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十六、ナイフ
陽太が翔とともにペルセウス座流星群を見た日の同窓会の後、佐伯は行方不明になった。
佐伯が行方不明になった後、陽太は必死の思いで彼女の行方を探した。
高校時代の友人関係に原因があるなどとは思ってもいなかったため、おもに大学の友人たちを中心に、最近の佐伯の動向について話を聞いた。しかし、当然のことながら、手がかりになりそうな情報を得ることはできなかった。
陽太はまた、就職活動の合間を縫って、彼女の家族による駅前でのビラ配りなども積極的に手伝った。
佐伯に帰ってきてもらいたい一心での行動だった。
――こうしていれば、いつか美羅は帰ってきてくれるに違いない。
もちろん、根拠などなかったが、そう思わないではいられなかった。
しかし、佐伯の行方は、一向に明らかにならなかった。
それどころか、やがて佐伯の家族から、失踪の原因が陽太にあるのではないかという疑念を向けられるようになった。
その結果、気まずさを感じるようになった陽太は、徐々に彼女の家族と連絡を取ることを避けるようになっていった。
その後の陽太は、大学のゼミも休みがちになり、マンションの部屋に閉じこもったままでいることが多くなった。
同時に、就職活動にも身が入らなくなった。
インターンシップに関して、数社に断りの電話を入れた。
――美羅……。
佐伯のことを思うと、夜も眠れなかった。
――ひょっとすると、彼女はもうこの世にはいないのではないか。
最悪の状況が、頭をよぎることも一度や二度ではなかった。
そのような夜は、必ずと言っていいほど、佐伯の夢を見た。
夢の中で、佐伯と陽太は手を繋ぎ、並んで歩いていた。佐伯の横顔を見詰めていた陽太が、ふと目を逸らした瞬間、手の感触がなくなった。
慌てて横を見ると、今しがたまで横にいたはずの佐伯の姿は、消えていた。
――美羅、美羅!
陽太は、辺りを見回し、そして走り出す。
気がつくと、真っ暗な闇の中にいた。
手に、ぬるりとした感触があった。
陽太は、掌を見る。真っ暗闇であるはずなのに、掌は何故かはっきりと見えた。
そこには、真っ赤な血がこびりついていた。
そのような夢を何回、見ただろうか。
ほとんど同じ内容の夢を何度も見ているうちに、陽太は自分の体の中から少しずつ、何か大切なものが失われていくのがわかった。
それは、人間の生命力と言ったらいいのだろうか。あるいは、生きる希望のようなものと言えばいいのだろうか。
陽太の心の中には、日を追うごとに空虚な空間が広がっていった。
だが、虚ろな心を抱えたまま引き籠っていても、食事をしないわけにはいかない。
その頃の陽太は、数日に一度、近くのスーパーでカップラーメンやレトルト食品などをまとめ買いするのが習慣のようになっていた。
そんなある日、いつものようにスーパーに向かっていると、前を歩いている女性が、ポケットからスマートフォンを取り出した。
そのとき、スマートフォンと一緒にポケットから飛び出した何かが、アスファルトの地面に落ちた。
陽太は、女性が落としたものを、何気なく確認する。
財布だった。
陽太は財布を拾い上げると「すみません。落としましたよ」と、女性に声をかけた。
女性が振り向いたとき、陽太は驚いた。
その女性が、あまりにも佐伯によく似ていたからだった。
お礼にと誘われた喫茶店で話をすると、外見だけでなく、話し方やさまざまなものごとに対する考え方まで、佐伯ととてもよく似ていることも明らかになった。
女性は、瑠璃川と名乗った。しかも、驚いたことに、名前は佐伯と同じ美羅だった。
一瞬、耳を疑った。
が、明らかに疑心暗鬼になっている陽太の反応を、不本意に思ったのだろう。
瑠璃川は、バッグから財布を取り出すと、その中にあった学生証を差し出した。
そこには、確かに「瑠璃川美羅」という名が記されていた。
運命を感じた。
以来、陽太は瑠璃川と頻繁に会うようになった。
何度めかのデートのとき、陽太は勇気を出して、佐伯の存在を瑠璃川に打ち明けた。
「実を言うと俺は以前、瑠璃川さんと同じ美羅っていう名前の女性とつき合っていた。でも、その彼女は五ヶ月ほど前に行方不明になって、今も見つかっていない。君は、外見だけじゃなくて性格やものの考え方まで、その彼女、佐伯美羅にそっくりなんだ」
