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醍醐の花見

 殿の帰国と入れ替わるように、慶長二年(一五九七)十二月四日、秀忠さまは京・伏見に戻り、十二月に江戸城へ帰った殿はそこで新年を迎えた。

 慶長三年(一五九八)正月、久しぶりの殿の御前での年賀に、家臣たちの喜びが奥にまで伝わってくるようだった。

 そんな中で、阿茶は於茶阿局からの目通りの願いを受けた。

 於茶阿局は出産で一時、奥勤めを離れていたが、松千代君が長沢松平家へ養子に行ったあと復帰し、寵姫ではなく、今では以前のような役女として重要な地位に就いていた。

「改まって、いかがいたしましたか?」

 於茶阿局は、奥の女たちを取りまとめている。そのため、阿茶と接することが多かったが、今回はその要件ではないようだ。顔色が青白く、切羽詰まった様子だった。

「辰千代のことでございます。松千代は、すくすくと育っておると、長沢松平家から知らされておりますが、辰千代は殿とのお目通りがいまだにありません。今年、七歳になりました。学問や武芸を習い始める年でもあります。でも、殿に認められないまま、あの子はどうなるのでしょう。わたくしも幾度か殿に会ってくださるよう願い出ましたが、一度たりともうなずいてくださいません。もうおすがりするのは、阿茶局さましかいないのです。どうか、辰千代のことを……」

 あとはすすり泣きで、言葉が続かなかった。

(気の強いこの方が、ここまで追いつめられるとは、殿も罪深い)

 同じように子を持つ母として気持ちは分かるので、気の毒に思った阿茶は答えた。

「折を見て、わたくしからも殿に申し上げましょう。豊臣氏に次いで結城氏の養子となったご次男の秀康さまも、ご幼少の頃は殿から遠ざけられておられましたが、成人した今では武将として殿に認められておられます。殿の御子でありますから、辰千代君もきっとよき大将に成長されることでしょう。希望を捨ててはなりませんよ」

 於茶阿局を慰めてから、阿茶は本多正信さまにふみをしたため、殿に辰千代君との対面を勧める際、口添えを願った。本多さまからは「諾」との返答をもらった。



 正月の行事が一段落してから、阿茶は宿下がりを願い出、許可されたので結衣と姪たちを伴って城下にある神尾家の屋敷へ赴いた。そこへ行く以前に、姪たちに持たせる金子や絹織物は松木家を通じて手配済で、結衣には御家人・旗本の妻となるため、神尾家で修行するよう話してある。

「結衣は城中で育ったので、行儀作法や読み書き、縫い物は十分にできます。でも将来、御家人か旗本になる五郎三郎のお嫁さまになるには、炊事・洗濯などもできなくてはなりません。そのため、守世の妻の志摩どの、そなたには義理の姉になる方から、徳川家臣の嫁としての在りようを学んでください」

 阿茶の言葉を、十歳になった結衣は神妙に聞いていた。女子の成人とされる十三歳にあと三年となっていたからだ。

 駕籠に乗り、幸と結衣、姪たちを連れて守世の留守宅である神尾家に着くと、嫁の志摩をはじめ、萩野と小夜が出迎えてくれた。結衣のことは先にふみで報せてある。

「お義母さま、よくいらせられました」

〝奥さま〟と呼ばれることになって久しい志摩が、挨拶をする。

「元気そうで何よりです」

 駕籠から降りた阿茶も微笑んだ。そして奥へ通され、初孫のお花と会い、可愛さに歓声を上げて抱き上げ、赤子あかごの感触を堪能した。

 その後は結衣を改めて紹介し、留守の間の江戸のこと、お花のことを聞き、姪たちのことなどを話し、夕餉を摂ってから神尾家を辞そうとした。帰るのは阿茶だけだ。成瀬家の江戸屋敷にいる弟の飯田久左衛門の家族には連絡を取ったので、明日には迎えに来るという。弟は主君の成瀬さまに従って伏見にいるから、その妻女からの返事だった。母娘との再会も賑やかなものとなるだろう。

「では、志摩。お花もいて大変だろうけれど、あとのことはよろしく」

「はい、おまかせください」

 と、心強く答えた志摩が視線を迷わす。

「あの……まだこれは旦那様にもお報せしていないのですが、どうやら子ができたらしくて」

「まあ」

 草履を履きかけていた阿茶が振り向いた。

「なんてめでたい。身体を大事にせねば。ならば、結衣を預けてはだめでしたね」

「いいえ、お義母さま。義妹いもうとになる結衣さまと暮らせるのは、わたくしも楽しみにしておりましたから、大丈夫です」

「そうでございますよ。わたくどももおります。奥さまはお一人ではございません」

 と、萩野が言い、控えていた小夜もうなずいている。

「ならば良いのです。でも、無理はしないように」

 阿茶は後ろ髪を引かれるような思いで、そこをあとにした。



 城に戻った阿茶に、悪い報せが待っていた。伏見にいる秀忠さまが疱瘡に罹って臥せっておられるというのだ。

「ご危篤なのですか」

 報せを持ってきた笹尾局の配下の美津という侍女に、驚いた阿茶は尋ねた。

「いえ、それほど切迫したご様子ではありません。医師と大姥局さまが懸命な手当と看病をされております」

 うつるといけないので、御新造さまと千姫さまは一番遠くの部屋へ移られたとか。

 秀忠さま御病の報は、殿にも届けられていた。しかし殿はさはど心配する様子が見られなかった。

 阿茶は持仏に秀忠さまの回復を祈り続けた。

 この十日後に伏見から来た使者は、「若殿、ご本復」との報せをもってきたので、阿茶は安堵の息を吐いた。大姥局さまからのふみでも、「まだ体力が戻らず、床上げはなされていないけれど、ご快復の傾向である」とのことだった。

