男は戦、女は婚礼 9
一月に他家との婚約を咎められたが、別に「破談にせよ」とも言われていないので、婚礼の準備は順次進められる。次は小笠原家の万姫さまと長沢松平家の蓮姫さまの番である。しかしそれは来年の予定であるので、まだ時間に余裕があった。
大老筆頭の殿の命で、「今は世の中も平穏であるから、朝鮮の役以来の労をいたわり、人馬を休養させるため、諸大名にはそれぞれ領地を治め、国務を指図してはどうか」とのことで、他の大老たち、宇喜多秀家・毛利輝元・上杉景勝・前田利家と中老の生駒親正・中村一氏・堀尾吉晴、また奉行衆などが帰国した。
この間、政務を執るのは殿だけであるので、豊臣秀頼代理としてであるが、殿が実権を握ったも同然であった。
四月の豊国神社の遷宮以来、戦乱や城普請もなく、まさに世は平穏である。
暑い季節に入り、伏見城の城櫓の上で殿が涼んでいたとき、台所から出入りする身分の低い使用人たちの様子を見て、傍らにいた本多正信さまに言った。
「小者どもが様々なものを懐や袂の中に入れて持ち出し、また宿直の荷物の中に包んで出て行くのは、どう見ても官物を私物化している。これは全く台所頭の管理が行き届いていないからだ」
と、ご立腹だ。
しかし本多さまは涼しい顔で応じた。
「これは、とてもめでたいことでございます」
「盗みを働くことをめでたいとは、何事か」
咎められて、本多さまは答えた。
「そもそも、その昔。岡崎にいらっしゃった頃のことは申すまでもございませんが、浜松にお移りになられて御分国が広大になられたとはいえども、台所の物は鰹節一本でも盗むことはできませんでした。ところが、今は関八州の太守になられ、天下第一の大名でいらっしゃって、天下の政務も執られているので、国々の国守たちからの貢ぎ物もおびただしく、自然と財産が多くなられ、このような盗人も出て来るのです。これぞ、御家がお栄えになられた御しるしでございます」
これを聞いた殿は機嫌を直された。後日、盗人たちが罰せられたのは、当然のことであるが。
(確かに、伏見城に移ってから、暮らしに余裕ができた感じがする)
おものの菜も、昔ほど質素ではない。打掛や小袖についても、さほどうるさく言われることはなくなった。
(戦がない、ということは、これほど暮らしを豊かにするのか)
と、改めて実感した。甲斐での暮らしの、食うに食われず、という生活が遠い昔の夢のように思える。
久しぶりの穏やかな日々の中、江戸からそれを乱す便りが届いた。
嫁の志摩が女児を産んだ。それは、いい。
阿茶はすぐさまお祝いの文と縫い上げた産着を使いに持たせて遣った。
一方、秀忠さまの側室のお孝も六月十一日に姫君を産み、子々(ねね)[珠]姫と名づけられた。
阿茶は殿と御新造さまにそのことを伝えた。
殿は何度もうなずき、御新造さまは静かにそれを聞いておられた。
阿茶が万姫さまと蓮姫さまを迎え入れる時期について、殿に尋ねると、「秋以降でよい」との返事。
同じころ、大坂方の侍女たちから、「北政所さまと内府のお仲が尋常ではないのではないか」との噂が広がっていると、義妹の加代さまが文に書いて寄越した。阿茶の側近侍女たちも同様の噂を掴んでいる。
「大坂城の女どもは、下劣なものよ」
阿茶は、腹が立った。
おそらく北政所さまは豊臣家が立ちゆくよう徳川家と接触し、動いておられるのだろう。夫が死ぬと妻は法体となるが、北政所さまはまだ髪を落としていない。なすべきことがある、という決意の表れなのに。
殿が豊臣家とその当主である幼い秀頼君をどうしてゆくか、阿茶には分からない。だが、大きな何かが動き始めていることだけは感じていた。
七月に七夕飾りをし、八月に八朔の贈り物を各所にし。これは例年通り。
九月七日、殿は大坂に赴き、石田三成の旧邸に泊まったのち、九日、大坂城に秀頼君と母君に重陽の祝いを述べるため、登城した。
この直前、奉行衆の長束正家と増田長盛は、「浅野長政の計画で、土方雄久、大野治長たちに刺客を命じて、内府が大坂にいるとき、殺害する準備をしている」と、徳川方へ密告した。
「明日、大坂城へ行かれるのをお止めなさいませ」
