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嵐の前の

 慶長二年(一五九七)、殿が五十六歳、阿茶が四十三歳となったこの年、殿と秀忠さまは再び京で新年を迎えた。表御殿で家臣たちから年頭の祝いを受けた殿は、奥へやってきて側室たちお子さまたちと新しい年を祝った。海の向こうでは激しい戦いがこれから始まるというときであったが、徳川家では穏やかに年を迎えた。

 新年の行事が済んでから、息子の守世が阿茶の許へやってきた。

「母上、謹んで新年のお祝いを申し上げます」

 二十四歳になり、じきに父親となる息子はもうすっかり大人の男の顔をしていた。それでも幼い頃の面影をつい探してしまう。息子は子どものときから父親ではなく、母の阿茶に似ていたが、男盛りになった今、むしろ亡き父・久左衛門に似ていると感じた。

「……ありがとう。そなたも変わりないようで何よりです」

 殿と秀忠さまは同じ敷地内であるが門と御殿を別にしておられるので、徳川家に仕えているとはいっても、主が別の母子が会うのは久しぶりのことだった。

「若殿は、ご健勝であられますか」

「はい。ご勉学、鍛錬、ともにお励みになっておられ、御新造さまとのお仲も睦まじくお過ごしでございます」

「それはようございました」

 秀忠さま付きの上臈女房の笹尾局から日常の報告を受けていたが、息子の口から語られるのはまた別である。

「して、改まって何です? 江戸の志摩に何ぞありましたか?」

「いえ、志摩をはじめ江戸の皆は元気です。今回、母上にお願いしたいのは……生まれて来る赤子に名をつけていただきたいのです」

 と、守世は照れたのか、目元を赤くした。

「まああ。良いのですか?」

「はい。志摩も母上にぜひつけていただきたいと申しております」

 ご奉公にかまけて母親らしいことをしてやれなかったのに、親思いのいい子に育ったなあ、と阿茶は感慨深く思った。

「うれしいこと。では……」

 と、思案した。

「桜の花の季節に生まれるであろうから、女子おなごなら『花』、男子おのこであるなら、武士の護り神・摩利支天まりしてんさまの騎獣の猪にちなんで、『猪之助いのすけ』というのは、どうでしょう」

「いいですね」

 うんうん、と守世がうなずいている。

「子のために、産着とおしめを縫いました。持っていってください」

 阿茶が言うと、控えていた幸が奥へ引っ込み、大きな布包みを二つ、持って戻ってきた。

「向こうでも用意していると思いますけど、いくらあっても良いものですからね」

 と、守世の後ろに控えていた与一に持たせた。

「かたじけのうございます」

 守世が一礼する。

 甲斐にいた頃のような母子の会話でないのは、互いに分かっていた。今は母子であると同時に、主家の奥を取り仕切る側近女房と後継子息の近習という立場にある。公私混同せず、慣れ合うことがないよう、互いに節度を保つように気をつけていたのだった。



 慶長二年二月に肥前名護屋から軍勢が海を渡り始め、やがて寒気が緩み、三月に入ったころに、江戸から報せが届いた。

 志摩が産気づき、女の子を産んだのだ。

 赤子は祖母の阿茶が決めたように、『花』と名づけられた。



 そして陽ざしがまぶしくなったころ、秀忠邸でも五月十日に姫君がお生まれになった『千』と名づけられた。秀忠さま十九歳、御新造さま(江)二十五歳であった。

 お祝いに公家衆がやって来ようとしたが、秀忠さまが霍乱所労かくらんしょろう[急性腸炎]を患っていたため、付年寄の大久保忠隣さまと取次の田村長頤さまが代わりに祝詞を受けた。公家衆は太閤と共に大坂から上洛したばかりの殿へ後日、挨拶に出向き、夕食を共にした。



 渡海した大名たちが朝鮮半島で戦っているこの時期、殿は京で社交にいそしんでいた。前田利家さま、吉田兼さま、長岡(細川)忠興さまの邸を訪れ、また太閤の参内に従った。

 三河の領主であった頃と違い、徳川家は今や関東の大大名である。阿茶も殿が地位を上げることによって、それに相応しい衣装の知識を仕入れねばならない。昔、甲斐のお裏さまの邸で習い覚えた有職故実ゆうそくこじつの知識ではおぼつかなく、さらに正しい知識を得るために阿茶は殿に申し上げて、有職故実に詳しい三条西家の古女房から教えを受けたい旨を申し出た。