――こんな話をしたら、嫌われるかもしれない。
陽太は正直、そう思っていた。
しかし、佐伯が行方不明になった事実を知った瑠璃川の反応は、予想とは真逆だった。
「白石さんは、その佐伯さんっていう女性が、大好きだったんですね」
瑠璃川は、我がことのように心配し、陽太に寄り添ってくれた。
「私を、その佐伯さんだと思ってくれても、いいですよ」
陽太が、そのような瑠璃川に心を許すのに、時間はかからなかった。
気がつくと、お互いに下の名前で呼ぶようになっていた。
そして、陽太にとって瑠璃川は、いつしかかけがえのない存在になっていた。
だが。
それもこれも、すべては瑠璃川の手でつくり上げられたフィクションだったのだ。
*
椅子に拘束された状態で瑠璃川の話を聞き終わると、陽太は絶望と悲しみに支配され、がっくりとうなだれた。
冷静に考えてみれば、最初から怪しい点ばかりだった。
瑠璃川は高校時代のことはあまり話したがらず、陽太は瑠璃川の出身高校さえ知らなかった。
そもそも、佐伯が行方不明になって半年とたたないうちに、彼女と容姿や性格がとてもよく似た、同じ美羅という名の女性が現れたのだ。
正常な思考なら、明らかに不自然だと思うはずだった。
だが、佐伯がいない事実を受け入れることができないでいた陽太は、不自然な点に気づかないふりをして、瑠璃川に心を預けた。
佐伯を殺した犯人が瑠璃川である事実を知らなかったとはいえ、今になってみれば自分の浅はかさが腹立たしかった。
――何ということをしてしまったのだろう。
同じことを、佐伯を殺めてしまった瑠璃川に対しても思った。
「君は、何ということをしてしまったんだ……」
瑠璃川に対する恐怖と怒りも、もちろんあった。
だが、陽太には、瑠璃川が高校時代を通じて感じてきた苦しみや、今も抱き続けている恨みも理解できた。
実は、陽太も小学校高学年の一時期、苛めを受けた経験があったからだ。
同じクラスの女子児童に対する苛めを咎めたことが、苛めのきっかけだった。
苛めの主犯格だった女子児童の画策で、クラスのほとんどの児童に無視された。下駄箱の上履きを隠されたこともあった。給食にバッタを入れられたこともあった。
ただ、中学校に進学すると、状況が変わった。学区の関係で、陽太が進学した中学校には、近隣のもう一つの小学校の卒業生たちも入学してきた。
すると、主犯格だった女子児童はクラスでもあまり目立たない存在になり、同時に苛めも潮が引くように収まった。
だが、苛めが収まった後も、陽太の心には苛めに対する嫌悪感と、決して小さくはない傷跡が残った。
苛めの記憶を振り払うかのように頭を振った陽太は、俯いたままで瑠璃川の手をじっと見詰めた。
人を殺めたとは思えないほどに白く、きめ細やかな肌に包まれた美しい手が、そこにはあった。
「人殺しなんてしなくても、もっといい解決方法はあったかもしれないのに……」
思わず出た陽太の呟きを、瑠璃川はにべもなく否定した。
「いいえ。ああするしかなかったのよ」
やはり、体調不良をおして同窓会に行こうとする佐伯を、もっと強く引き止めるべきだった。陽太は、自分を責めた。
「でも、仕方なかったとはいえ、私はとんでもないことをしてしまった。確かな殺意をもって、人を残忍な方法で殺してしまったんだから、捕まれば極刑は免れない」
瑠璃川は、静かに目を伏せた。
「遺体が見つかりさえしなければ、私たちはずっと一緒にいられたのに……。でも、見つかってしまった以上、私たちは二人の意思と関係なく、離れ離れにされてしまう」
まるで後悔するかのようだった。しかし、瑠璃川の表情を見た陽太は、それが単なる勘違いである事実を知った。
瑠璃川は、後悔とは明らかにそぐわない、微かな笑みを見せていた。
「だから、捕まってしまう前に……、永遠の世界に行こうと思うの」
瑠璃川はそう言うと、傍らにあるテーブルの上に置いてあった、刃渡りが二十センチはあろうかというナイフを手に取った。
「大切なあなたと一緒に……」
窓から細く差し込む夕陽に照らされて、ナイフの刃先が銀色に鈍く光るのが見えた。
「陽太、一緒に行ってくれるよね?」
恐ろしい言葉を躊躇することもなく口にする瑠璃川の唇には、見る者をぞっとさせるような冷たい笑みが浮かんでいた。
「私を大切に思ってくれている人を置いていくなんて酷いこと、私にはできないの。陽太、あなたなら、わかってくれるよね?」




