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彼の国(かのくに)  作者: 春の雪
 第二章 彼の国にて

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第5話 時宗のラボ(研究所)

 (1)時宗のラボ(研究所)へ

 時宗の車は黒のワゴンだった。ガッシリして大きい割に角は曲線的で硬さを感じさせなかった。

 雪野は一目で気に入った。そして、雪野が車を見て目を輝かせたのを時宗は見逃さなかった。


 世の中には自分が悪く言われても全く気にしないのに自分の車をけなされると絶対に許せない人間がいるものだ。

 時宗も、以前この車を、

 「野蛮な割にモッサリしている。」と言った奴を、心の中で鉄柵の外に蹴り出した。

 その時の不快感は小さなトゲのように心に残り、その相手を見る度に思い出すのだった。


 雪野の反応に気を良くした時宗は、開錠して助手席側に回ってドアを開けてやった。

 「車高が高いから勢いよく乗って頭ぶつけんようにな。」

 雪野は、

 「すみません、ありがとうございます。」と言って気をつけて乗り込んだ。

 時宗は運転席に乗り込みながら、

 「()()()()車やから乗りにくいやろ。」と言った。

 雪野は、

 「いいえ、凄く素敵です。乗りたかった車と同じタイプの車で嬉しいです。」と言った。

 「どこぞで見た車か?」

 「はい。母と歩いてた時見かけて、免許を取ったらああいう車に乗りたいと言ったのですが、母は、大きくてハンドルが重いから難しいと言ってました。」

 「まあ免許取りたてではキツいかもな。」

 実は雪野の母はそのあと、

 「自分で運転するんじゃなくて、こういう車に乗ってる人とお付き合いすれば?」と言って笑ったのだった。

 もちろん雪野はそこは時宗には言わなかったが。


 「さて出発するで。わしのラボに行く前に君のアパートに寄って2、3日必要な物だけ取って来てもらうんで大丈夫か?」

 「え?はい。」

 雪野は、アカデミーからアパートまで乗せてくれるだけだと思っていたのだが、今の話だと時宗の研究所とやらに連れて行ってくれるらしい。


 「アカデミーの宿舎群のどこや?」

 「3号棟です。」

 「そうか。もし急に行って迷惑なようやったら下で待ってるからな。」

 「いえ、まだ何もない状態ですがよろしければ。」

 「そうか。」


 動き出して5分ほどでアパートに着いた。

 アカデミーの宿舎はアパート型と寮型があり、オリエンテーションの時の説明では高等科以上の学生がアパートの部屋を借りられるとのことだった。


 部屋に着くと雪野は先に入って電気をつけた。

 「狭い所ですがどうぞ。」と言ってスリッパを並べながら見ると、時宗は膝まで編み上げのある草鞋(わらじ)を履いている。

 「今、椅子をお持ちします。」と言うと、

 「構わん。大丈夫や。」と答えながら一瞬で草鞋を脱いでスリッパを履いた。草鞋は玄関にきれいに並べられている。

 雪野はかなりびっくりしたが、慌てて開いた口を閉じて、

 「どうぞ。」と言って奥の部屋のテーブルに案内した。


 時宗は一旦座ったが、雪野が

 「お茶をいれます。」と言って台所に立つと一緒について来て、

 「冷たい水あるか?」と聞いた。

 雪野が冷蔵庫を開けると、

 「やっぱり水もいらん。」と言ってテーブルに戻った。

 雪野は一瞬戸惑ったが、冷蔵庫の中を見たのだ、とわかった。


 時宗は雪野にも座るように促して、

 「今回、2泊3日予定でわしが普段住んでる薬草研究所に来てもらう。日曜の夜にここに送って来るつもりやけど念のために月曜に直接アカデミーに行ける用意をしといて。」

 「はい。」

 「あと、すぐダメになる食材とかあれば何でも持ってき。車やしな。」


 雪野はボストンバッグに衣類を、アカデミー関連のプリントなどをリュックに、冷蔵庫の食料をトートバッグに手早く入れた。


 「用意できました。」

 「ほな行こか。」と言った時には玄関で草鞋を履いて、雪野のボストンバッグとリュックを持って立っていた。

 「君は戸締りをして食材を持ってゆっくり来て。」と言って出て行った。

 

 雪野もトートバッグを抱えて後を追った。

 時宗は雪野の荷物を後部座席に乗せて、

 「食材はどうする?」と聞いた。

 「前に持って乗ります。」

 「そうか。」

 雪野がトートバッグを抱えて座るとドアを閉めてくれて自分も運転席に乗ってエンジンをかけた。


 車を出しながら、

 「ここから中央棟まで5分、そのまま直進して20分の所に国立薬草研究所と薬草園がある。普通、ラボと呼んどる。

 敷地内に学者の集まりに対応できる宿泊施設もある。わしはそこを拠点に動いとる。」と言った。

 雪野は頷きながら、そういえば時宗は独身なのだろうか。それ以前に何才なのだろう?

 聞いてみたかったが言葉を飲み込んだ。

 今まで雪野との会話で、時宗は必要のないことは聞いてこなかった。

 おそらく自分もあれこれ聞かれるのは好きではないだろう。


 「着くまでゆっくりしといて。」と言って運転を続ける時宗を、雪野はチラッと見た。

 今日わざわざ自身のラボまで連れて行くのは自分の生活を雪野に見せると同時に、時宗も雪野を観察するのだろう。

 ―まだ本当に引き受けてもらえるのかどうかわからない。もし、やはり無理だと言われたらどうしよう…。

 もちろんそうなってもアカデミーには通うし、時宗の講義を受けることもあるだろう。

 しかし、今日一日の夢のような気持ちはどうなるのだろう。

 雪野は急に悲しくなった。


 「どないした?」時宗に聞かれて雪野は我に返った。

 時宗は何も見ていないようで細かいことまでよく見ている。

 「いえ、あの…今日一日のことが夢のことのように思えて…。」

 時宗はフッと笑って、

 「一つ一つ現実のことにしていこな。」と言った。

 「はい。」

 雪野は気持ちが温かくなった。



 程なくして道が急に暗くなった。市街地から森の中に入ったようだ。少し行くと小さな山の麓に着いた。

 目を凝らして見ると大きな門がある。

 時宗はキーのボタンで門を開け、車を進めた。道の両側の外灯が点く。さらに進んだ所に駐車場があった。

 軽トラックやバイクが停めてある。

 時宗はその横に車を止めて、

 「着いたで。お疲れ。」と言った。

 雪野はシートベルトを外しながら、

 「ありがとうございました。」と言った。

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