第25話 ラボでの生活 3
(1)
時宗は玄関を出ると駐車場に下りるのとは逆の、建物の後ろに向かう通路を歩いた。
やはりタイルの上をまっすぐに歩く。
雪野もタイルを踏み外さないように頑張って付いて行く。
建物の端まで行くと5メートルほど離れた所にコンクリートの建物があった。
面積はラボの建物の半分くらいで、窓が高い所にしかない。
時宗が入り口の鍵を開ける。
「覗いてみ。」
言われて中を見ると天井がない。
「外から侵入されんような造りになってる。
薬草を干す倉庫や。今は開けてあるけど天井が閉まるようになってる。」
「凄い。ドーム型の屋根ですね。」
中に入るとビニールのカーテンでいくつものコーナーに分けられている。
「毒草の中には花粉が飛んで他の植物に影響を与える物もあるからな。
またここの仕事もやってもらう時になったら詳しく説明する。」
そう言って時宗は外に出た。
倉庫の横をさらに歩いて行くと、突然視界が開けた。
まるで棚田のように斜面を平らに切り開いた広い土地が二段ある。
下の段にビニールハウスが2つ、上の段には周りを覆われた土地が1区画と、普通に露地の耕地が1区画あった。
「下の段がハウス物、上の段が露地物や。
どっちも奥が毒草や。
毒草は露地物も周りは囲ってある。」
「毒草というのは麻酔などに使う薬草ということですか?」
「まぁそうや。武器としての使い方もあるが、どちらにしても禁止薬物取り扱いの国家資格がないと触れられん。
もちろん高等科で取れるもんやないから研究科に進んで薬剤師の資格を取ったらの話やけどな。」
雪野は頷いた。普通の香草や野菜に水をやるくらいならともかく、毒草などには関わりたくないのが正直な気持ちだったので、
―この毒草は君に任せる―などと言われる日が来ないことをひっそりと願った。
そんな雪野の気持ちを見透かしたように、
「差し当たり君に頼めるのは、この手前の露地の水やりやな。」と言って手前の上の段の畑を指した。
そこだけは普通の健やかな畑らしく、植物達が朝日を浴びて輝いていた。
雪野はホッとしたように頷いた。
その露地区画には奥側に4本、手前側に4本の畝があり、奥側と手前側の間に細いあぜ道のような通路があった。
「奥側4列は葉の上からシャワーのように全体に水をかける。
手前側4列は葉にかからんように根元にやる。
やってみるか?」時宗は言って通路の端にある水道の所に行ってホースを取った。
「水圧が高いからしっかり持たんとふっ飛ぶで。」
そう言って雪野にホースの先を持たせて噴射の切り替え方などを説明した。
水を出すとホースの先が踊って、時宗に言われた通り雪野ごとふっ飛びそうになった。
時宗が斜め後ろから片手でホースの先を持って、片手で雪野の肩を押さえた。
「ほらな。」
「すみません…」
それから雪野は時宗が手際良く水をやるのを見学した。
「他のハウスはさっき終わらせたから今日の水やりは終わりや。」
時宗は下の段のハウスに下りて入り口を開けた。
入ってすぐの所に柱水栓があった。
時宗はいつの間にかいつもの編み上げ草鞋を履いており、水道の水で長靴を洗っている。
「それぞれのハウスごとに長靴を洗うんや。
どこか一ヶ所で害虫や植物の病気が発生した場合、靴裏に付いて他のハウスにもうつると全滅するからな。
君も今から徹底して。」
「はい。」
「今日は新しいし、ほとんど移動もしてないから裏をサッと流すんでいいから。」
雪野が靴の裏をどうやって洗おうか迷っていると、時宗が柱水栓にかけてあった短いホースを蛇口に差し込んで渡した。
雪野はつま先を立てて靴の裏にホースで水をかけた。
なんとなく流しただけだったが時宗が、
「今日はそれでいい。」と言って水を止めてホースを戻した。
時宗はハウスの入り口に鍵をかけて、また山の上に向かってタイルの上を歩き始めた。
雪野も濡れた長靴をキュウキュウいわせながら付いて行く。
数十メートル登るとまた大きな建物がある。先ほどのビニールハウスを2つつなげたくらいの大きな建物だが、コンクリでもビニールでもなく、木で建てられていて、外側の一部にトタンが張られている。
手前側はシャッターが上げられていて中が見通せる。
床は木が張られている。
「土足で構わん。入るで。」
雪野は入り口の泥落としマットでよく長靴をこすって時宗を追った。
時宗は左の奥にある小さな扉に向かって歩いて行く。
「ここはわしが訓練に使っている簡易体育館みたいなものや。あそこの扉の中は用具入れ場や。」
雪野は扉の近くまで行くと口に手を当てて固まった。
「あ……あ、…」
時宗が振り返る。
「どないした?」
「開けてはダメ…」
時宗がスッと雪野のところに来て手首を持って脈を取る。ポケットからペンライトを出して瞳孔を見る。
「大丈夫や。とりあえず座り。」
時宗は片膝を立てて前に出し、雪野を寄りかからせた。
「どうした?」
「大丈夫です。急に思い出してしまって……白い、光…。」
「………高校の体育館か?」
「はい。」
「もしかして見た内容も思い出したんか?」
「いえ、白い光だけ…。でも大丈夫です。思いがけない所で急に思い出したから焦っただけです。
白い光を見た後も、卒業するまでの3ヶ月の間に何度も教員室に入ってましたし。」
「そうか、それならよかった。今日の午後はここで簡単な運動能力テストとクナイの練習をするからな。」
「はい。」
「今は戻って朝飯や。」
二人はまたタイルの上を歩いてラボの建物に戻った。
玄関を入ると時宗は、
「長靴は靴箱にしまわんと乾かしといてな。着替えてすぐ朝飯にしよ。」と言って自分も部屋に戻って行った。
雪野も部屋に戻って手を洗って、すそが少しぬれたGパンを脱いで、昨日洗濯しておいたジャンパースカートを着る。
―ご飯を食べる時はこれが一番!
そうつぶやいてお腹をポン、と叩いて部屋を出た。
(2)
朝食は和風だった。昨日買った魚を焼いた物と玉子焼き、味噌味のスープ、大根やほうれん草の入ったサラダだった。
雪野はご飯をよそいながら、
「先生、いつ魚を焼かれたのですか?」
「今朝5時に出る前にサッと焼いておいて、今焦げ目を入れた。」
「そうでしたか。お手伝いもしないですみません。」
「構わん。また頼む時もある。」
「はい。」
二人はまた、それぞれのタイミングでおかわりをしてガッツリ食べた。
「ごちそうさまでした。凄く美味しかったです。」
「ハハハ、君は褒め上手やな。わしは玉子焼きは塩味が多いけど甘いのがよかったか?」
「どっちも大っっ好きです。自分で作る時は交互にします。こちらにお邪魔した一昨日の朝は甘いのでした。」
「そら良かった。」
時宗は屈託なく笑う雪野を見て、さっきの訓練場でのことは問題ないだろう、と判断して安心した。
時宗の経験では、何かあると"食事もノドを通らなくなる"というタイプの人間は大成しない。
見たところ雪野は食べる量といい、意欲といい、かなりたくましい。
これから厳しい訓練をしていくに当たって重要なことだ。
「さて、片付けたら8時半第二テーブルな。昨日わしが選んで買ったノートは全部持って来て。」
「はい。」
あっという間に片付けが終わり、二人はそれぞれの部屋に戻った。