と、これを聞いた本多正信さまが忠告したのだが、井伊直政さま、榊原康政さま、本多忠勝さまたちが、
「それでは怖気づいているように見えるので、殺す計画があるという心構えを忘れずに、入城するのが一番でしょう」
と申し上げたことに殿は従って、登城された。
井伊さま、本多さま、榊原さまをはじめとする十二人がお供をし、桜の門まで行ったとき、門番が「お供の者が多い」と咎めたけれど、聞き入れず、奉行の増田長盛、長束正家が出迎え、案内をした。
井伊さまをはじめとする十二人は殿に付き従い、使番の五人は玄関で待っていた。
殿は奥へ通され、秀頼さまと母君に対面した。
盃などが出て、お祝いの言葉を述べ、とどこおりなく重陽の祝いの儀が行われている間、供の十二人は隣室で厳然とした様子で待っていた。そのためなのか、懸念されていた暗殺などは起きず、殿は帰途に着かれた。
そのとき、何を思ったのか、殿は台所の方へ廻り、一間四方[一坪くらいの大きさ]の大行灯が掛かっているのを見、
「これは珍しい。私の供の田舎者たちにも見せたい」
と、言って、酒井忠利さまを呼んで、お供の者たちをことごとく呼ばしめて、それを見せ、内玄関から静かに退出されたのだった。
(何をなさっているのですか、殿!)
後日、本多さまからこのときの様子を聞いた阿茶は心の中で叫んだ。
危機を脱したのは良いけれど、たまに殿はこういうわけの分らないことをする。長くお仕えしているが、予想外のことをするのが殿だ、と理解するしかない。
このときの陰謀は、前田中納言利長が、浅野長吉改め長政と大野治長、土方雄久と共に、家康の隙を狙って刺殺する計画であった。しかし確かなことは分からないまま、この年の十月に浅野長政は本国の甲斐で蟄居、大野治長と土方雄久は流罪となった。
前田利長は、征伐すると家康に脅かされ、生母の芳春院を江戸に人質に出すと約束して、屈服する。
宿泊する屋敷でも用心し、伏見城から人員を呼び寄せたのだが、留守を預けていたご次男の結城秀康さまが、
「この城は、私がいれば何の心配もない。番頭・物頭までも持ち場を離れて、一刻も早く大坂へ参上しなさい」
と、命じたので、殿は感心し、お喜びになった。
(お生まれになったとき、あれほどお嫌いになったのに、変わられたこと。秀康さまも、養い親の太閤が亡くなられて、殿を父と拝するようになられたのか)
ともあれ、父子が親しんでいるのは喜ばしい、と阿茶は思う。
九月十二日、殿は伏見から来た警固の者たちと共に、三成の旧邸からその兄の石田正澄の邸へ移った。
それから北政所さまと話し合いがあったのか、大坂城西の丸に住んでいた北政所さまがそこを出て内裏近くの京の城(京都新城)に居を移すことになり、殿が西の丸に入った。二十七日のことである。
本丸には秀頼さまが生母と共にいる。
殿は大坂城西の丸に居住して政務を執ることになった。
阿茶は再び、引っ越しの指図をせねばならない。伏見城は結城秀康さまが預かることになったからだ。
伏見城を出て、引っ越し行列の中ほど、駕籠に乗っていた阿茶は、小休止のとき、壺装束に衣装を変えて馬に乗った。
口取り役に扮していた陰の護衛の五郎衛門が、(御身分を鑑みれば、はしたないことを)と眉をひそめたが、気にしない。一度、大坂という土地と城をじっくりと見てみたかったからだ。
街道の山が迫った場所を抜けると、目の前が開けた。
広々とした野の向こうに、海が陽に当たって輝いている。じきに実りを迎える田んぼが広がり、小家と木立が点在し、野には幾筋もの川が流れ、彼方に大きな街があり、そこに巨大な城がある。
城の瓦と鯱は金色できらめいており、壁は群青色。南蛮の宣教師によって海外まで喧伝された美しい城は同時に堅牢な要塞であった。
聞くところによると、天正十一年(一五八三)、四月に柴田勝家を滅ぼし、六月二日に京で亡き主君・織田右府の一周忌法要を行ったあと、着工した大坂城は、台地の北端の大坂本願寺とその寺内町の跡地に築かれたという。
