男は戦、女は婚礼 4
秀忠さまが江戸へ戻ってから、殿は御新造さまの姉君・西の丸さまに御新造さまの江戸への移住を「夫婦が長く離れ離れに住むのは良くないので」と、何度も願い出ていたが、そのたびに却下された。
事態が動かないため、十一月に入って、秀忠さまから御新造さまへ「周囲がうるさいゆえ、側室を置いても良いだろうか」との文が届いた。
それを受けて、民部卿局が阿茶の許を訪れた。
「側室を置く件、主さまは承諾されるそうです。ご夫君から申し出があったので、正室としては許さざるを得ないのでしょうが、お苦しそうなご様子でした」
「……そうですか。ご決心なされたのですね。お仲が良かっただけに、その心中、お察し申し上げます。御新造さまのご様子に、くれぐれも気をつけてください」
労わってさしあげてください、と民部卿局を送り出した阿茶だが、詳しい事情を大姥局さまからの文で、すでに知っていた。
江戸では、秀忠さまと正室との間に姫君しかいないことに危機感を持った家臣や大姥局さまからの進言で、側室を持つことを秀忠さまが決断し、その相手に、閨教育をしたお孝を指名したのだという。
(お孝なら、気の優しい女子であるし、男子を産んでも御新造さまをないがしろにするような娘ではない。良い人選でありますね)
夫婦間の愛情と大名家の後継問題は、また別のことだ。殿は自他ともに認める女好きなので、子だくさんであるが、秀忠さまは真面目でお堅く、多分、後継をもうけなくてもよいのなら、妻は御新造さまだけで済ませてしまうだろう、と思われるほど女っけがない。だから、少しでも好意を持っているお孝ならいい、と阿茶は思うのだ。
十一月二日に、振姫さまの花嫁行列は伏見の蒲生家の屋敷へ向かった。
「姫さま。どうか、お幸せに」
白い花嫁衣裳を身に着け、駕籠に乗りこむ姫さまへ、奥を代表して阿茶はそんな言葉を贈った。
同じ日に、殿は朝廷に鶴を献上した。
振姫さまのお輿入れが済み、ほっとする間もなく、侍女たちは旅立ちの準備を整える。御娘の嫁入りを見届けた、お竹の方さまが江戸へ戻るのだ。
先日、姫さまのお嫁入りが済んで、気が抜けたようになっているお竹の方さまへ、阿茶が言った。
「振姫さまのご婚儀もつつがなく終わり、いかがでしょう。京土産を持って、江戸へ戻られては。今、江戸には若殿と辰千代君とその生母の於茶阿局さましかおりません。辰千代君は年明けにもご婚約が調います。役人たちが諸事行うにしても、何かと於茶阿局さまも戸惑うことがあるでしょう。お竹の方さま、ご助言などしていただくと、ありがたいと存じます」
「そうですね。わたくし、京の水が合いそうにないのです。きれいで雅で賑やかな街ですけど、屋敷の中にずっといるわたくしには、江戸にいるのと変わりありません。むしろ、することがなくて……」
お竹の方さまと同様、娘だけもうけて今は閨事を辞退している西郡の方さまは、京に来て、法華宗の高僧の説法を聞いたり、お題目を唱えたりして、静かに暮らしていた。池田輝政さまの許へ再嫁した娘御の督姫さまが、一昨年の慶長元年に姫君を無事出産し、ご夫婦仲も良く、西郡の方さまは池田家からのお文を待ち遠しく思っておられる。しかし、お竹の方さまは振姫さまがいないと、何もすることがなく手持無沙汰だ。
「江戸行きのことは、わたくしから殿へ申し上げましょう。江戸で奥向きのことを見ていただくお方がいないと、何かと不都合がございますので」
「そうしてくださると、嬉しいわ」
お竹の方さまは、京より生まれ育った坂東の土地の方が、息がしやすいようだった。
阿茶はさっそく殿にこのことを言上した。許可はすぐに出た。そのため、輿入れに続いて、侍女たちは忙しくしている。
阿茶は、お竹の方さまに付いているお仙さまを部屋に呼んで注意を与えた。
