表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奇跡の虹が残したものは  作者: 吉田 琥珀
13/14

ヒーローはやっぱり遅れてやって来る

雨の降る中、傘もささずにいつもの散歩コースを全速力で走る。

急いでいる時に開いた傘は邪魔だから


深い水溜りにはまった足が勢いよく水を跳ね上げた。

着ている服は滴る程水を吸い、重さを増していく。

曲がり角で危うく自転車とぶつかりそうになった。

キキッと急ブレーキをかけて止まる自転車

俺の足も一瞬止まったが、「すいません!」と謝罪も早々にその場を去り、また走りだした。

雨の中、走る足音に前を歩いていた人が振り返った。

ずぶ濡れで血相を変え走る俺の姿がよほど怪しかったのか、その人はすかさず道路の端っこに身を寄せ、驚いたように走り去る俺の姿を呆然と見つめていた。


息が苦しい。

自然と口呼吸になる。

その口の中に大量の雨が入ってきた。

吸った勢いで激しくむせた。それでも足は止めない。

公園はもう間近だ。

だが、容赦なく打ち付ける雨粒が視界を狭くする。

細めた目に、ぼんやりとあの自動販売機が見えてきた。


もう

限界……


俺は、やっと足を止めた。


ものの数分走っただけで完全に息はあがっていた。

今も続く咳で心臓が破裂しそうだ。


両手を膝にあて、腰を曲げて屈んだまま息をする。そうでもしないと立っていられなかった。


愛姫……

愛姫は何処だ……


顔を上げようとした時


「いっちゃん」


雨音に紛れてその声は届いた。


愛姫は、頼りない自動販売機の明かりに照らされながら立っていた。

二週間前、突然俺の前に現れたあの時と同じように、雨に濡れながらそこに立っていた。


ただ違うのは、

いつもの天真爛漫を思わせる無邪気な笑顔ではなく、何かを成し遂げたようにさえ思える穏やかな笑顔だったこと。


それが余計に俺の胸をかき鳴らした。


「いっちゃん遅い」

「お前ナニやってんだよ」


フッと、愛姫から笑顔が消えた。


「いっちゃん、私ね…」

「愛姫っ」


俺は愛姫の言葉を遮った。


何故だ?

あいつの言いたい事、ちゃんと聞いてやんなきゃ。

これが最後なんだから。

いや、最後だから聞けない。

聞きたくない。

こいつ、

まだ何も成し遂げてねぇじゃん。


「愛姫、帰ろ。 ずぶ濡れじゃねぇか。

傘持って来たから早くこっち来て入れよ」


あれ?

俺、何言ってんだ?


「いっちゃん……」

「ナニやってんだよ。濡れんのヤなんだろ?

早くしろよ」


違う!

そんな事を言いたいんじゃない。

心ではそう思っているのに、口から出る言葉は全く逆の言葉だ。


いつもなら喜んで飛びついてくるはずの愛姫は、そんな俺を何も言わずに悲しそうな顔で見ている。

それがさらに俺を焦らせた。


「あ、そうだ。 リーさんのDVD、やっと見つけたんだ。今家にある。だから帰ろ?

ほら、おぶってやるから。な?」


そう言って背中を向け、膝をついた。


「いっちゃん…」

「早くしろって」

「いっちゃん」

「冷てぇんだよ。サッサとしろ」

「いっちゃんっ!」

「早く来いって!!」


どうやら、いまの俺は心と言葉がバラバラのようだ。

どうにもこうにもコントロールがきかねぇ


「ダメなの」

「ダメって何が?」


わかってるはずなのに、何故聞き返す…?


