男は戦、女は婚礼 11
万姫さまがお輿入れした翌々日に、矢田姫さまと蓮姫さまが大坂城西の丸に到着した。矢田姫さまは殿の異母妹、蓮姫さまはそのお孫さまだ。
殿は機嫌良くお二人に会い、叔母の碓井姫さまのことや道中のことなど訊いて奥から去って行った。
その後、奥向きでの接待は阿茶の役目だ。
矢田姫さまは伝通院さまが離縁されてから生まれたので、互いになじみがない。側室で一番古くから奥にいる西郡の方さまも、面識はあっても主筋の姫ということで、臣下として接しねばならない。だから、奥を統括している阿茶が接待役として気を配る必要があった。
付けた侍女らは気の利く者たちばかりであったから、矢田姫さまと蓮姫さまはすぐに大坂城西の丸での生活に慣れたようだ。
「豪華な襖絵ばかりなので、最初は驚きましたけど、見慣れるものですねえ。極楽とは、このようなところでしょうか。美しい場所に住まわせてもらって兄上には感謝しかありません」
ご不自由はありませんかと、ご機嫌伺いに参じた阿茶に、矢田姫さまが答えた。五十四歳になった矢田姫さまは、養い子の松千代君の死からまだ立ち直っていないようで、大坂に来たときにはずいぶんやつれていたが、このところ笑顔が見えるようになった。
「上方に来て、おばあさまの食も進み、わたくしはそちらの方が嬉しいですわ」
傍らにいた蓮姫さまが言う。楚々とした美人で、今年十九歳。
孫娘に微笑んだ矢田姫さまがこちらへ向き直る。
「阿茶局どの、この娘の輿入れは六月ということですが、婿となる有馬豊氏なる人物について、そろそろわたくしたちに教えてくれませんか。輿入れの準備はどうなっているのでしょう」
「かしこまりました」
と、一礼した阿茶はこれまで集めた情報を伝えた。
摂津国有馬郡を本拠としたことから「有馬」を苗字にした摂津有馬氏は播磨国守護の赤松氏の庶流で、有馬豊氏の曾祖母は幕府管領の細川氏の出身ということから名家の出である。
父の有馬則頼は羽柴秀吉の中国攻めのとき戦功があり、秀吉から播磨淡河三千二百石を与えられた。高名な茶人でもあり、御伽衆として仕えた。しかし、小牧・長久手の役では長男の則氏を失った。
次男の豊氏は父に従って転戦したが、家督を継ぐ予定の兄・則氏がいたため、姉婿・渡瀬繁詮に仕えて家老となっていたが、繁詮が関白秀次の事件に連座して改易され、切腹すると、秀吉の命によって文禄四年(一五九五)に所領と家臣を引き継ぎ、遠江国横須賀三万石の大名となった。
太閤秀吉の死後、豊氏は父と共に徳川家に接近し、御伽衆の一人となった。
「五年前に家老から大名になったからでしょうか、三十二歳になられた今でも正室はおられず、側室のみを置いておられます。しかし、いずれの方からも姫しか生まれず、跡継ぎの男子がいらっしゃいません。加えて、亡くなった兄君の娘を養女として育てておられます。また、禅宗に帰依し、暮らしは質素で、父君と同じく茶道にも詳しく、築城の上手とも聞いております」
「なるほど。質素で茶に堪能。兄上が気に入ったのも分かります」
「さらに、殿の熱心な信奉者であられて」
と、以前「御家人になりたい」と直談判した逸話を披露した。
「それは。兄上のご機嫌がさらによろしかったことでしょう」
ほほ、と矢田姫さまは笑った。
「その上、婚礼の奉行に、これまでのような本多正信さまでなく、本多平八郎忠勝さまをと、殿にお願いして、それが聞き届けられました」
「まあまあ。名誉なこと」
矢田姫さまは、蓮姫さまを振り返って微笑んだ。
「徳川三傑の一人がそなたの婚儀を取り仕切ってくださる。思い出深いものとなるでしょう」
「ほんに。ありがたいことでございます」
蓮姫さまも笑みを返した。
徳川家の奥向き、この西の丸では今、幼い子はお亀さまが産んだ仙千代君しかいない。五歳の仙千代君は人懐っこく、賢いので、侍女たちに人気があり、側室さまたち、祖母の伝通院さま、皆その成長を温かく見守っていた。
また今年は殿の警護の役が養父と定められた平岩親吉さまに回って来て、一月中旬に平岩さまが江戸からやってきてから、毎日のように会いに来られる。仙千代君も平岩さまに懐いて、遅くに出来た子とその父といったように見えた。
矢田姫さまが大坂城西の丸に来られてすぐの頃、仙千代君が庭で遊んでいると、廊下に出て外を眺めていた矢田姫さまに気づいた。仙千代君は側付きの侍女から叔母であることを教えられたようで、とことこと近寄って行き、手の中に持った物を差し出した。
『おばちゃま、仙千代ともうしまする。これ、きれいなの』
と、右手を開いて碁石ほどで雲母が入ってところどころキラキラしている丸い小石を見せた。