「お竹の方さまが江戸へ戻られるにあたって――本丸におられる若さまの侍女たちの統括は大姥局さまがされるので安心ですが、西の丸の殿の奥向きにおいては、辰千代君の母・於茶阿局さまがいます。あの方は、物の道理が分からない御人ではないのですけれど、辰千代君に関わることになると、目が曇ります。わたくしも於茶阿さまに文をしたためますが、殿に寵された順、姫といえども蒲生家の正室となられた方の母ということで、奥の順列としては、お竹の方さまが上ということを認識して、於茶阿さまに対してください。あの方は押しが強いですから、負けてはなりませんよ」
「かしこまりました」
お仙さまは、瞳に強い光をたたえて返事をし、辞去した。
おとなしいお竹の方さまとお仙さまに対して、於茶阿局さまがいいように扱うのが目に見えるようだ。阿茶の側近の石津局と稲城局がいても、若君の生母の於茶阿局さまより身分が下。お竹の方さまが下向しても、於茶阿局さまがしたい放題するのが容易に想像できた。お仙さまへの忠告も無駄かもしれない。
「西郡の方さまが行ってくだされば、あの方の手綱を握れるのだけど……」
京ではこれから何があるか分からない。だから、寵姫以外の方々は、江戸へ戻って欲しいのだけど、伝通院さまと西郡の方さまは、まだしばらく京にいたいと言い出した。
「お孫さまたちの婚儀があると報告してしまったのが失敗だったか……」
反省することしきりであった。
徳川家と各大名家の間に入った今井宗薫さまの尽力で、蜂須賀家との縁組も整いそうだった。お相手は、当主・家政さまの嫡男・千松丸さま(のちの至鎮)、十三歳。こちらは、小笠原秀政さまと登久姫さまの御娘で殿の曽孫にあたる万姫さま、七歳が養女となって嫁ぐ。
お二人とも幼いので、輿入れはまだ先のことだ。
蜂須賀家は、家祖の蜂須賀小六正勝さまが織田家に仕える前の太閤と知り合いで、木曽川近くの土豪であった。のちに織田家に正勝さまが仕えるようになってからは出世した太閤の与力となり、さらに天下人となった太閤の直参衆となって、最後には豊臣家中における筆頭格の重臣となった。正勝さまが天正十四年(一五八六)に亡くなり、後を継いだ嫡男の家政さまも猛将で太閤の信頼が厚かった。ところが、昨年の慶長二年(一五九七)の朝鮮・南原城の戦い、蔚山城での戦いで、加藤清正・浅野幸長隊を救援したものの、十分な追撃を行わなかったことと、黒田長政たち諸大名との連名で戦線の縮小案を出したことで、太閤の逆鱗に触れ、日本に呼び戻されて領国で蟄居、蔵入地(直轄地)の没収という処罰を受けた。
けれども太閤が死に、殿が大老として蟄居を解いた。これによって、縁談はすんなり受け入れられ、年内に結納を済ませることも決まった。
登久姫さまは殿の亡きご長男・信康さまと織田家の徳姫さまのご息女。父君が不幸な亡くなりかたをし、母君が実家に戻ったのちは、妹の熊姫さまと共に殿の許で西郡の方さまに育てられた。
「嫁ぐ前に、万姫が伏見屋敷に来るのですって? 文は交わしていますけれど、会うのは初めて。楽しみだわ。登久姫も付き添って来るのかしら?」
「それはまだ、なんとも決まっておりませんので」
期待で、きらきらした瞳をした西郡の方さまを前にして、阿茶は歯切れが悪い。
「そうですわ。徳姫さまにも来ていただきましょう。京に隠棲しておられますから、来られないことはありません。阿茶局どの、殿の許可を取っていただけませんか?」
(また、面倒なことを言い出された。織田家の徳姫さまは確か、太閤の庇護の下にあったはず)
阿茶は、とっさに思ってしまったが、にこやかに返事をした。
「いずれ、おりを見て、殿に申し上げてみましょう」
と言って退出の挨拶をし、西郡の方さまの部屋を出た。
頭の痛い案件が増えた。
「三郎太郎(松平康元)の娘の満天姫が福島さまに、藤十郎(水野忠重)の娘のかな姫が加藤さまに嫁ぐ前に、ここに来るのですか。まさか、この年になって、孫と姪の花嫁姿を見ることができるとは、思いませなんだ」
と、阿茶から話を聞いた伝通院さまは涙ぐんだ。
殿の母君・伝通院さまは二度目に嫁いだ夫の久松俊勝さま亡き後、看経の日々を送っておられた。親孝行な殿は緊急な用がない限り、母君のご機嫌伺いのため、毎日部屋を訪れる。それでも仲睦まじかった夫君の穴は埋められないようで、お寂しい様子だったが、孫と姪の婚儀の話を阿茶がしたら、目を輝かせた。