「もう、帰れない…」

「…………なんで」

「それが、約束だから」

「約束? はっ、誰との約束だよ。

んなもん破っちまえ」

「だからダメなの」

「なんでだよ」


情けない程食い下がる俺を前にしても、

それでも愛姫はそこを一歩も動こうとしなかった。


粗野で、ぶっきらぼうで、面倒臭がり。

去って行くものを追うなんて、らしくない。

俺は、自分の事をずっとそう思っていた。

いや、実際そうなのだ。

だけど、そんな自分を無意識に変えてしまう程、俺は必死だった。


「いっちゃん、私はもうこの世界にはいられないの。だから」

「わかってる! んな事わかってんだよ。

だけどどうしても納得いかねぇんだよ。

お前、なんのために蘇ったんだよ。

ヒーローに会いたかったからだろ?」

「それは……そうだけど………」

「俺が会わせてやるよ」

「え?」


ダメだ、

止まんねぇ………


「ほら、早くおぶされ」


愛姫は何も言わなかった。

背中の向こうから聞こえてくるのは雨音だけ


「聞こえねぇのか? 早く」

「だから、ダメなんだって…」

「ダメかどうかなんてわかんねぇだろ」

「そんなことない」

「いいからっ!」

「いっちゃんっ! いい加減わかってよ!」

「!!!」


あの愛姫が、

俺にいつも怒鳴られていた愛姫が、

この俺を叱りつけた。


その言葉に、俺はようやく現実を見せられたような気がした。

そのせいか、呼吸が乱れ、息がブルブルと震えだした。

その背中に向かって、愛姫は語りだした


「いっちゃん、私さ、いっちゃんの所に戻った事、全然後悔してないから。

デートもできたし、写真も撮れたし、いってらっしゃいとか、おかえりとかもできたし。

なんか新婚生活みたいですんごく楽しかった

だからね……」


声のトーンが変わった。


「ありがと…」


震えた声。

泣いている?


ああ……

言っちまいやがった…

今のこの状況でその言葉は、さよなら、と同じ意味だろ……

だけど、こいつは冷静だ。

もう二度会えないと分かっていながら、ちゃんと自分の言葉を話せてる。

でもな、一番辛いのは、去って行くものより

置いてかれる方なんだぞ。

お前なら、わかるだろ?

なら、こんな震えた声でも笑うなよ…


「あ、愛姫…… 俺さ、本気でお前の事…」


ようやく声を絞り出したその時


「キャッッ!」


後ろで愛姫が叫んだ。

咄嗟に振り返る。

そこでは、何故か愛姫が四つん這いになって

いた。


「何やってんだよ、どんくせぇなぁ。

なんもないとこで普通こけ……るか?」


言葉を言い終える前に、俺は異変に気づいた


「愛姫? なんだよそれ……

何、くっつけてんだよ」


愛姫は固まった表情で、首をフルフルと横に振った。


愛姫は、つまづいて転んだのではなかった。

足をとられたのだ。

得体の知れない何やら黒い物体に。

それは、どうやら地面から伸びているようだ


黒くて、長くて、クネクネと奇妙な動きをしながら。

関節?

関節がある。


あれは、指だ。

関節と関節の間が異様に長く、人のもの、とは表現し難いが、地面から腕らしきものが伸びている。

それが、愛姫の右足をがっつりと掴んでいた


何が起こっているのか、すぐには理解出来ない。だが、これが良くない状況であることは明白だ。それでも、俺は現実に起こっている事が現実だと思うことができず、この一大事にただ立ち竦んでいた。


雨はいっそう激しくなっていく。

その腕も、だんだん数を増してきた。

その数に比例するように穴も大きくなっていく。


………って、穴っ!?


やっと気づいた。


腕は、地面から生えていたのではなく、ぽっかりと開いた穴からワラワラと沸くように伸びていた。


だんだんと頭がこの状況を理解し始めた。



あのヤロー………

何が未来永劫離れられなくなる、だっ!

離れられないどころか、持ってかれようとし

てんじゃねぇか!


「愛姫っ!」

「いっちゃん! 気持ち悪い! ヤダ、コレヤダッ!」


愛姫は左足にまで伸びてきた黒い腕を、なんとか引き剥がそうともがいている。

だが、剥がれても剥がれても、腕は次から次へと伸びてくる。


「愛姫っ!」


俺は、傘を握りしめ、駆け出そうとした。

この傘で蹴散らしてやろうと思ったから。

だが、この時、予想だにしていなかったことが俺の身におきていた。


「足が……… 足が動かない………」


もしかして俺も?

と、自分の足下を見下ろした。

だが、俺の足に黒い腕は絡みついていなかった。

じゃあなんで?

もしかして、俺がビビってるから?


冗談じゃねぇ!


そう思い、気合いをいれて片足を一歩踏み出そうとした。

が、やはり動かない。


もしかして、

これが金縛りってやつか?


「いっちゃん!」


叫ぶように名前を呼んだ愛姫。

腕はさらに数を増し、愛姫の体をズルズルと穴の方へ引きずり始めた。


「くっそぉ、何で動かねぇんだよ」


自分の体なのに思い通りにいかない。

なんて腹立たしいんだ。

しかもこんな時に!


「何やってんだよ! そんなもん早く引っぺがしちまえよ!」

「そんな事言ったって!」


愛姫は言われなくても抵抗していた。

だが、腕の数の方がそれを上回っていた。


当然、俺も抵抗していた。

金縛りを解く方法なんて勿論知らないから

こんな事なら、矢神の話を信じてちゃんと聞いときゃ良かった。

なんて今更思っても仕方のないこと。

それなら力技で!

