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洋館を買ったら謎の薔薇色人生が待っていました  作者: でいでい


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2/3

新生活

六億円の全財産と、見知らぬ少女から借りた十円玉。合わせて六億十円という、あまりにも奇妙な金額で落札された都内の洋館。


競売が幕を閉じると、俺はすぐに会場の裏手にある重厚な応接室へと通された。ガラスのローテーブルを挟んで、上質な黒いスーツを着た支配人らしき初老の男が、一分の隙もない仕草で契約書を差し出してくる。


伊藤智樹いとう ともき様。おめでとうございます。こちらが物件、および専属メイド五名の譲渡契約書となります」


ペンを握る俺の手は、情けないほどに震えていた。

つい二週間前まで、口座残高が数万円しかなかった無職の男だ。それが今、一枚の紙きれに署名するだけで、山林を含む広大な土地と洋館、そして五人の人間の人生を買い取ろうとしている。現実感がまったく湧かない。


「あの‥‥一つ、確認したいんですが」

俺は喉の渇きを覚えながら、ようやく声を絞り出した。

「支払いは、その、六億円はすぐに口座から振り込みますが、残りの十円は‥‥」


支配人は、まるで全てを見通しているかのように、薄く微笑んだ。

「ご心配には及びません。当クラブの決済は、端数を含めてその場で完了することが鉄則でございます。すでに伊藤様の銀行口座からは六億円の引き落とし手続きを進めております。そして‥‥」


支配人は、机の上に置かれた十円玉を指差した。それは、俺がポケットをひっくり返して落ちた、正真正銘の全財産だった。


「残りの十円、確かに現金を拝領いたしました。これにて契約は成立でございます」


部屋を出る間際、俺はどうしても気になっていたことを尋ねた。

「あの会場にいた、十歳くらいの女の子は‥‥誰なんですか。俺に十円を貸してくれた子です」


支配人は一瞬だけ動きを止め、それから何事もなかったかのように一礼した。

「当クラブには、様々なお客様が出入りいたします。中には、退屈を嫌う大富豪が、悪戯心でご自身のお子様を紛れ込ませることも。お渡しした鍵の束の中に、物件の住所が記載されております。どうぞ、新しい我が家へお向かいください」


結局、少女の正体は分からないままだった。

手元に残されたのは、古めかしい真鍮の鍵の束と、一円の余裕もない、完全に空っぽになった銀行口座。

こうして俺は、六億円と引き換えに、山奥の洋館と五人のメイド、そして正体不明の少女に対する「十円の借金」を背負うことになったのだ。


翌日、俺は手荷物の全てをリュックサックに詰め込み、東京の西部に位置する山間部へと向かった。

電車とバスを乗り継ぎ、最後は鬱蒼と茂る木々の間の山道を、一時間以上も歩いた。

周囲には民家もなく、ただ蝉の声だけが響いている。本当にこんな場所に洋館などあるのだろうか。不安が頂点に達した頃、突如として目の前が開けた。


「‥‥これか」


思わず声が出た。

錆びついた高い鉄格子の門の向こうに、蔦の絡まる巨大な石造りの洋館が、ひっそりと佇んでいた。築百二十年という言葉に偽りはなく、歴史の重みと、どこか人を寄せ付けない冷厳な雰囲気を漂わせている。


重い鉄門を押し開け、敷地内へと足を踏み入れる。

一歩進むごとに、自分の足音が不気味なほど大きく響いた。

玄関の大きな木製の扉の前に立ち、もらった鍵の中から一番大きなものを差し込んで回す。カチャリ、と重々しい音がして、扉がゆっくりと内側へ開いた。


建物の内部は、外観の荒涼とした印象とは裏腹に、驚くほど清潔に保たれていた。

埃一つ落ちていない大理石の床、磨き上げられた手すり。

そして、広いエントランスホールの正面。そこには、昨日のオークション会場で見かけた五人の女性たちが、寸分の乱れもない美しい姿勢で、一列に並んで立っていた。


彼女たちは俺の姿を認めると、一斉に深く頭を下げた。


「お帰りなさいませ、初めまして旦那様」


揃った声が、高い天井に反響する。

全員が黒い生地に白いエプロンという、古典的なメイド服を身に纏っている。年齢は二十歳前後といったところだろうか。顔立ちは五人とも非常に整っているが、オークション会場の時と同じく、その表情には生気が感じられない。まるで精巧に作られた人形のようだった。


列の先頭にいた、短い髪をきっちりと分けた女性が、一歩前に出た。

「本日より、伊藤智樹様を当主としてお仕えいたします。私はメイド長の『一華いちか』と申します。邸内の管理、および旦那様の身の回りの世話を統括しております」


続いて、残りの四人も順番に名前を口にした。

食事を担当する「二葉ふたば」、洗濯や掃除を担う「三実みつみ」、庭園と外回りを管理する「四乃しの」、そして一番若く見える、救急救命の知識を持つという「五月さつき」。


全員が、よどみなく自分の役割を説明していく。

しかし、その声には感情の起伏が全くない。義務として、あらかじめ決められた台詞せりふを再生しているかのようだった。


「あの‥‥」

俺はたまらず手を挙げた。

「俺は、君たちの雇用主になったわけだけど、正直言って、何をどうすればいいのか全く分かっていない。それに、六億円は全部使い果たしたから、君たちに払う給料も、明日からの食費すら怪しいんだ」


情けない告白だった。大金をはたいて彼女たちを落札した男が、実際には一文無しの無職なのだ。呆れられるか、あるいは見限られるか。


だが、メイド長の一華は、眉一つ動かさずに答えた。

「ご安心ください。私たちの維持費、およびこの邸宅の管理費、日々の食費に関しましては、前所有者より引き継がれました信託財産から永続的に支払われる仕組みとなっております。旦那様が金銭的なご負担をされる必要はございません」


「‥‥えっ!?」

ということは、俺はただここに住んで、彼女たちのお世話を受ければいいということか。


「私たちは、旦那様の命令にのみ従います」

一華のまっすぐな視線が、俺を捉えた。

「どのようなご命令でも、お申し付けください」


自由。圧倒的な自由と、何不自由ない環境。

二十四歳、無職。貯金ゼロ。

昨日までコンビニのおにぎりを貪っていた俺が、今日からはこの広大な洋館の主であり、五人の美しいメイドたちの絶対的な支配者となったのだ。


だが、俺の胸に去来したのは、歓喜ではなかった。

あまりにも出来すぎた現実。底知れない不気味さ。

俺は、自分がとてつもない迷宮の入り口に立っているような、奇妙な悪寒おかんを覚えていた。


「とりあえず……」

俺はリュックサックを背負い直した。

「長旅で疲れたんだ。温かいお茶でも、淹れてもらえるかな」


「かしこまりました」

五人のメイドたちが、再び一斉に頭を下げる。

その一糸乱れぬ動きを見つめながら、俺はポケットの中で、もう存在しない十円玉の感触を探していた。あの少女は今、どこで何をしているのだろうか。


俺と五人のメイドたちの、奇妙な共同生活が、静かに幕を開けた。

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