『あげゆ』
ひざまずいて受け取った矢田姫さまは微笑みながら答えた。
『ほんに、きれい。ありがたく頂戴いたします。あいにく今はお返しの品がありませんの。また、来てくれますか?』
『うん、またねっ』
と、仙千代君は走って行ってしまった。
その背を見送った矢田姫さまの目からは涙がひと筋流れていた。
『顔立ちは違っていても、松千代と優しいところは、よう似て……。やはり兄弟ですね』
それから仙千代君はたびたび矢田姫さまの許を訪れるようになり、よく懐いて、養い子の松千代君を失った矢田姫さまの心も慰められていたようだった。
ところが二月に入り、あれほど元気だった仙千代君が熱を出し、それが下がらず、とうとう何日も床に就くようになった。始めは風邪かと思われていたのに、食も細り、痩せ衰えていく。
生母のお亀さまの心痛は著しく、食べ物を戻したりしたので、医師に診てもらうと、つわりだと言う。
めでたいことではあるが、今は仙千代君の容態の方を皆が心配し、殿も名医の曲直瀬玄朔どのを呼んで治療に当たらせ、養父の平岩親吉さまも見舞いに参上した。
しかし手当のかいなく、仙千代君は二月七日、身罷った。
殿は冷たくなってゆく仙千代君を前にして無表情になり、「六歳になったばかりであったか」とだけ、つぶやいた。
養父の平岩親吉さまは肩を落とし、「それがしには、子を持つ縁がないようでござるな」と悲し気につぶやいた。
臨終を告げられたとき、生母のお亀さまは仙千代君の身体に取りすがって、わっと泣き出した。
「御方さま、あまり悲しまれますと、お腹の御子にさわりまする」
と、側付きの侍女が引き離そうとする。
だが、阿茶はそれを止めさせた。
「子を失った母の嘆きをとめてはなりませぬ。心ゆくまで泣かせてあげなさい」
そして、泣くお亀さまの背をなでた。
「お腹の御子も、今世で会えなかった兄君のために悲しんでくれましょう。母として今日は仙千代君のために、お泣きなされませ。しかし、明日からは、実家に預けてある子とお腹の子のために、生きなされ。そなたはまだ二人の子の母でもあるのですよ。そなたが守らずに、誰が子らを守るのですか」
はっとしたお亀さまは振り返って涙で濡れた目を阿茶に向け、「はい……はい……」と、うなずいた。
仙千代君は幼児であったので、葬儀はしめやかであるが質素に行われ、殿は大坂天王寺の一心寺に亡骸を葬った。
叔母として可愛がっていた仙千代君の死は、矢田姫さまには衝撃で、葬儀の後、矢田姫さまは寝込んでしまった。
心身共に弱った矢田姫さまの枕元で、蓮姫さまがかきくどく。
「おばあさま、お気をしっかりとお持ちくださいませ。母は父が亡くなると実家に帰されました。このたび碓井姫さまのご好意で江戸を出発する前に会うことが出来ましたが、それが今生の別れと互いに分かっておりました。お嫁に行けば、おばあさまとも、お別れですが、その後おばあさまは京のおじいさまの隠居所においでになるのでしょう? 大坂と京は目と鼻の先。ですので、わたくしがこれから住まう有馬家の大坂屋敷へ訪ねてきてくださいな。わたくし、きっと男子を産みます。亡くなった人は近しい者の許へ生まれ変わると聞いております。おとうさまと松千代と仙千代を、わたくしが産み直して差し上げます。その子を、見てくださらなければ。だから、お元気になってくださいまし」
と、涙を浮かべながら身をかがめ、痩せてしまった矢田姫さまの右手を自らの両手で包んだ。
「そう……ですね」
矢田姫さまは、かすかに微笑み、蓮姫さまが勧めるまま、身体を起こして重湯を口にした。
それからは薄紙を剥ぐように身体の調子も良くなってゆき、阿茶はその矢田姫さまの様子を見て嫁入り道具とお衣装の選定の時期を尋ねた。
「これまでお嫁に行かれた姫さまたちは、お道具類に関しては振姫さまの品に準じた物を、お衣装はお好みを聞いて仕立てて参りました。蓮姫さまの花嫁道具はいかがいたしましょう」
「輿入れの予定は六月の中ほどでしたね。あと三月ほどしかありません。寝込んでなんていられませんでした。すぐにでも手配してくださいな」
矢田姫さまから前向きなお返事をいただき、阿茶は商人たちと会って注文する日を調整した。
以前と同じ、御簾越し、側近侍女を介しての会話だ。
御簾に向こうには、矢田姫さまと蓮姫さまがいる。お道具とお衣装を選ぶのは、誰もが心躍るのか、これまで息子と養い子を失った悲嘆で沈んでいた矢田姫さまは孫娘のためにと、茶屋家の手代からお道具類の詳細を聞き、衣装の生地見本を見比べ、選ぶのに余念がない。