と踏ん張るが、これは物理的に加わった力ではない。

何度も息を止めて全身に力を入れるが金縛りは解けない。

次第に息が上がってきた。


はぁー はぁーと吐く息。


その息が白かった。


真冬でもないのに、何故白い?


そこで俺は気づいた。


寒いのだ。


周りの空気がいつの間にか真冬のような冷たさに変わっていたのだ。

全身が総毛立ち粟立っていた。

だが、それは冷たいだけじゃなかった。

なんとも言えない嫌な感覚が、肌を舐めるようにまとわりついていた。

愛姫もそれには気づいたようだ。


「いっちゃん……」

「ああ、わかってる…」



初めは雨音だと思った。

いや、確かに雨音だ。

ザーザーと激しくアスファルトを打ち付ける雨の音。

だけど、それとは別の、雨音とは全く異なった何かが混ざってる。


地の底から染み出るような、

低くて、重くて、一定の音程を保ったままで

途切れることなく延々と続く読経のようで

その不気味な声に震えが止まらない。


「や! やあ! いっちゃん!」


その間も、愛姫の体はジリジリと穴の方へ引き寄せられる。


「愛姫!」


俺はなんとか体制を四つん這いの状態へ持っていった。


「もう少し踏ん張れ! 愛姫!」

「コンノォォォォォォォ

動け! 動けよっ!!」


自分をぶん殴ろうにも全身が動かねぇと何にもならない。

苛立ちは募る。


読経は少しずつ厚さを増しながら大きくなっていった。

幾つもの声が重なって耳に届く。

苦しそうに呻く男の声。

断末魔のような女の叫び声。

生まれたての赤ん坊の声。

助けを求める子供の声は何度も「お母さん」と呼んでいる。


それは、耳を塞いでも頭の中に直接流れ込んでくる。

まるで、負の感情の吹き溜まりのようなそれは、そこにいるだけで精神を犯されてしまいそうだった。


俺は、突然吐き気に襲われた。

そのまま胃の中のものを全て吐き出した。


苦しい…

すごく苦しい…

吐いたからじゃない。


これは、この声たちの心情だ。

俺にはそれがわかった。


痛み、怨み、嫉み、辛み、そんなものを抱えたままこの世を去った者達の無念の思い。

それが一気に俺に語りかけてきているようだった。


さぞかし辛かったことだろう。

どれほど無念だったことだろう。


そんな思いが頭の中をグルグルと回り始めた


ダメだ……

力が

入んねぇ…


土砂降りの雨は、そんな俺の体を押し付けるように降り続く。


もう動くな…

と言わんばかりに。


ゆっくり顔を上げた。

黒い腕は、愛姫の腰あたりまで上がってきていた。

ズルズルとひきづられていく愛姫。


「愛姫……… ゴメン……」


何をトチ狂ったのか、ここででてきたのはそんな言葉だった。

しかも、こんな声で言っても聞こえてはいないだろう。

俺の頭は完全に声に飲み込まれていた。


「クソ……」


悪態をつく声も情けない。

そんな俺に向かって、


「いっちゃん…」


と、できる限り腕を伸ばしてきた。

その腕は、左腕。



あ…………

あれは………



めくれ上がった袖の中から、あの烙印が見えた。



親に置き去りにされた思いに囚われ、苦しんだ愛姫。

何度も大事な人に去られ、その度に自分を責めて腕を切って。

あんな烙印まで押して。


それでも、事故に会うまでこいつは生きた。

それは胸の中に密かに抱いていたものがあったから。


それがヒーローの存在。


いつかきっと助けてくれる。

そう信じてきた。

くだらない、と笑う奴もいるだろう。

だけど、愛姫は子供がそのまま大きくなったような純粋な奴だ。

だからこそ、そんな不確かな存在でも生きてこれた。


あれは、

あの烙印は言わば心の叫び。

目には見えない心の傷を、自らの腕に刻んだサイン。


だけど、

それじゃダメだ。


そんなんじゃ届かない。


本当に助けて欲しかったら

声に出せ。


ちゃんと

腹から声だして叫べっ!!


「愛姫っ!!!」



俺の頭をよめっ!





「いっちゃん………

助けて………」





今にも消えてしまいそうな声だった。


それもそのはず。

愛姫の体はもう腰のあたりまで穴の中に引きずりこまれていたんだから。


ヤベェッ!