福島家に嫁ぐ予定の満天姫さまの父君は、殿の異父弟の松平康元さまで、徳川家が関東移封されてから、下総関宿に二万石を賜り、のち加増されて四万石の大名となった。
加藤家に嫁ぐ予定のかな姫さまの父君は伝通院さまの異母弟で、織田右府さまに冤罪をかけられた水野家の方々を伝通院さまは岡崎城にかくまったことがあり、そこに水野忠重さまもいた。
かわいい息子と弟の娘たちである。伝通院さまは会うのを、それは楽しみにしておられた。
十一月の下旬となり、渡海衆の大名たちが次々と帰国した。それによって縁談も話が進み、蜂須賀家と福島家とは無事に結納を済ませることができた。
殿は二十八日に、再び朝廷に鶴を献上した。
順調に縁談が成立していったのだが、商人たちが持ってきた情報で、加藤清正さまについて、看過できないことが分かった。
唐瘡[梅毒]に罹っているのだという。
この病気は南蛮人がもたらしたもので、病を持った娼妓に接することでうつることが知られていた。加藤清正さまは朝鮮で歌妓を閨に呼んだことが原因ということだ。
夫がこの病を持っていると妻にもうつるだろう。
(かな姫さまが、病の犠牲になる?)
阿茶は、ぞっとした。
このことをどこから聞いたのか、伝通院さまもお知りになり、阿茶を呼んだ。
「いくら政略で必要な縁組とはいえ、唐瘡持ちの男の許へ姪を嫁入らせることなど反対です。かわいそうではありませんか」
と、すでに涙ぐんでいる。
「殿にどうされるか、お伺いをたてて参ります」
やりきれない思いで阿茶は答え、そこを辞した。
殿に会う時間をとってもらい、部屋へ赴けば、すでに本多正信さまがおり、人払いがされた。
「やっかいな病持ちであろうと、主計頭が必要なのだ」
殿は阿茶に、はっきりと答えた。
(女の不幸の上に築く関係か)
腹の底から怒りが湧いたが、姫君だけでなく、下級武士の妻や庶民の女たちだって理不尽な目に遭っていることは、その階層出身の阿茶は十分すぎるほど見聞きし、男の身勝手は自分でも経験している。
(輿入れが決定事項であっても、何か手があるはず……)
確実にくる不幸の前に、あがいてみたい。
「北政所さまも、この縁談には乗り気で、『市松と虎之助が豊臣家と徳川家の橋渡しになれば、心強い』と、お喜びです。今更この話をなかったことにはできませぬぞ」
本多さまも変更はないと言う。
これを聞く限り、北政所さまとは、よい関係を築けているようだ。
「……では、殿。名医を寄越してくださいませ。病について詳しく知りとうございます。伝通院さまも噂をお聞きになり、姪御のこととて、大変ご心配になっておられますゆえ」
「よかろう」
殿が請け合ってくれたので、話はそこで終わった。
翌々日、本多さまに呼び出された。いつものように奥向きでの伝手で知り得たことと政事向きのことの情報交換をしたあと、言われた。
「殿は曲直瀬玄朔どのに頼むようです。唐瘡についての説明をしてもらうのではなく、『母の具合が悪いので』ということで、伝通院さまの診察を頼む形になります。よろしいでしょうか」
「はい。伝通院さまに、そのようにお伝えいたします」
曲直瀬玄朔は、足利学校で医学を学んだ名医・曲直瀬道三の甥である。長男を早くに亡くした道三は、両親を幼いうちに亡くし、手元で育てていた妹の子の玄朔と孫娘を娶わせ、養嗣子とした。曲直瀬道三は先帝・正親町天皇の脈を取り、足利将軍をはじめとして毛利元就・織田信長など諸大名を診察し、文禄三年(一五九四)に亡くなった。
義父の許で医術を学び、研鑽した玄朔も天正十一年(一五八三)、卒中で倒れて意識を失った正親町天皇の治療に成功し、名医としての名声を得る。毛利輝元、関白秀次らの診療・治療を行うが、文禄四年(一五九五)に秀次が切腹すると、関係者として常陸国に流され、佐竹氏預かりとなった。太閤秀吉が病の床に就くと許されて治療にあたる。