その様子をにこにこして眺めていた蓮姫さまが一つだけ要望を出した。
「これまでの輿入れ先は、加藤さま、福島さま、蜂須賀さまという西国大名です。家中の者も、上方の華やかな衣装などに見慣れておりましょう。けれども、有馬さまは摂津の出とはいえ、東国の横須賀を領地とする大名です。我が徳川の領地に接し、当主の豊氏さまは茶人。であれば、上方風の華美な衣装でなく、美しくも品のある物が望ましいかと存じます」
「なるほど。そうですね」
矢田姫さまもうなずき、二人の意見は侍女を通して茶屋家、亀屋、松木家の手代に伝えられ、打掛や小袖の柄や生地が決まっていった。
商人たちが御前を辞したあと、蓮姫さまが阿茶に言う。
「わたくしは茶の湯なるものを知りませぬ。これから夫となる方が愛好されているものの一端を見てみたい。せめて作法なりとも覚えて、一度くらい茶を喫したいと思うのです」
「よろしゅうございます。殿にお伺いを立ててみましょう」
と、阿茶は請け合い、本多正信さまにまず相談した。
「私の方からも殿に申し上げますが、茶を習うなら、有馬さまの所にいる茶に堪能な老女などをこちらに寄越してもらったほうがよろしいのではないでしょうか」
との言葉が返って来たので、阿茶も賛同し、蓮姫さまの要望を伝えるとき、言い添えた。
殿も「それはよいな」とうなずいたので、有馬家との折衝を本多平八郎忠勝さまに命じた。
婚礼の奉行に任じられたとき、『それがしのような無骨者が華やかな輿入れの奉行などしてよいのでしょうか』と、頼りなげなことを言っていたが、阿茶が『婚礼の指示も戦の指揮も、根っこのところは同じでございましょう。それに輿入れに関してはすでに三件、行っておりますゆえ、担当の者たちも諸事慣れておりますから、安心してお役目をお勤めになるとよろしいかと存じます』と答えたら、何やら納得したようだった。
はたして本多平八郎さまは有馬家と話し、奥勤めの芳野という老女を茶の指南のため遣わすよう決めて来た。
芳野どのは三月になってから数日、大坂城西の丸に泊まり、教授することになった。
阿茶は迎え入れる部屋を調え、担当の侍女を決めて準備を整えた。茶の湯好きの太閤は、西の丸にも茶室を作っていたので、そこを使い、道具類は徳川家が所有する物を用意した。
庭の梅の花が満開となり、盛りを過ぎようとした頃、芳野どのが駕籠に乗って西の丸にやってきた。矢田姫さまと蓮姫さまの部屋へ通し、阿茶は脇に控えた。
芳野どのは四十の後半と見受けられる。挨拶を交わしたあと、芳野どのが言う。
「我が主、有馬玄蕃頭は、姫さまのお輿入れを心からお待ちしております。わたくしは主が摂津にいたときからお仕えし、奥を取り仕切っている者でございます。何事かあれば、わたくしにお申し付けくださいませ」
「そうですか。よしなに」
蓮姫さまは微笑み、鷹揚に答えた。
「本日はご挨拶のみにて。部屋へご案内いたしましょう」
同じ奥を取り仕切る者として、阿茶は自ら先導するつもりだ。
「では、御前を失礼いたします」
芳野どのが阿茶にうながされ、その場を立ち去った。
「あの……阿茶局さま。その前に茶室を見せていただきとう願います」
「ええ、どうぞ」
阿茶が脇にいた幸にうなずくと、幸は去って、茶室を開けて調えるために先にゆく。
阿茶と芳野どのが茶室に着くと、すぐにも使えるようになっていた。
「まあ。この設い。素晴らしいですわ。さすが太閤殿下が造られたものですね」
と、感嘆の声を上げた芳野どのは、阿茶に向き直った。
「蓮姫さまという、美しく我が主に配慮される賢い方を正室として迎えることができ、主ばかりでなく奥に勤める我ら一同、感謝感激しております」
芳野どのは礼をする。
「そう思われましたら、行いで示してくださいませね」
と、阿茶は笑みを浮かべた。
あとから幸に、「主さま、あのときの笑顔は怖かったです」と言われ、阿茶は思わず「あらいやだ」と、自分の両頬を両手で押さえてしまったが。
翌日からの茶室のお稽古は、控えさせた侍女の話では和気あいあいと進み、蓮姫さまは楽しんで、お点前を覚えてらっしゃるとのこと。
四日ほどして、阿茶は客として呼ばれたので、時間の都合をつけて茶室へ向かった。
五郎三郎にお茶席の経験をさせても、阿茶自身には初めてのことだ。
蓮姫さまに教わって、亭主役の芳野どのにも指導されての茶会だったが、普段の生活と離れた空間での体験は貴重なものとなった。
このように大坂城西の丸で徳川家の女たちが穏やかな日々を過ごしているうち、東国の上杉氏、会津領では小さな火種が大きな戦火になろうとしていた。