そう思ったとき、またもや俺の体に異変が起きた。


体が動いたのだ。


今まで一ミリも前に踏み出せなかった体が嘘のように軽くなっていた。


行ける!


俺は一気に駆け出した。

そしてめいいっぱい伸ばしてきた愛姫の手を掴んだ。


「いっちゃん!」

「愛姫っ 踏ん張れ!」


力の限り引っ張った。

だが、なんて力だ。

ビクともしない。


「クソォォォォ なんでだよ」


愛姫の指先は透けている。

俺は手首を掴んだ。

愛姫も俺の手首を掴む。

それでも俺たちは徐々に穴へと引きずりこまれる。


「ちくしょう! お前ユーレイなんだろ!?

必殺技くらい使えねぇのかよ!」

「使えるわけないでしょっ!」



くっそぉ〜

こんな非日常的な事が起きてんだから人間が必殺技使えてもいーんじゃねぇの!?」


アホくさ

って思う奴もいるかもしんねぇけと、俺は至って真面目だ。


「あっ しまった!」


なんて考えてる場合じゃなかった。


「クソッ 足とられた!」


油断したすきに、伸びてきた黒い腕が俺の右足に絡みついてきたのだ。


ヤバイ

持ってかれる!


「いっちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫に決まってんだろ! 人の事気にしてねぇで、お前ももっと踏ん張れ!」

「やってるもん!」


て、

ぜんぜん大丈夫じゃねぇ〜

片足じゃ踏ん張りきれねぇ〜

このままじゃ助けるどころか俺まで…


そんな状況を悟ったのか、


「いっちゃんもうイイよ。このままじゃいっちゃんまで引きずりこまれる。私の事はいいからもう離して……」


愛姫は掴んでいた手を離した。

そのせいで、愛姫の細い手首が今にも抜けそうだ。

そうなったら、こいつは一気に穴の中へ落ちてしまうだろう。

事はそんな状況にまで陥っていた。


だけど、そんな事、

この俺がするわけない!


「離すか! ボケッ!

お前さ、私の事はいいから、とか私に構わずとか、そんなん相手の気持ちを考えてから言え! 俺は絶対に離さねぇ。死んでも離さねぇ。だからお前も気合い入れて集中しろっ!

アホでもそんくらいできんだろっ!」


口の悪さがかえって良かったか。


「アホアホ言わないでよ!」


ムッとした愛姫は、一度は離した手で再び俺の手首を掴んだ。


「よっしゃー 一気にいくぞ!」

「ウンっ!」


デスクワークが主な毎日。

特に怪力の持ち主でもない。

だけど、火事場の馬鹿力って言葉も


あんだろがっ!!!


「こんのぉ クソッタレェ!

愛姫をぉぉ 離せぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


渾身の力を込めた一撃

とでも言えばいいのか。

血管が切れて、腰の骨が砕けたような感覚だった。

でも、それでもいい。

二度と立てなくなっても構わない

そう思った。

そして、一度は恨むと言った神様に願いを込めた。




頼む………!




