第27話 訓練の始まり 1
(1)
雪野は部屋に戻って、テキストとノートを机の上に置いた。
それから時宗の直筆メモを、文具店で買ってもらった書類ケースの一つにしまった。
先ほどテキストを片付ける時、さりげなくノートと重ねていたら、
「筆跡は個人特定の要素になるから持ち出さんといてや。」と言われた。
「えっ?ですが板書などで丸わかりでは?」つい聞いてしまうと、
「こんな一画一画はっきり分かるような書き方はしてない。これは中央棟に届け出てるわしの筆跡や。
君はこの字がわしの筆跡やと覚えておいてな。」
雪野は嬉しくて思わず満面の笑みで頷いたのだった。
思い出して、ついヘラっと笑いながら、他の物も置いていく物と持って帰る物に分けた。
置いていく物を入れる書類ケースには直筆メモの他、組織図とノートを1冊入れた。
そのノートは来る時に持って来たもので、ここに来てから知ったことや教えられたことをメモしてあった。
最初は雪野のアパートからここまでの地図、ここに着いてからの建物までの地図、建物の中の見取り図…
他にも昨夜教えられた和の国と日の国の関係や、歴史。
伊賀の組織図も書いてある。
全部が持ち出し禁止の内容ではないと思うが、大丈夫な部分だけ切り取って持って帰るというのも面倒なのでノートごと置いていくことにした。
それから午後の訓練で着る服を出してベッドの上に用意した。
忍具店で買い物をした時、影子が、遠出ではなく体育館や比較的障害物が少ない場所での訓練用、と言っていた服を選んだ。
そうこうしているうちに11時20分になったので雪野は部屋を出た。
食堂のテーブルの上を見ると、小さな握り飯が大皿にたくさん乗っている。
「すみません、先生。」
「構わん。簡単な物だけや。」
握り飯は、時宗が食べるにはかなり小さい。昨日のサンドイッチから考えると、この5倍くらいあるのを作りそうだが、と雪野は首を傾げる。
「炭水化物はだいたい2〜3時間でエネルギーになる。個人差や食品差があるけどな。
食べ過ぎると腹が痛くなったり、重くて動きづらくなる。
自分が一度に食える量、エネルギーに変わるまでの時間を分かって食事を取ってるとエネルギー切れで動けんようにはならん。」
「はい。」
「スープの方は少なめにな。水分は消化を早めるけど腹がダポダポになるほどは飲まんように。
握り飯は腹八分目や。
あと、デザート付きや。」
時宗が出した皿には輪切りにしたバナナにチョコレートソースがかかっていた。
目を輝かせた雪野を見て時宗は笑いながら、
「こっちは1時間足らずでエネルギーに変わる。
消化の早い物と時間がかかる物を両方食べておくのも手や。」
「はい。」
「君がハンガーノックを起こすほどの訓練は今のとこやらんけど、いつも自分の体の中で作られてるエネルギーと消費したエネルギーを感じるように心がけとき。」
「はい。」
「さ、食おか。」
時宗は8個、雪野は5個握り飯を食べた。
さらにチョコバナナを食べると、腹九分目以上になってしまい、雪野はお腹をさすりながら困った顔をした。
時宗は声をあげて笑い、
「大丈夫や。バナナの方は訓練までにエネルギーになる。」と言った。
雪野は顔を赤くして
「はい。」と言った。
「さて、片付けはわしがしとくから君は少し休んできて。
12時40分に、訓練服で第二テーブルに来て。」
雪野は片付けは自分が、と言いかけたが、言葉を引っ込めた。
「ありがとうございます。ごちそうさまでした。」
―12時に食事を終えて12時40分出発は早い。しかも玄関ではなく第二テーブル……来る!組織図が!