北側では京から流れる淀川と大和・河内を流れ下る大和川が合流し、城のすぐ西でそれは海に注いでいる。大坂城は河と海の交通の要衝にあり、物流の一大拠点でもあった。
城と街を囲む惣構[外郭]、外観五層で内部は石垣の中の階も加えて八階から成る天守がある本丸は、巨大な水堀と空堀で囲まれ、真ん中に詰の丸と呼ばれる奥御殿があり、その東北に天守閣があった。その周囲を中の段帯曲輪、下の段帯曲輪が囲み、本丸の南に政庁の表御殿がある。
二の丸から表御殿へ入るには桜門からで、表御殿から奥御殿へ行くには、黒鉄門を通らねばならない。
「あそこの西の丸に住むのですか……」
攻める側としては、これほどやりにくい城はなく、守る側としてこれほど安心できる城はない。おまけに本丸には太閤が貯め込んだ金銀財宝があり、いくらでも兵を養い、籠城しても長く持ちこたえられよう。
その西の丸に、徳川が。
「殿も、おやりなさる……」
何度目か分からない感嘆の声が漏れた。
ここに来るまで、どれほどの策を巡らし、人を動かしたのだろうか。
しかし、豊臣方からすれば、阿茶たちは〝獅子身中の虫〟であろう。堀を隔てているとはいえ、同じ大坂城内にいるのだ。
ふと視線を落としたら、咎めるような五郎衛門の目と合った。
「次の休憩のとき、駕籠に戻ります」
つぶやくように答え、阿茶は微笑んだ。
あの城で、今度は花嫁たちを送り出すために、しなければならないことがたくさんある。
西の丸に入って落ち着いた頃、十月に入って先の暗殺計画の処分があった。
浅野長政さまの甲斐国蟄居、大野治長は常陸の結城家へ、土方雄久は水戸の佐竹家へ預けられる。
この謀には、前田利長だけでなく、長岡改め姓を元の細川に戻した細川忠興さまも加わっていたようで、前田さまは生母の芳春院さまを、細川さまは嫡子の忠利さまを十一月に江戸へ人質として送ることを約束した。
処分が発表されたあと、浅野家に仕える八束局から、悲鳴のような文がきた。
『我が主が、徳川さまを害するようなことをするはずがありません。冤罪です。どうか、阿茶局さまから、おとりなしを』
阿茶も今回の〝謀反〟は、おかしなことだ、と思っていた。
密告した二人の奉行は、以前、殿を狙ったこともある反徳川。
一方、主犯とされた前田利長さまは、亡き父君ほど豊臣家に思い入れがなく、慎重な御方だ。細川忠興さまも、徳川家に好意的な御方だった。嫡男の幸長さまの正室が前田家の息女であるから事件にかかわったとされる浅野長政さまなど、殿とよく碁を打つ間柄だ。大野治長さまは大坂殿の乳兄弟なので分かるが、土方雄久さまは、かつて織田信雄さまの家臣だったから、徳川家でも見知っている者が多い。
阿茶は本多正信さまを捕まえて、八束局から文が来たことを伝え、対処を相談した。
「浅野さまでございますか」
少し考えたあと、本多さまは答えた。
「『じきに解決します』とでも返事をなさればよろしかろうと。浅野さまにとっては、これによって気が楽になられましょうから」
と、ぼかした物言いだった。
(殿と本多佐渡守さまが、この件に噛んでいるのか)
暗殺計画の一件も、はたして存在したのかどうか。阿茶は察したが、詳しく問うようなことはしなかった。知ってどうなることでもないし、奥向きには関係ないことであったからだ。
八束局には、『ご心配ではございましょうが、よき方向に物事が向くよう、お祈り申し上げます』と文を書いて送った。
後日、浅野長政さまは家督を嫡男の幸長さまへ譲り、隠居したので蟄居は解かれた。
[大野治長と土方雄久は、翌年七月二十四日に家康と会い、許されて東軍に属して戦うことになる]
西の丸に引っ越した際、阿茶は小笠原家の万姫さまと江戸からやってくる矢田姫さまと孫娘の蓮姫さまのために部屋を調え、滞在中にお仕えする侍女を選別した。
十月に入ってすぐ、小笠原家に嫁いだ登久姫さまが娘の万姫さまを伴って大坂城の西の丸を訪れた。小笠原家は徳川家の与力大名と故太閤がしたので、譜代ではないから、大坂城下に屋敷を持っているため、殿が「呼んでもよい」と許可を出し、本多さまと阿茶が登城の要請をしたら、日を置かず登城されたのだった。