 有職故実とは、朝廷や武家の儀礼・行事・官職・服装などについての古来からの決まりのことで、阿茶が担当する殿の衣服については衣の模様等々、古典の知識も必要なため、殿が公家や寺社から買って蒐集している書物、『伊勢物語』『源氏物語』『大鏡』などを拝見したいと申し出たところ、お許しがあったので、少しずつ読み進めている。

 また、現在の衣装など流行は、京の豪商となった茶屋家の手代や亀屋栄任から教えを受けた。

(前田利家さまは若い頃から傾奇者かぶきものであったゆえか、華美な服装がお好きで、伊達さまの家中も華やかな身なりから、『伊達者だてもの』と言えば、華やかな装いや行動をする者を指すようになったほど。総じて他家は派手な衣装を好む。ひるがえって我が徳川は、殿ご自身が質素なるのをお好みになり、外出時のお行列も身の回りの供の者少なく、お駕籠も簡素である。さて、殿のお気持ちに添い、それでいて御身分にふさわしい装いは、いかにしたらよいか……)

 悩んでいたのを察したのか、殿がある日、阿茶へ言った。

「阿茶よ、総じて上方のふうは派手好みであるが、わしと秀忠は祖が三河の出であることを誇りとしておる。我が父、そしてわしも家臣たちの忠心によって生き永らえ、家を保ってきた。わしの宝は、わしのために水火の中に入っても命を惜しまない者五百騎である。身を飾るよりも我が家はその宝を大事にしたい。上に立つ者は贅沢などせぬ。我が徳川の家風は、質素倹約。かといって、客人をもてなす際には、ときに金に糸目はつけぬ。普段は質素に、ことあるときには金穀を惜しまず。それでよいのではないか?」

「お言葉……深く心に刻みます」

 阿茶は頭を下げた。

 方針は決まった。殿の衣装のことばかりではない。少なくとも阿茶が奥を取り仕切っている間は、奥向きもそのように行うことにした。徳川家が官職を得て公家風を取り入れる必要があろうとも、朝日姫さまについてきた侍女たちのような、女主人の飾りとなるためだけに化粧と衣装にうつつを抜かす派手な女たちのような存在は、一人たりとも許さないつもりだ。



 千姫さまご誕生の五月、前年の十一月十八日に大坂城へ転居した二の丸さま(淀殿)と秀頼さまが完成した木幡伏見城へ移ってこられた。西の丸に住んだことから、二の丸さまは「西の丸さま」と呼ばれるようになる。

 姉君が近くにおられるようになり、御新造さまもご機嫌がうるわしいと、民部卿局からの報告だ。京極家へ嫁がれたすぐ上の姉君も、伏見城へひんぱんにご機嫌伺いに上がっているとか。浅井家の三姉妹は仲が良いようだ。


 六月になり、太閤から許可が下りて十六日から秀忠さまが江戸へ戻られることになった。秀忠さまは霍乱から回復され、旅に耐えられるまでに回復されたと、笹尾局が阿茶に告げた。そこで阿茶は、留守番を任せた石津局と稲城局に宛てたふみを笹尾局に持って行ってもらうことにした。上方の様子を報せる内容だ。


 お梶さまに殿の夕食時のお世話をまかせられるようになったので、阿茶は京に来てから、夕食前に子どもたちと過ごすことができるようになった。それまでは、そんな時間もとれず、たまに会って話を聞くくらいで乳母まかせだったから、これは嬉しい。

 結衣と五郎三郎がその日の出来事を話してくれる。結衣の姉たち、佳穂・真奈・奈緒は、幸の指導の下、小間使いとして仕えている。

 結衣と五郎三郎は、「かかさま」「義母上」と慕ってくれるが、いつもの仕事に加えて有職故実を学んだり、本を読んだりする時間が加わって、さらに忙しくなった。子どもたちと触れ合う時間が出来たのは良かったが、殿の政治的な地位がさらに上がり、重責となれば、お梶さまに譲ろうとした家政がさらに煩雑となってすべて任せることができず、阿茶は殿から離れられなくなる。