徳川家とも旧知の医師だった。
阿茶は曲直瀬玄朔どのが来ることを伝通院さまに伝え、そのときどう振舞うか打ち合わせをした。伝通院さまは今年七十一歳で、老いによる足腰と目の衰えはあるものの健康体だった。名医を前にして、それをどうごまかすか。そして、唐瘡について、どう聞き出すか。
「風邪をひいたことにして、心配性の息子が名医を引っ張り出した、ということにいたしましょう」
悪だくみをする伝通院さまは生き生きとしている。その様子は、ちょっと殿に似ていた。
曲直瀬どのの訪れは明日の午後と本多さまから聞いていたので、伝通院さまはこの日から食事は重湯だけにし、床に就くことにした。唐瘡については、知り合いの子息が罹ったようで、妻女はどうすればよいかと、それとなく尋ねる予定だ。
予定の時刻に、曲直瀬玄朔どのがやってきた。五十前くらいの優し気な顔立ちの人だった。
挨拶をしたのち、「では失礼して、診察をさせていただきます」と、床に伏している伝通院さまの側に寄った。
枕元には側仕えの年配の侍女がおり、質問と答えをすでに打ち合わせ済みだ。足元の方に、阿茶は控えていた。
曲直瀬どのは、伝通院さまに舌を出させて、その色を見、侍女に熱や咳の有無やいつから症状が出たか、お通じはどうか、など尋ねた。
侍女は、すらすらと答えている。
(おや。貴人には糸脈などということをすると聞いたけれど、なさらないのだな)
名医の診察ということで、阿茶は興味深々だ。
「軽いお風邪を召されたのでしょう。お疲れがたまっているご様子。それに応じたお薬湯を出しましょう。お身体というより、お気持ちのほうのお疲れのようですので、それに応じたものにいたします」
「ええ、ほんに」
と、阿茶がその言葉に乗った。
「主さまはこのところ気疲れなさることが多うございまして……その、はっきりとは申せませぬが……可愛がっている御方が、その……」
口元を袖先で隠し、ちらりと伝通院さまに目をやると、察したのか、お言葉をもらった。
「よい。医師の方じゃ。話してたも」
「はい」
と、一礼してから、阿茶は主の縁ある姫君が唐瘡を患った男の妻で、姫君にもうつるのではないかと、気を病んでいることを告げ、罹患を防ぐ手立てはないか、と訊いた。
「ふむ。それは御心配でしょう」
受けた曲直瀬どのは、うなずいた。
「唐瘡に罹っても、必ずしも発症するわけではありません。わたくしの経験からいって、感染して発症するのは十人の内、三人ほどです。根本的な治療法や完治させる薬はございませぬが、発症を遅らせたり、出来る限り罹患を予防させたりする方法はあります」
「まあ、そうでございますか。ぜひ、それを教えてくださいませんか。手立てがあると知るだけで、主さまの憂いが晴れましょう」
阿茶が言うと、曲直瀬どのが微笑む。
「お体だけでなく、お心を安んじさせるのも医師の勤めでございます。しかし、わたくしが連日こちらへ伺うのは、徳川さまのご母堂が重病かと噂も立ちますれば、代わりにわたくしの許で修行中の岡本重信という者を寄越しますので、この者にお聞きくだされば少しは憂いが晴れるかと存じます」
「では、お願いいたしとう存じます」
曲直瀬どのが請け合ったので、岡本どのの来訪の日時は表役人と打ち合わせることになり、曲直瀬どのは辞去した。
「……あれは仮病だと、ばれていますね」
曲直瀬どのが部屋から退いてから、伝通院さまはそう言って侍女の手を借り、半身を起こした。
「さすが名医。伝通院さまが何を求めているか、見抜きましたわ」
阿茶が応じた。
「なればもう、いつものお食事に戻してよろしゅうございますね。これ、何か精のつくものを。主さまのお好みのものなど、持っていらっしゃい」
側仕えの侍女が部屋の隅に控えている若い侍女に命じた。
「でも……治す薬がないなんて。かわいそうな子……」
かな姫さまのために伝通院さまが嘆く。
「それでも、希望が見えましたわ。接した者、全員がかかるわけではないようですから」
阿茶が、にこりとした。