 良い報せのあと、二月に入って悪い報せが届く。殿の四女の松姫さまが身罷られたのだった。

 御子のうち、戦力となる男児は重んじられ、女児はその生母と共に男児の下に置かれる。松姫さまの訃報は、奥を統括する阿茶の許へ届き、殿に申し上げることになった。

 阿茶は殿へ面会を申し入れ、すぐに許された。そこで伏見屋敷にいる市島局から知らされた松姫さまの死と最後の様子を語った。

 殿の側らには、小姓の他に本多正信さまがいる。

「お風邪を召され、それをこじらされたようで、一月二十九日に身罷れました。殿におかれましては胸が痛む御事となりますれば……お慰めの言葉もありません」

「そうか……松は四歳であったな。同じころに生まれた仙千代と違って、生来、病弱な子であった。丈夫に育つよう『松』と名づけたのだがのう」

 いったん目を閉じた殿が再び開け、阿茶に言う。

「葬儀は慎ましやかに行え。松の母のお久は、阿茶に任せる」

「御意」

 切腹されたご長男を別にすれば、殿が御子を病で亡くすのは初めてのことだ、と阿茶は気づいた。また、お久さまを阿茶に託すということは、もう閨には呼ばず、側室として扱うのではない、ということである。

「『六歳までは神の子』というが……早いな」

 しみじみとした殿のつぶやきを阿茶の耳が拾った。

「……さようでございますね。神々は子ども好きとか。神に子をとられる親の辛さ。お察し申し上げます。ですが……七歳になれば、人の子でございます。殿には確か、七歳になる若君がおいでになると思いましたが、いかがでございましょうや」

「さてもさても。そうでありましたな。皆川山城守の許におられる辰千代君が、今年七歳になられるはずですな」

 阿茶の言葉に、本多さまが乗ってくれた。

「ううむ……」

 苦い顔をした殿だが、「そうか。七歳になるか。会わねばなるまいな」と対面することを許可した。

 阿茶は御前を退くと、さっそく於茶阿局を呼び出して、このことを話した。

「ああ、嬉しや。殿がやっと辰千代を認めてくださった!」

 と、大喜びした。

 しかし後日、養育係の皆川広照さまに連れられて登城した辰千代君に会った殿は、

「辰千代、励めよ」

 と声をかけたのみで、対面したあと、

「恐ろしい面魂つらだましいよ。三郎(長男の信康)に、よう似ておる」

 と周囲に漏らし、相変わらず毛嫌いしていた。

 けれども正式に徳川の若君として認められた辰千代君は江戸城に部屋を与えられ、暮らすことになる。ただ、生母の於茶阿局は側室として扱われることなく、役女の待遇のままだった。

 しかし於茶阿局はそれを気にすることなく、辰千代君の側近に娘婿の花井三九郎をつけ、以後も息子のために自分の持つ人脈を有効に使うのであった。



 京にいる秀忠さまが完全に回復され、二月の上旬に江戸にいる殿へ消息しょうそく[手紙]を寄越された。阿茶にも宛てて御文があった。そこには元気になったこと、今は妻子と共に暮らしていることが書かれてあった。

(私にまで御文をくださるとは、若さまはお優しい)

 結衣と姪たちと別れ、寂しく思っていたところ、秀忠さまが病気と聞き、心配していた。側近から治ったとの報告を聞いたが、本人からの便りをもらうと、やはり胸にくるものがある。弟の忠吉さまも阿茶にたびたび便りをくださり、もう一人の母として慕ってくださるこの兄弟の心遣いが、とても嬉しい。

(こんな良い子たちの養母としてくださった殿に感謝せねば)

 と、阿茶はますますご奉公に励む気持ちを強くするのだった。



 江戸に滞在中、三月には上洛するという直前、阿茶は殿の御前に呼び出された。

 先に本多正信さまが来ており、人払いがされた。

「これを見よ」

 殿が懐から一枚の紙を出し、二人の前で広げた。

『八月』

 と、書いてある。

「天海は天台宗の僧として顕密けんみつの法を修めているだけでなく、易占にも長じておっての。人の命数も占える」

 阿茶は、はっとした。かつて天海僧正が、お愛の方さまの死期を示したことを思い出した。

「太閤の寿命を占ってもらった。命数を延ばす方法もあるそうだが、もやはその時期は過ぎ、死期が定まっておるそうだ」

「なるほど」

 と、さして驚くことなく本多さまが応じる。

「三年前の文禄四年頃から不調であったのは気づいておりました。朝鮮への再度の出兵、年末の蒲生侍従さまの宇都宮への移封と減封、上杉の会津への移封によって東北の諸大名と我が徳川の抑えとすること……太閤は、おのれの死後のことを見据え、焦っておりますな」