殿は九月の暗殺計画事件の仕置きや西の丸の天守閣を築くことや諸大名の動向の監視など、さまざまな件に関わっていたが、孫娘とひ孫の訪れを機嫌よく迎えた。
「お久しぶりでございます。おじいさま……おばあさま」
殿の側らには、西郡の方さまが控えていた。血のつながった祖母は清池院(築山殿)さまだが、四歳のとき父の信康さまと共に非業の死を遂げ、以後は西郡の方さまに妹の熊姫さまと育てられたので、育ての親である西郡の方さまを祖母と呼んでいるようだ。
「息災のようで何より。横にいるのが、万姫か」
殿が問うと、その場にいる人たちの目が登久姫さまの隣にちょこんと座っている幼女に集まった。
「万と、もうしますー」
子ども特有の高い声で、幼女は答えた。艶やかな黒髪に黒目勝ちの瞳、赤い小さな唇。織田家の血が濃く出たのか、将来、美人になるのが容易に想像できる容姿だ。
「八歳になります」
母親の登久姫さまが補足した。その母も若く、まだ二十四歳だ。
「良い子じゃのう」
殿が目を細めている。
この八歳の幼い子を嫁入らせるのは、どうなのでしょうか、と阿茶は言いたかった。が、臣下であるので、不憫に思っても、殿の決定に異を唱えることなど不可能だ。
夫君の小笠原秀政さまからの伝言や他の子どもたちの近況などを話したあと、登久姫さまは殿にお願いした。
「万姫は、こんなに幼くて嫁いでいくのです。せめて最後の正月は親兄弟と過ごさせていただけませんか」
「ふむ。まあ、よかろう。しかし、年明けには、ここに来るのだぞ。婚礼は松が取れてからの予定だからの」
娘や孫娘に甘い殿からは、すぐに許可が出た。
「でも、その前に嫁入り道具や衣装を選ぶために、一度はいらっしゃいな」
西郡の方さまも言った。
「もちろんですわ、おばあさま」
登久姫さまが微笑んだ。
この会見がある前に、阿茶は西郡の方さまと相談して、本多正信さまを通じ、万姫さまの祖母で登久姫さまの生母の織田家の徳姫さまとお二人を、輿入れ前に会わせることが出来ないか、殿に訊いてもらった。
殿の返事は、「実家に帰った者を西の丸に招いて会わせる理由がない。しかし、禁止することもない。そのほうらが工夫せよ」とのことだった。
殿が表御殿に去ったあと、女たちだけになったときに、西郡の方さまが登久さまに近寄って行って、告げた。
「登久姫、母君に……織田家の徳姫さまに会いたいですか」
「それは……できるのですか?」
登久姫さまが目を見張った。
「そなたが『会いたい』と申せば、わたくしが徳姫さまに文を書きます。そして、徳姫さまも『会いたい』とお答えならば、我らは労を惜しみません。殿からも許可をいただいております。いかに?」
「会いとうございます。わたくしと熊姫は、おかあさまと文を交わしても、幼い頃に別れて以来、会ったことがございません。面影もおぼろになりました。娘を会わせとうございます。今、幸せだと伝えとうございます!」
感情を爆発させ、涙を流した登久姫さまに、西郡の方さまは深くうなずいた。
「この婆に、まかせなさい」
徳姫さまのお返事をいただくのは西郡の方さまの仕事だけど、あとは私がすること、と阿茶は思ったが、すぐに段取りを頭の中で組み始めた。
天正七年(一五七九)九月に夫君の松平信康さまが自刃したあと、娘たちを置いて翌年二月二十日に岡崎を出立した徳姫さまは実家に戻ったのちに近江八幡に化粧料田をもらい、そこに住んだ。しかし、天正十年(一五八二)に父君と兄君が本能寺で亡くなった後、次兄の信雄さまに保護されたものの、小牧・長久手の役の講和で羽柴秀吉に人質として出された。その後、天正十八年(一五九〇)に信雄さまが秀吉によって改易されると、生母の実家の生駒氏が領する尾張国小折に住んだが、すぐに秀吉によって京へ戻される。
(本多さまによると、太閤が亡くなったことで、豊臣家は徳姫さまの庇護を辞め、織田家へ戻したらしい。織田家で太閤によって小大名になったのは、織田信長の弟・織田有楽斎長益、同弟・織田老犬斎信包、その子・織田民部少輔信重、信長の次男・織田常真(信雄)、七男・織田左衛門佐信高、九男・織田雅楽助信貞、十男・織田左京亮信好、嫡孫の織田中納言秀信。この中で、叔父の有楽斎さまの許におられるとか)