(今の私に、子どもを育てるのは無理か……)

 そんな気がした。

 息子の五兵衛守世は、女手一つで育てたと言っていい。しかし、十歳でお目見えしてからは、そして阿茶自身もご奉公に上がってからは、小夜たち周囲の手助けがなくては育てられなかった。

 結衣も弟から譲り受けたが、母親らしいことをしてやっていない。五郎三郎も同様で、結局、実父の岡田さまに任せきりだ。姪たちにもいろいろ教えてやりたかったが、それもできていない。

 殿から託された土屋平三郎忠直、名護屋在陣中に亡くなったお牟須の子・三井弥一郎吉正。私の許にいたとき、出来る限りのことをし、あとは家臣たちに任せたが、あれでよかったのか。

 そんな後悔ばかりが押し寄せる。



 十月に入り、一日に殿は常真(織田信雄)さま、山名豊国さま、浅野長吉(長政)さまを伏見の邸に招待して饗応した。

 奥に勤める女たちは表の行事に参加しないが、邸内がざわめくと気がそぞろとなる。

 そんなとき、お竹の方さまに呼び出された。

「蒲生家が会津から宇都宮に移封されるという話、立ち消えとなったはずですが、また再燃しているという噂があります。阿茶局、殿から何か聞いていませんか?」

 まさに直前、本多正信さまから、それを聞いている。前回は関白秀次に阻止されたが、太閤は本気だ、と。

「移封について、殿からは何も聞いておりませぬ。しかし、振姫さまのお輿入れは確実でございます。どうか御方おかたさま、お心安らかにお過ごしくだされますように。姫さまが御輿入れを不安がられては、元も子もなくなります」

 来年の輿入れ用のお道具や衣装はすでに発注済みだ。今さら中止はないだろう。ただ、徳川家への嫌がらせか、他の理由かはわからないけれど、蒲生家の石高が減るのは確実だった。

 何があろうと覚悟を決めよ、と阿茶は目線でお竹の方さまに答えた。

「そう……ならば、よいのです」

 阿茶の無言の圧力に屈し、お竹の方さまはうなずいた。

 そこを退出して自室に戻ると、弟の久左衛門からのふみが届いていた。

 佳穂と真奈の嫁入り先が決まり、奈緒は成瀬家の奥勤めを所望されている、という。

 三十代後半となった弟は、成瀬家で重臣となっていた。佳穂と真奈は家中でも良い家に嫁ぐようだ。三人の内、一番若い奈緒は阿茶の許にいた経験を生かして成瀬家でも奥勤めをして欲しいとのこと。数年勤めたあと、嫁に出してくれるとか。

「良いお話ですね」

 つぶやいた阿茶は決意した。

 次に殿が江戸に戻られるとき、子どもたちも連れて帰ろう、と。



 太閤から帰国の許しを得た殿は、十一月十七日に伏見を出発する予定だ。

 阿茶は急いで岡田さまに、五郎三郎を連れて江戸へ帰ることを告げた。

「そうでございますか。都の暮らしも、なかなかようございましたが、田舎者のわしには京の料理は上品過ぎて合いませんでのう。知り合いに、ええ土産話ができ申した」

 わはは、と笑った。

 阿茶は結衣と五郎三郎、三人の姪に帰国のことを話し、今江戸にいる大姥局さまを待って京に残る千代にも挨拶しに行った。

 九歳になった千代はもう駄々をこねることはなかった。

「寂しい……けど、みなさま、道中ご無事で」

 と、餞別の言葉を贈ってくれた。

「わたくしが側におりますゆえ、大姥局さまのお帰りを待ちましょう」

 春栄尼さまが慰めている。

「どうか、よろしゅうに」

 阿茶は春栄尼に千代のことを頼み、部屋へ民部卿局と市島局と白須局を呼んで留守の間の伏見屋敷の奥向きのことを託した。

 また、松木五兵衛に連絡を取り、借りていた家のこと等々、後始末を頼んだ。

 そして殿の出発に伴って、阿茶も子どもたちを連れ、お梶さま、お万さまと共に侍女たちを引き連れ、旅立ったのだった。









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