやつを」と低く掠れた声で要求した。
「すいません、うちは定食屋なので、強いお酒は置いてないんです。……それよりお客さん、顔色がすごく悪いです。初夏の暑さにやられてませんか?」
そう言って、俺はいつものように気取らず、ただ心配そうに優しく微笑みかけた。
白シャツの袖をまくり、額の汗をぬぐう俺の腕。健康的で、毎日実直に包丁を握っている男らしい逞しさがある。
ルイは俺のその「飾らない、計算の一切ない美しさ」を前に、デザイナーとしての本能がドクンと跳ね上がるのを感じた。
(なんなの、この男……。私の前に立つ男たちはみんな、自分を高く売るために着飾って媚びてくるのに。この人は、ただそこに『存在』しているだけで、どうしてこんなに胸を打つほど美しいの……?)
「……いいわ。じゃあ、貴方のその綺麗な手で、私の死にかけた五感を刺激するようなものでも作ってみせなさい。どうせ、今の私の乾いた脳を満足させられるものなんて、この世界にないでしょうけど」
スランプゆえの、哀しい挑発。
だけど俺は「よし、任せてください」と、ただ彼女を元気づけたい一心で、頼もしく笑って厨房へ向かった。
メニューは、乾いた喉と麻痺した五感を一瞬で呼び覚ます、『特製・極み初夏の冷やし中華』だ。
職人の手解き:その手仕事は、最高のアトリエ
ルイは、厨房で無駄なく、しかし驚くほど鮮やかに動く俺の手元から目を離せなくなっていた。
俺が取り出したのは、みずみずしいキュウリ、真っ赤なトマト、自家製のチャーシュー、そして黄金色の錦糸卵。
トントントントン……と、心地よいリズムでキュウリが均等な細切りにされていく。その包丁捌きは、彼女がハサミで高級な生地を裁断する瞬間と同じくらい、一分の狂いもないプロの職人技だった。
卵を極薄に焼き上げ、細く美しく切り揃えられた錦糸卵は、まるで極上のゴールドシルクのよう。
「ここから、一気に締めていきます」
茹で上がった細ストレート麺を、氷水で一気に引き締める。キュッ、キュッと小気味よい音を立てて麺を揉む俺の引き締まった腕に、ルイの視線は釘付けになり、のぼせるように頬を染めていく。
出汁に、極上の米酢、醤油、ごま油、そして隠し味にレモン果汁を絞った、特製の「五色ダレ」を準備する。
ガラスの器に麺を丸く盛り付け、その上に色彩のバランスを完璧に計算した具材を、放射状に美しく並べていく。
「お待たせしました! 特製冷やし中華です。タレをよく絡めて食べてみてください」
完璧なコレクション、そして命がけの「専属契約」
目の前に現れたのは、ガラスの器の中でキラキラと輝く、赤・緑・黄・茶・白の完璧な色彩のパレット。
「……なんて美しさなの。色の配置、具材の太さ、すべてが完璧な黄金比率だわ……!」
ルイは震える手で箸を持ち、麺と具材を一緒に大きく掴んで口に運んだ。
ツルッ……シャキッ……じゅわあああぁ!
「――ーーーっっっ!!!!」
ルイの脳内で、世界中のどんなファッションショーでも味わったことのない、鮮烈なインスピレーションの爆発が起きた。
「美味しい……っ!! 脳が、私の五感が生き返っていく……!!」
彼女はなりふり構わず、美しいお皿から猛烈な勢いで麺をすすり始めた。
「氷水で完璧に締められた麺は、驚くほど弾力があって喉越しが最高……! そこに絡む酸味とコクのバランスが絶妙なタレ! キュウリのシャキシャキ感、錦糸卵の優しい甘み、トマトの酸味……すべての具材が、まるでお互いを引き立て合う最高のドレスのように調和しているわ……! ああ、だめ、インスピレーションが止まらない……!」
食べるごとに、鬼才デザイナーの鋭い仮面がとろとろに崩れ落ちていく。
気づけば彼女の瞳はトロンと潤み、ハァハァと熱い吐息を漏らしながら、俺のことを激しく、狂おしいほどの眼差しで見つめていた。
最後の一滴までタレを飲み干したルイは、ガタッと立ち上がり、カウンター越しに俺の手をがしっと両手で握りしめた。
「創さん……っ! 次の秋冬コレクションのテーマは『貴方』よ!!」
「ええっ!? ぼ、僕ですか!?」
「お願い、今すぐその安っぽいエプロンを脱ぎ捨てて、私の専属モデル(だんな様)になって! 貴方のその逞しい腕、その飾らない美しい笑顔、その極上の指先を、私だけのものにしたいの! 世界中のどんな富も名声も、貴方に全部あげる! 私の生涯の最高傑作として、私に一生プロデュースさせて……っ!」
世界最高峰のデザイナーが、一人の定食屋のあんちゃんに完全にメロメロになり、人生を賭けた専属契約を迫ってくる。
「あはは、モデルなんて僕には絶対無理ですよ」