織田有楽斎は一万五千石の捨て扶持を豊臣家からもらっている御伽衆で、茶人として名高い。話が分からない御人ではない。
西郡の方さまは二人の姫君が輿入れした以後も徳姫さまと文をやり取りしており、このたびも連絡が取れて、『会いたい』 との意思が確認できた。
有楽斎さまからの許可は本多さまにお任せするにして、阿茶の仕事は他の手配をすることだ。結局、西郡の方さまと相談の上、花嫁行列が途中で休憩する宿で双方を引き合わせることにした。宿は亀屋栄任の知人の法印の屋敷だ。これなら、家と家の関係など関わりないだろう。ただ、休憩する一刻[二時間]だけであるが。
阿茶が各方面に働きかけている間、再び登久姫さまと万姫さまが登城され、以前したように、商家の手代たちを呼んで、御簾越しに品定めだ。ひ孫・玄孫に会えるということで、西郡の方さま、登久姫さまに伝通院さまも加わって賑やかだ。
「派手過ぎないこと?」
「万姫が大人になっても着られるような小袖と打掛も欲しいわ」
「今は、玩具も必要ね。これ、茶屋家の者、人形と手押し車も頼めるかしら」
「花双六も良いわね」
楽しいおしゃべりは昼の軽食をはさんでも続いた。この間、万姫さまは侍女たちに遊んでもらっている。
(善き事でありますね)
阿茶は、それを微笑ましく見守った。
長沢松平家では、辰千代君が武蔵国深谷一万石を継ぎ、後見人と代官による統治が始まった。長沢松平家を出た矢田姫さまと孫娘の蓮姫さまは、矢田姫さまの叔母であり、義母である碓井姫さま――酒井忠次さまの後を継ぎ、上総国臼井の領主となった息子の家次さまの城に住んだことから、そう呼ばれた――の許へ挨拶に行き、引き止められ、年末にはこちらに来るということだった。
きっと、酒井家の江戸屋敷でも別れの名残惜しさの語らいが続いていることだろう。
奥向きでは婚礼準備に余念がなかった。そんな十月の末の午後、江戸の大姥局さまから便りが来た。お孝が懐妊したという。秀忠さまとの間の二人目の御子である。
阿茶はそれを報せるため、民部卿局へ先触れを出した。
御新造さまの部屋へ着く前、民部卿局に秀忠さまから文が届いているか訊くと、来ており、今それを読んでいらっしゃるところだと言う。
「失礼つかまつります」
部屋に入り、御新造さまの前に進み出て坐ると、御新造さまは文を手にし、ぼんやりと虚空を見つめていた。
「お報せが届いたようでございますが、このたび、若殿のお側に侍る者が懐妊いたしました。御新造さまには」
阿茶の言葉を遮り、御新造さまがつぶやく。
「千がいるのに……わたくしの知らない女が産んだ子を、またわたくしの子にしなければならないの?」
唇が震え、目がつり上がると、「いやーっ」と叫んで、ばたりと倒れた。
「姫さま!」
民部卿局が駆け寄る。
「そこの者、表に連絡して医師を呼んでくれるよう頼みなさい。すぐに!」
「は、はい。ただいま」
傍らに控えていた侍女が駆け出す。
「姫さま……姫さま……」
民部卿局は御新造さまの手を握って呼びかけている。
「他の者、もそっと寄って。御新造さまを床へ寝かせましょう」
おろおろしていた侍女たちに阿茶が指示すると、侍女たちは、はっとして動き出した。
整えられた床に皆で御新造さまを担ぎ上げ、打掛を脱がせて小袖だけにし、横たえた。
阿茶は御新造さまの鼻先に右の手のひらをかざした。
(息はしておいでだ)
「このようなこと、以前にもあったのですか?」
阿茶は民部卿局に尋ねた。
「いいえ。初めてのことでございます。けれど、正室らしくしなければ、と思う一方、やはり他の女が背の君と過ごすのを嫌だとお思いになっていらっしゃいました」
民部卿局は目に涙を浮かべている。
阿茶は幸に、お梶さまに後のことを任せること、そして殿に御新造さまが倒れたことを伝えるよう命じた。
このあと二人とも為す術がなく、ひたすら医師の到着を待っていた。
医師が来たのは御新造さまが倒れてから半刻経った頃だった。曲直瀬玄朔どのである。