閉じた目。

腕に伝わる感覚は軽かった。


目を開けた。

飛び込んできたのは、しっかりと俺の腕を掴んでいる愛姫の手だった。


その体は

全身がフワリと宙に浮いていた。


神様は、俺の願いを聞き入れてくれたのだ。


「いっちゃん!」

「愛姫!」


再び這い上がった体は、フルフルと震えていた。

でも、まだ油断はできない。

あの黒い腕がまた伸びてくるかもしれない。

そう思い、穴を見た。

そして気づいた。


音が

しない……


さっきまで声をかき消す程振っていた雨の音も、自然の音も生活音も、あの呻き声も、何も聞こえない。


愛姫と顔を見合わせた。

だが、愛姫もどういうことなのかわからないと、首を横に振った。

俺は、あまりの緊張に、自分達の耳がおかしくなったんだと思った。

だが、そうではなかった。


雨粒が、全て空中で止まっていたのだ。

まるで、世界中の時間が止まってしまったかのように、不思議な世界が俺たちを取り囲んでいた。


ということは…


改めて穴を見た。


やはり、

あの黒い腕も全て動きを止めていた。


「な、なんだ、これ…」

「さ、さあ…」


俺たちは、暫くの間、その光景を前に戸惑うことさえ忘れていた。

とは言っても、このままこうしているわけにもいかない。

俺は、一つの雨粒に触れてみることにした。


人差し指をピッとだし、一番近くの雨粒に


「いっちゃん、大丈夫?」


愛姫が俺の腕をキュッと掴む。


「だ、大丈夫……だろ。 多分……」


そして、

ツン………


小さな水の玉は弾かれたように空間を彷徨い

別の玉にぶつかって更に小さな粒へと分離した。

と、その時


「いっちゃん、あれ」

「え?」


穴から湧いて出ていたあの黒い腕が、一本一本弾ける様に黒い粒子のような物を撒き散らしながら消滅し始めた。

そして、最後の一本が消え、地面に開いていた穴がスゥッと閉じたと同時に、止まっていた雨粒が一斉に地面めがけて落下を始めた

その音に、一瞬肩がビクッとなった。


再び、時間が動き出したのだ。


「た、助かったぁ〜 愛姫、大丈夫か?」

「ウン、大丈夫 ありがと」


安堵し、お互いの顔を見合わせた。


「せっかく傘持ってきたのに、こんなんじゃ意味ねぇな」

「そだね…」


いっそう雨は激しくなってきたというのに、

俺たちはゲラゲラとお互いの姿に笑った。


「ねぇ、いっちゃん…」

「ん?」

「ヒーローは遅れてやって来るって、本当だったんだね」

「へ…?」


何言ってんだ?

こいつ…


っていうか、


「お、おい、お前、体が…」


愛姫の体が、徐々に光り始めていた。

雨でずぶ濡れだというのに、愛姫の体は蛍のような柔らかな光を帯びていた。

それに伴うような柔らかな笑顔。


とでも綺麗だった。

正直、こいつは綺麗というタイプではない。

でも、今目の前で光に包まれている愛姫は

今まで会った女の子の誰よりも綺麗に見えた


俺は、そのまま言葉を失った。


その光は更に強さを増していく。

それが何を意味しているのか、わからなかったわけじゃない。

でも、言葉が出てこなかった。


そして、優しかった光が強く眩い光に変わった時、


「えっ? ちょっ 待っっ!」


あまりの眩しさに痛みを覚えた目が耐えきれずに閉じた。

その瞬間の事だ。


「いっちゃん………

カッコイイ………」


俺の耳元で、その声はした。


光は、瞼を閉じても差し込んで来る程強いものだった。


それはどれくらいのものだったのか。

ほんの数秒だったと思うのだが、それ以上にも思える。


「いってぇ〜」


俺はゆっくりと目を開けた。

光の影響で暫くは目の前が霞んでいた。


瞬きを何度か繰り返す。

徐々に戻ってきた視力。


雨が槍のように落ちていた。

紫色の紫陽花が咲いている。

遠くを走る車のヘッドライト。

自動販売機の明かりがアスファルトを照らしている。

雨が川のように流れていた。


あれ?

ここは何処だ?


さっきと景色が違う。


血がザワザワと騒ぎだす。

頬を、雨とは違う物が伝って落ちた。


これはなんだ?

溢れ出した物が唇に滲んだ。

雨と混ざったそれは、薄い塩味がした。

コクっと飲み込んだ。

クラクションの音に顔をあげた。




ああ………

そうか、

ここ、いつもの公園だ………


何事もなかったように、とっくに視界は広がっていた。


でも、違う。

何かが足りない。


「嘘……だろ……?」


そこに、愛姫の姿だけがなかった。


「あんな…… 急に?」


手が震えていた。

事態が把握できない。


「消えた……のか?」


俺は辺りを見回した。

だが、こんな土砂降りの雨の夜更けに人なんているはずもなく。


「嘘だ… 絶対嘘だ…

だって、俺何にも言えてねぇじゃん。何にも伝えてねぇじゃん」


ジワジワと押し寄せる喪失感。

押し潰されそうだ……


「アホか… 誰がカッコイイって?

あんなん、ただワーワー言って穴から引きずり出しただけじゃん。言いたい事も言えずにジタバタしてただけじゃん…」


誰に向かって愚痴をこぼしているのか。


どうすることもできなかった失望感で心の中は溢れかえっていた。





ついさっきまで愛姫のいたアスファルトを掌で撫でた。

当然のように温もりも痕跡も何も無い。

それでもさすり続ける。

ザラザラとした粗いコンクリート。

掌が痛かった。

その感触に思わず嗚咽が漏れた。

動きを止めた手をギュッと握りしめる。


堪えきれなくなった………


「クソッ クソッ クソッ!!!」


涙混じりで叫んだその声も、アスファルトに打ち付けた拳の音も、

横殴りの激しい雨音に全て飲み込まれ、何事もなかったかのように流れて消えていった。




その夜、

一晩中降り続いた雨は、

前回の記録を僅か二週間であっさりと塗り替えてしまった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