俺は本気で困惑して、照れくさそうに頭を掻きながら笑った。
「僕はただの定食屋ですから。こうやってお店を開いて、ルイさんみたいに毎日戦って疲れ切った人が、うちのご飯を食べて『あー、生き返った!』って笑顔になってくれるのが、一番の幸せなんです。だから、誰か一人のものにはなれません。……でも、もしまたデザインに行き詰まったら、いつでもお腹を空かせて帰ってきてください。また、美味しいもの作って待ってますからね」
俺がいつものように、飾らないナチュラルな笑顔で優しく語りかけると、ルイは「うぅ……そんな無垢な笑顔で私のプロポーズを断るなんて、どこまで罪作りな男なの……っ!」と、胸を押さえて真っ赤になって崩れ落ちてしまった。
女が時代の先端を走り、男はただその美しさに着飾られるのが当然の世界。
だけど、どんなに鋭い感性を持つ天才デザイナーであっても、俺が心を込めて作った一皿と、飾らない素顔の前では、ただ一人の男の愛を乞う、愛らしい女の子に変えることができる。
「こんな世界でも、俺にできる事は料理だけだからな」
お茶を淹れ直しながら、俺は「次のコレクション、楽しみにしてますね」と、スケッチブックに猛烈な勢いでアイデアを書き殴りながら、何度も名残惜しそうに振り返って帰っていく彼女の背中を、初夏の優しい光の中で、いつまでも温かく見送るのだった。
『食事処 藤』特製・極み初夏の冷やし中華(1人前)
材 料
中華麺(細ストレート麺またはちぢれ麺):1玉
キュウリ:1/2本
トマト:1/2個(またはミニトマト3個)
自家製チャーシュー(またはハム):30g
錦糸卵(下記参照):卵1個分
白いりごま:少々
【ゴールドシルクの錦糸卵】
卵:1個
砂糖:小さじ1/2
塩:ひとつまみ
水溶き片栗粉:片栗粉小さじ1/4+水小さじ1/2(★破れにくくする裏技!)
【五感が目覚める特製五色ダレ】
醤油:大さじ2
米酢:大さじ2
和風出汁(または鶏ガラスープ):大さじ1
砂糖:大さじ1.5
ごま油:大さじ1/2
レモン果汁(隠し味):小さじ1
作り方
1. タレを作って冷やす(全ての味のベース)
1 ボウルに【特製五色ダレ】の材料(醤油、米酢、出汁、砂糖、ごま油、レモン果汁)をすべて合わせ、砂糖が完全に溶けるまでよく混ぜ合わせます。
2 盛り付ける直前まで、冷蔵庫でキンキンに冷やしておきます。
2. 具材の美しさを揃える(ルイさん絶賛の黄金比率)
1 キュウリとチャーシューは、麺に絡みやすいように3〜4mm幅の細切りに揃えて切ります。
2 トマトは食べやすいように薄めのスライス、またはくし形に切ります。
3 【ゴールドシルクの錦糸卵】を作ります。ボウルに卵、砂糖、塩、水溶き片栗粉を入れてよく混ぜ、一度ザルなどで濾します。
4 熱したフライパンに薄く油をひき、卵液を流し込んで極薄に焼き上げます。冷ましてから、キュウリたちと同じ太さの細切りにします。
★マスターのこだわりポイント
卵液にほんの少し「水溶き片栗粉」を混ぜて一度濾すことで、ひっくり返すときに絶対に破れない、絹のように美しくしなやかな錦糸卵が作れます。すべての具材の「太さ」をきれいに揃えるのが、口に入れたときに一体感を生む最大のコツです。
3. 麺を限界まで引き締める
1 鍋にたっぷりの湯を沸かし、中華麺を表示時間通りに茹でます。
2 茹であがったらすぐにザルに上げ、流水で表面のヌメリを洗い流した後、氷水を張ったボウルにドボンと浸けます。
3 手でギュッ、ギュッと揉むようにして、麺の芯まで一気に冷やし、強めの弾力を引き出します。
4 水分が残っているとタレが薄まってしまうので、ザルに強く押し付けるようにして、しっかりと水気を切ります。
4. 盛り付け(色彩のパレット)
1 よく冷やしたガラスの器に、水気を切った麺を中央に丸くこんもりと盛り付けます。
2 麺の上に、キュウリ、錦糸卵、チャーシュー、トマトを、中心から外側へ放射状に美しく並べていきます。
3 冷蔵庫から取り出した特製ダレを上から回しかけ、仕上げに白いりごまを中央に散らせば完成です!
店主(創)からのワンポイントアドバイス
「冷やし中華を劇的に美味しくする一番のポイントは、とにかく『麺の水気をこれでもかってくらい完璧に切る』こと。これだけで、特製ダレが麺にしっかり絡んで、一口目からガツンと美味しくなるからさ。ルイさんみたいに毎日頭をフル回転させて、五感がカサカサに乾いちゃった時にこそ、この酸味のきいた冷やし中華をツルツルッといって、シャキッと元気を取り戻してほしいな!」