曲直瀬玄朔どのは、「失礼を」と一礼してから御新造さまの側に寄り、まぶたをひっくり返して様子を見、また口を開けて舌を診た。そして民部卿局に普段の様子・食事の内容・お通じのことなどを質問した。
診断の結果を話すとき、見計らったように襖が開いて、殿が入ってきた。
「かまわぬ。続けよ」
「御意」と、頭を下げた曲直瀬玄朔どのが続ける。
「お熱はなく、何もないのに突然、お倒れになったとか。手足が冷えておりますな。ご様子を見るに、女性特有の気鬱の病かと拝察申し上げる次第でございます」
「気鬱の病か」
「はい。京極家の方にはこの病の気配がありませんが、大坂の方は太閤殿下が亡くなられた以後、思い通りにならないと手足を震わせ、ときに意識を失います。ご姉妹で体質が似ておられるのでしょう」
「なるほど」
「お薬湯を出します。それを飲んで心安らかにされていれば、治りましょう」
「そうか。頼む」
殿が言うと、曲直瀬どのは一礼して薬を作るために侍女に案内され、そこを出て行った。
「殿……御新造さまを江戸へ送り出しましょう。でなければ、またお倒れになってしまわれます」
「……前々から、大坂殿にはその申請をしておるのだが、許可が出ぬ。末の妹を手放したくないようだ。しかし、今一度、願いを出してみよう」
そう告げて、殿は部屋を出て行った。
襖が閉まった気配を感じたのか、御新造さまがゆっくりと目を開ける。
「姫さま……よろしゅうございました」
「わたくし……」
と、いったん言葉を切った御新造さまは、天井を見て息を吐いた。
「起きる」
民部卿局の手を借りて、半身を起こした。
阿茶は、その右手を取り、両手で包んだ。
「冷とうございますね」
と、ただ手をさする。
「阿茶……」
御新造さまの両目から涙があふれた。
「……つらい。つらくて、たまらぬ。父がいて、母がいて、子は両親の間で笑っている。そんな関係を、背の君と作りたかった。わたくしが望んでも得られなかったことじゃ。千とわたくしをここに置き去りにして、背の君は迎えに来てくださらず、他の女と子を成している。姉君は、『江戸に行きたい』と言っても許してくれぬ。……どうすればいい? わたくしと千は、ここで朽ち果てていくのか?」
ぽたぽたと涙を流している。
「……おつろうございますね。よう耐えられました。殿も大君[茶々]さまにお願いしてくださいます。御新造さまも、今一度そうなされませ。中君[初]さまにもお頼みして、大君さまにお願い遊ばせ。それでも、お聞き入れなきようでございましたら、書置きを残して、出奔いたしましょう。恋心ゆえなれば、大君さまも、仕方なしと最後には許してくだされるでしょう」
阿茶は御新造さまに微笑みかけた。
「出奔……」
涙に濡れた目を御新造さまは見開いた。
「姉君は末の妹を守らねばならぬと、固く思っておられるのでしょう。しかし、もう幼い姫ではございませぬ。妻として、子を持つ母として、自ら決断し、行動できるのでございます。あなたさまは、我が徳川家の世子・秀忠さまの妻なのです」
「出来るのなら……江戸へ行きたい。背の君にお会いしたい……」
「では、そうなさいませ」
きっぱりと告げた阿茶を、御新造さまと民部卿局は不思議なものを見るような目を向けた。
やはり大坂殿は、殿と御新造さまの東行の願いを断った。それでも御新造さまの頼みで、同じことを願った京極家の初さまの説得で、しぶしぶ許可を出したのは、十一月に入ってからだった。
殿は久しぶりに八日、摂津国茨木で鷹狩をし、そこで捕らえた鶴を朝廷に献上した。
御新造さまと千姫さまが侍女たちと警固の者らと共に大坂を発ったのは、十一月の終わりのこと。
無事、江戸に着いたのは、十二月の初旬だった。これは大姥局さまの報告で知った。
江戸へ着いた御新造さまは挨拶に出たお孝に、正室として余裕の表情で接し、体を労わった。そしてまた、秀忠さまと仲睦まじく暮らし始めた。
阿茶は京極家の正室さま付き女房にお礼状を書き、歳暮を贈った。このことで、伝手の無かった京極家と縁を結べたのだった。
のちに、このか細いつながりが重要になってくるとは、そのとき思いもよらなかった。




