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彼の国(かのくに)  作者: 春の雪
 第二章 彼の国にて

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6/16

第6話 ラボでの生活 1

 (1)

 車が駐車場に入ると、今登って来た道の外灯は消えて駐車場の外灯が点いた。

 2人は降りてそれぞれ自分の荷物を後部座席から下ろし、雪野はリュックを出して背負い、ボストンバッグとトートバッグを両手に待った。

 時宗が横に来てドアを閉めてくれ、2人は駐車場を出た。


 駐車場から十メートルほど登った所にガッシリした建物があった。

 土に木で土留めがしてあるだけの階段を登って行くと、建物の周りは鉄柵に囲われている。

 時宗がキーを操作すると鉄柵に明かりが点き、鉄扉が開く。


 「この鉄柵の中に入ったらタイルの上だけを歩いてな。土の上を踏んだら警報が鳴るからな。

 玄関周りだけやなくてこの柵の中は建物の周りも全部や。」

 見ると建物の周りもずっと1メートル幅のタイルの道で囲われている。

 「はい。」

 

雪野は少し緊張したが、タイルの道は幅1メートルくらいあるし、建物の玄関の前は2メートル四方くらいタイル敷きになっているので、ちょっとよろめいたくらいで土の上に出てしまうことはないだろうと安心した。


 

 時宗が建物の玄関の鍵を開け、ドアを引くと中に灯が点く。

 「先に入って。」

 「はい。お邪魔します。」

 中に入ると、雪野のアパートの玄関とは違ってずいぶん広かった。

 右側の壁に沿って4段の靴箱が10列くらいある。

 

 「一番奥の1列はわしが使っとるからそれ以外のどこでも使って。全部スリッパが入ってるからそれ履いて。」

 「はい。」

 見ると、どの箱も仕切りで上下に分かれており、上の段にスリッパが入っている。


 廊下の端に薄いセンターラグが敷かれているので雪野はその上にスリッパを置いて、

 「失礼します。」と言って上がった。するとピピピッと電子音がした。

 雪野は焦って振り返って時宗を見た。時宗は、

 「大丈夫や。ここは音だけや。」と言って自分もスッと雪野の横に上がった。また一瞬で編み上げ草鞋は靴箱に収まっている。

 雪野が目を丸くして見ていると、

 「いちいち目をまん丸くせんでも慣れればこんなもんや。忍が靴の着脱に手間取ってては話にならんやろ。」と言って笑った。

 


 時宗は廊下の隅に荷物を置いて、

 「一旦荷物はそこに置いて。この奥に洗面所があるからとりあえず手を洗おな。」と言って奥に進んだ。

 

廊下の突き当たりはトイレで、その手前に蛇口が5つあるステンレスの洗面台がある。学校の廊下などにあるような長い洗面台だ。


 時宗は素早く手を洗って玄関の方に戻った。雪野も急いで手を洗って時宗を追った。

 

 玄関から洗面所までの廊下の真ん中あたりから直角に広い廊下が通っていて、廊下の右側にダイニングキッチンが3つ、左側には戸の閉まった部屋が3つ並んでいる。


 時宗は入ってすぐのダイニングキッチンの壁際に自分の荷物と雪野のボストンバッグを置いた。


 部屋の真ん中に大きなダイニングテーブルが置かれており、その奥の窓際がキッチンになっている。

 ダイニングテーブルには3脚づつ向かい合わせに椅子が置いてあり、その他に2脚の椅子が壁際に並べて置かれていた。

 

 時宗はその椅子に雪野のリュックとトートバッグを置いて、

 「わしが向こう側の一番キッチンに近い席を使うとるから君はその向かい側な。」と言って指差した。

 「はい。」


 時宗は流しで台拭きを濡らしてシュシュっと素早くテーブルを拭いた。

 「君の持って来てくれた食料をテーブルに出してくれるか?」

 「はい。」


 焼き魚2切れ、鶏肉と大根と菜っ葉の煮物、サラダ用にちぎってあるレタス。

 「ご飯は冷凍してあるので持って来ませんでした。」

 「若い子にしては体に良さそうな物やな。ダイエット中か?」

 「いえ。揚げ物とか炒め物は食べる時に作るので。」

 「なるほどな。しかしそれだけいろいろ作れるということは君は親元に居る時からよく料理をしてたんか?」

 「はい。両親とも夜遅くなることの多い仕事だったので、子供の頃からどんどんやらされてました。」

 時宗は、

「それは助かったな。わしは君に料理まで教えることは考えてなかったからな。」と笑った。

 雪野は初めてプラスアピールができたのが嬉しくて笑った。


 「これは全部、今提供してもらってええか?朝食べようと思ってたとかあるか?」

 「いいえ、全然。」

 「そうか。飯はわしも冷凍しとるからすぐ出せる。あとはスープをたくさん作って分けて冷凍してるから今日の分は味噌仕立てにしよ。」

 