雪野は確信した。
雪野は何げない様子で部屋にもどり、扉を閉めると急いで机に向かった。
引き出しから組織図を出して、シャープペンシルで縦横の線を何本か引く。
できるだけ部署のかたまりが1つの四角に収まるように引いてその中ごとに覚えていく。
ほとんど覚えているのでそれで整理されていく。
―よし、大丈夫。
「チョビじぃ先生、助かってます。」とつぶやいた。
高校の時の世界史のチョビじぃ先生は、地図のテストをする時、他の教師のように問題用紙に地図を書いてそこに国名を入れさせるやり方はしなかった。
白紙に、『バルト三国の地図をかけ』という出題の仕方だった。
覚え方としては、三国の国境の上に横線、ロシアとの国境とバルト海に接しているところに縦線を書く。
すると横長の長方形が3つできて、その中にそれぞれの国の国境線を書く。
そうやって覚えると国名も形もしっかり記憶に残り、他の科目のいろいろな図を覚えるのにも応用できた。
雪野は組織図にもそれを使った。
12時半になったところで服を着替えた。ポーチにタオルと水筒を入れて部屋を出ると、ちょうど時宗が第二テーブルに紙を2枚とボールペンと丸いシールを置いていた。
「先生すみません。」
「時間前や。座って。」
「はい。」
「昨日渡した組織図を描いてみて。
何も見んと、覚えてる分だけでいい。シールの顔写真は関係ない顔も入ってるから。
このボールペンを使って、訂正は青色を使ってな。どうにもならんかったら裏に描き直して。」
「はい。」
「わしは訓練場の準備に行ってくる。10分でもどる。」
「はい。」
雪野は少し考えて、紙を折り始めた。ボールペンで縦線横線を書くと見づらくなるからだ。
最初に忍具店拠点の方をどんどん描いていった。
シールは後にして、次に中央棟拠点の方を書き始めたところで時宗が帰って来た。
時宗は書き終えてある1枚を手に取って見て、息をのんだ。
たった10分足らずで、こんな細かい図を、1つの間違えもなく描いてある。
―ほんまに驚くことの多い子やけどここまでとはな。
雪野は中央棟拠点の方もサクサク描いて、まとめてシールも貼った。
「ご苦労さん、大したもんやな。凄いな。」
そう言われて雪野は、一応首を横に振りながらも思い切り嬉しそうに笑った。
(2)
「さて、もう腹は苦しくないか?」
「はい、大丈夫です。」
雪野はちょっと赤くなりながら言った。
「そしたら行こか。
そうや、靴は朝、長靴と一緒に持ってきたあの運動靴でいい。玄関に置いてあるからな。」
「はい。」
時宗が雪野が描いた組織図を自分の部屋に置いて来る間に雪野は靴を履いた。
時宗は戻ってくると、いつもよりゆっくり編み上げ草鞋を履いた。
雪野は目を輝かせたが、流れるようにスッと手が動くのが分かったが、紐をどうやって結んだのかは分からなかった。
―うぅっ、奥が深いです、編み上げ草鞋…
雪野は心の中でつぶやきながら時宗の後について外に出た。
訓練場が見えてきたところで時宗が、
「ちょっと通り越していくで。この先の天文台を見せとくからな。」
「はい。」
訓練場のある所は森も少し切り開かれてるが、そこを通り過ぎるとまた鬱蒼とした森に入った。坂もまた急になる。
しばらく登ると急に視界が開けた。
ここが山の頂上付近だろうか。少し進むとまた鉄柵がある。
時宗がいつものキーで開けて中にはいる。雪野も慌てて付いて行く。
鉄柵の扉が閉まると、なぜか内側にインターフォンがあり、時宗はそこに向かって、
「時宗や。ちょっと邪魔するで。」
と声をかける。
返事を待つでもなく、そのまま敷地内をすすむ。
敷地内には4階立てのコンクリートの建物が二つあり、屋上にはたくさんのアンテナが立っていた。
「ここが国立第二天文台や。
こっち側の建物は天体観測をする普通の施設、奥の建物は軍事関連の施設や。
目には見えんけどレーザー光線で囲われてるから許可なく近付いたら大火傷するからな。」
雪野はコソコソと時宗の近くに寄った。
物騒なこの山で生き抜くには時宗から離れないことだ……
さらに少しその先に進むと数メートル下ったところにまた鉄柵があり、その向こうにはキャンプ場とドーム型の屋根の建物がある。
「あそこは許可を得れば職員以外でも入れる天体観測用のキャンプ場、あの丸い建物はプラネタリウムや。
また流星群が降る時にでも見に来ような。」
「はい。」
プラネタリウムが大好きな雪野は目を輝かせた。
「さ、訓練場に戻るで。」
踵を返して元来た方へ戻る。
すると建物の方から人が近付いて来る。
「なんや、降りてこんでよかったのに。」
「わざわざ人が顔を見せてやりに来たのに愛想がない奴だな。」
先ほどシールを貼った顔だ。一昨日の幹部会議の時、時宗の隣に座っていた細い方の人。
近くで見ると凄いイケメンだ。
「雪野に天文台も見せとこと思ってな。今日は中まで見学する時間がないからまた改めて申請する。」
「そうか。」
「雪野、幹部会議でわしの隣に座ってた藤城誠や。」
「柳生雪野と申します。よろしくお願いします。」
雪野は丁寧に頭を下げたが、藤城の方は軽く頷いただけだった。
「そしたら行くわ。また明日な。」
時宗が訓練場の方に向かって歩き出したので雪野も後を追う。
忍びというイメージからはほど遠い目立ち過ぎるイケメンはその後もしばらく二人を見送っていた。