「うむ」

 うなずいてから、殿は阿茶に目を向けた。

「そなたにも、これから今以上に働いてもらう」

「かしこまりました」

 阿茶が頭を下げた。

 太閤の死後、私が動くとすれば……、と思案する。

 戦働きではない。女同士の情報交換、嫁取り・嫁入り。婚姻による繋がり。

 そのときに備え、殿の親族衆での年ごろの若君・姫君の名簿を作っておこう、と阿茶は思った。



 慶長三年(一五九八)三月、殿は上洛した。辰千代君は幼いので連れて来ず、生母の於茶阿局共々、江戸城の奥向きの留守を預かる石津局と稲城局に託した。伏見に伴ったのは、お梶さまとお万さま。お亀さまは伏見に残っていたので、また以前と同じ顔触れが殿のお側に侍ることになる。

 阿茶は留守の間のことを市島局と白須局から聞いたあと、お久さまを自分のつぼねに呼び出した。殿の言葉を伝えるためだ。

「江戸で訃報を聞きました。子を亡くした母の気持ち、痛いほど分かります。わたくしもそうでしたから」

 阿茶が言うと、お久さまは泣き崩れた。

 落ち着くのを待っていると、自ら心を整えたお久さまが袖口で涙を拭い、背を伸ばした。

「見苦しい姿をお見せして、申し分かりません」

「いいえ。当然のことです。悲しみをおさえることはありませんよ」

「恐れ入ります……」

 阿茶は、殿が「まかせる」と言ったことを伝えた。

「殿のご意向はそのようですが、お久さまは御身をいかがされたいと思召されますか。実家さとへ戻るか、このままわたくしの許で奥勤めを続けるか。閨の勤めはもうありません。しかし、その他のことでしたら、わたくしの裁量に任されております」

「わたくしは……」

 と、お久さまが顔を上げた。

「北条遺臣の間宮家の娘として、徳川家にご奉公に上がりました。思いがけず殿のお情けを賜り、姫をもうけることができました。その子が身罷っても、わたくしが間宮の家のため、ご奉公に参ったことに変わりありません。良いとおっしゃるならば、わたくしは実家のためにも、このまま奥勤めを続けとうございます」

「……わかりました。そのようにいたします」

 松姫の小さな骨壺は駿府にある華陽院に葬られた。殿の育ての親の外祖母さまの眠る寺である。そして母であるお久さまは、子を産むことのなかったお仙さまと同じく、上級侍女として奥勤めを続けることになった。




 殿が上洛してすぐの三月十五日、太閤は京の醍醐寺三宝院の裏の山麓において花見の宴を催した。


 太閤秀吉が大規模な宴を行うのは、三度目である。

 一度目は天正十五年(一五八七)十月一日、九州平定直後に行われた北野大茶湯きたのおおちゃのゆ。これは北野天満宮境内で身分の別なく、茶の湯を楽しむために催された。十日の予定が、一日で終わってしまったが、その理由は、参加者が想定より少なかったためとも、肥後国人一揆の報が届いて秀吉が機嫌を悪くしたから、とも言われている。

 二度目は文禄三年(一五九四)、文禄の役が落ち着いた頃、桜の名所の吉野山で花見をしている。このときはまだ、甥の関白秀次との関係も良好だった。

 そして今回。参加者は太閤秀吉、後継の秀頼、前田利家、秀吉の妻妾と女房女中衆約千三百人。花見奉行は前田玄以で、周囲に警固の者を巡らせて誰も入れないようにし、醍醐の山々に趣向を凝らした茶屋を八つ設けさせた。女房衆に仮装させるため、花見の八日前に島津氏に衣装を調達させた。朝鮮に兵を出している島津氏は莫大な出費を強いられ、他の大名もこの花見に進物を寄せた。

 女房衆の衣装は、目結めゆい絞り、鹿子かのこ絞り、金銀摺箔きんぎんすりはくなどの技法を極めた小袖と帯で、衣装は三組作られ、三度の衣装替えをした。

 この花見の豪華絢爛さは、京の町衆の間でしばらくの話題となった。



(あほくさ)

 だが、花見の様子を聞いた阿茶はあきれた。

(海の向こうでは、多くの者が飢えながら必死に戦っているというのに、その苦労を思いやりもせず、何を女どもと楽しんでおるか。西の丸殿(淀殿)と松の丸殿(京極竜子)が盃争いをしたとか、京の人らはおもしろおかしく語っておるが、上の者が年貢を納める民草の苦しみに目を向けぬとは、たわけたことじゃ。若い頃の太閤であったら、こんなことはなかったろうに、天下人となって久しく、奢ったか)

 消えかける蝋燭の炎が、一瞬、勢いを増して輝くように、太閤の命の残り火もあとわずかであるような。天海僧正の占いがまさに当たるのではないか、と阿茶は感じていた。









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