 時宗はテキパキと温めたり盛り付けたりしてあっという間にテーブルに並べた。

 結構立派な献立になり、2人は席に着いた。

 

 「わしは生野菜はそのまま食うからドレッシングとか無いけど。」

 「大丈夫です。私も母が、チリも積もれば毒となる、とか言って塩分や油の量にうるさかったので生野菜はそのまま食べてました。」

 「そりゃええことや。大事なことやな。」

 雪野は小うるさいと思っていた母に今だけは感謝した。


 それから時宗は、この3日間でやることについて話した。

 「今日はだいぶ疲れてるやろから部屋を案内して休もか。

 明日は午前中はアカデミーの時間割とわしが教える科目との時間を調整しよ。

 午後は買い出しに付き合ってもらう。わしは毎週土曜に買い出しに行って、土日で1週間の食べ物を作り置きしてる。何か食べたい物とか欲しい物があったら何でも言うてな。明日出かけるまでに考えといて。」

 「はい。ありがとうございます。」

 「明後日は勉強と訓練にとっかかる。」

 「はい。」


 

 二人は全ての皿を空にして、少し休んで後片付けをした。片付けながら時宗が、

 「ところで君はいつも何時頃寝て何時頃起きてる?」と聞いた。

 「1時半から2時の間くらいに寝ます。朝は、学校がある日は7時頃、休みの日は……午前中のどこかで…。」

 時宗は吹き出して、

 「いつでも眠いお年頃か。」と言った。雪野は顔を赤らめて、

 「はい。ですが休みの前の日は夜更かしすることが多いからというのもあります。」と小さな声で言い訳した。

 

 「わしは朝は5時起きや。7時過ぎまで武術訓練と薬草園の世話。7時半から朝飯、8時に出勤や。」

 「早いのですね。」

 「土日は君にも1時間くらいは一緒にやってもらうことになるからな。」

 「はい。よろしくお願いします。」


 「一つ大事なことやけど、この山は南側半分が国立薬草園、北側半分が国立天文台になっとる。そしてこの山全体が禁域になっとる。」

 「それでは私は本当は?」

 「本来なら入られへん。但し、許可があって、入る資格がある者と一緒やったら大丈夫や。

 逆に、わしと一緒に入って、わしが出る時は一緒に出ないといかんということや。

 

 この建物の玄関の開閉も君にはできないから気をつけて。

 わしが朝、訓練に出てる間は扉を開けようとせんように。鍵をガチャガチャやると警報が鳴るからな。」

 「はい。」


 返事をしてから少し考えて、思い切って聞いた。

 「あの…先生は毎日ここに帰られるのですか?他にご自宅は?」

 「この山の住み込みの管理者として、ここに住民登録されとる。

 他に中央棟と中央病院にも泊まれる自分の部屋はあるけど、徹夜する時の仮眠室みたいなもんや。」

 「そうなのですね。」


 片付けも終わって、雪野は荷物を抱えて部屋に案内された。

 広い廊下の突き当たりには、廊下と垂直に個室が並んでいた。

 1番から8番まで番号が貼られている。

 時宗は、

 「わしは3、4番を使っとる。君は6番か7番を使って。両方でもかまわん。狭いからな。」

 そう言って両方の鍵を開けて中を見せた。

 ビジネスホテルの部屋のようで、確かにかなり狭い。しかし、いきなり二部屋借りるのも厚かましい気がして、

 「6番をお借りします。」と言った。

 「そうか。不便やったら遠慮なく言うてな。」そう言って6番の鍵を渡した。

 

 「洗面室に小さな洗濯機もある。説明書は机の引き出しや。シャワーは時間に関係なく使ってええ。」

 「はい。ありがとうございます。」

 「ほな明日は7時半にさっきの食堂集合な。明日の朝飯の支度はわしがやるから。

 ゆっくり休んでな。お休み。」

 「今日一日ありがとうございました。お休みなさい。」

 2人はそれぞれ自分の部屋に入った。



 雪野は今日一日のことを日記につけ、明日の支度をして、シャワーを浴びた。

 そしてベッドに入ろうとして固まった。

 ―失敗した。やはり部屋は7番にしてもらうべきだった。いびきや寝言が先生の部屋まで聞こえたらどうしよう……ベッドから転げ落ちて地響きがしたとか言われたら立ち直れない。

 やはり明日、部屋を換えてもらおう…

 

 雪野は椅子をベッドに寄せて、布団を鼻の先までかけて眠った。



 一方時宗は残っていた中央棟の仕事を済ませてから、今年の授業の予定表をパソコンに入れたり、教務部長に渡された雪野の編入試験の回答に目を通したりした。

 ようやく3時過ぎに全て終わり、

「くそジジイ、こんだけ仕事を振っておいて、その上よく雪野まで押し付けられたな。」とブツブツ言いながらベッドに入った。

 

 しかし、雪野のよく丸くなる目や時折り見せる可愛い笑顔を思い出すと、引き受けたことを後悔する気には少しもならなかった。


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