21
しばらくして、生ビールをはじめとする飲み物が運ばれくると、玉井の「乾杯!」という言葉を合図に、酒宴がはじまった。
ウーロン茶を飲み、周囲の人物たちの会話に適当に相槌を打ちながら、瑠璃川は佐伯にどうやって近づくべきかを考えていた。
近づくのは簡単だが、参加者たちのなかには、佐伯と瑠璃川の間にあった事件を知っている者がいるかもしれない。今日、これから決行するべき計画の内容を考えると、できるだけ自然に近づく必要があった。
計画を練りながら、ウーロン茶を口に運ぶ。
それから、どれくらいの時間がたっただろう。酔いが回った若者たちは、やがて少しずつ席を移動しはじめた。テーブルの各所に、談笑の小さな環ができた。
――そろそろ、彼女の近くに席を移動しようか。
そう思ったとき、一人の女性が瑠璃川の横に座った。視線を向けると、佐伯だった。
瑠璃川は驚いた。
佐伯はそんな瑠璃川の戸惑いを気にすることもなく「久し振りね」と歪んだ笑顔を見せた。すでに、そこそこ酔っている様子だった。
――自分から私の隣に来るなんて、いったいどういうつもり?
理由はわからない。しかし、おかげで佐伯との距離が縮まった。飛んで火に入る夏の虫だった。
せっかく縮まった佐伯との距離をさらに縮めようと、瑠璃川は話題を探しながら会話を進めた。
「久々に会えて、嬉しい」
心にもない言葉を投げかけると、佐伯は「そう」と目を伏せた。そのまま、おもむろに口を開く。
「あの頃は、私も子供だったと思うんだ」
高校時代の嫌がらせのことを指しているのだろう。それにしても回りくどい言い方だった。
子供だったから、仕方なかったと言いたいのだろうか。それとも、忘れろとでも言うつもりなのだろうか。
瑠璃川は、佐伯の言葉を理解したふりをして、サワーを勧めた。
「まあ、今日は楽しく飲もうよ」
瑠璃川は、ウーロン茶を口に運びながら、サワーを飲む佐伯をしげしげと眺める。
その後、佐伯は予想以上に速いペースでサワーをあおった。気がつくと、かなり酔いが回っている様子だった。
やがて、佐伯はトイレに立った。ややふらつきながら、通路の奥へと消えていく。
瑠璃川は、このチャンスを逃すまいと、持っていた粉末を誰にも気づかれないように、こっそりと佐伯のグラスに入れた。
トイレから戻ってきた佐伯に、瑠璃川はグラスを差し出す。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
そう言いながら、佐伯はグラスの中の液体を、ごくりと飲んだ。
瑠璃川は、佐伯の様子を見ながら、喜びを抑えきれなかった。しばらくすると、案の定、佐伯の様子が明らかに変わった。
意識が、朦朧としはじめているようだった。恐らく、薬が効きはじめたのだ。事情を知らない人にとっては、酒を飲み過ぎて気分が悪くなっているようにしか見えなかっただろう。
「佐伯さん、大丈夫?」
男たちの問いかけに対して、瑠璃川は佐伯の肩を抱きながら、笑みで返した。
「多分、久しぶりにみんなに会って、嬉しかったんだろうね。私が見てるから、大丈夫」
その後も、瑠璃川は佐伯に寄り添い、介抱するふりを続けた。そうしている間にも、佐伯はどんどん意識が遠のいていく。
――そろそろ、潮時かな。
瑠璃川は頃合いを見計らって、部屋の隅で楽しそうに談笑している玉井たちに声をかけた。
「佐伯さんなんだけど」
玉井は、瑠璃川の声に顔を上げた。
「彼女、調子が悪そうだから、私が送っていこうと思うの」
すでに酔いが回っていた玉井たちは、「そっか。申し訳ないね」と、瑠璃川の提案を怪しむこともなく承諾すると、また男たちによる歓談の世界に戻っていった。
瑠璃川は佐伯に靴を履かせ、体を支えるようにして店を出た。
近くの駐車場まで行くと、一台の車のドアを開け、後部座席に彼女を寝かせた。
それにしても、一年生のときに取得した運転免許が、このような形で役に立つとは思ってもみなかった。幼い頃から貯めていたお年玉と、アルバイト代を注ぎ込んで、将来のためにと取得した運転免許だった。
瑠璃川は佐伯のスマートフォンを使い、SNSで「瑠璃川さんと別れた。今から帰る」と玉井にメッセージを送った。そして、スマートフォンの電源を切って車の運転席に乗り込むと、エンジンをかけた。
目指すのは、埼玉県の西部にある、とある山の中だ。この車で、林道の奥まった場所に数日間、通い詰めて穴を掘っておいた。
目的地に着くまでの一時間ほどの間に、佐伯が目を覚ますことはなかった。林道の奥まで車を走らせた瑠璃川は、穴の近くまで行くと車を止め、後部座席に乗り込んだ。
目を瞑ったままの佐伯は、苦しそうに眉間に皺を寄せていた。
――大丈夫、すぐに楽にしてあげるから。
瑠璃川は助手席に手を伸ばすとビニールロープを手に取り、佐伯の首に回した。そのまま、ロープに体重をかけ、渾身の力を込めて引っ張る。
やがて、佐伯の口から苦しそうな呻き声が漏れはじめる。ロープを握る手にさらに力を込めながら佐伯を見ると、顔がむくみ、赤紫色にうっ血しはじめていた。
微かに開いた口から舌がだらしなく覗き、唇の端からは泡立ったよだれが流れ落ちている。
数分もすると、佐伯は動かなくなった。
ロープを緩めて、心臓の鼓動を確認する。心臓は、動いていなかった。
――何て、あっけないんだろう。
瑠璃川は、憐みの目で佐伯の亡骸を見下ろした。
だが、いつまでも見とれているわけにはいかない。
瑠璃川は、佐伯だったものを車から引きずり出し、手首を結ぶ。両腕の間に自分の首を通すと、担ぎ上げた。
意思をもたなくなった人間は、思った以上に重かった。瑠璃川は、渾身の力を込めながら、休み休み佐伯の体を移動させ、小一時間かけて穴まで運び、埋めた。
その後、瑠璃川は山中の別の場所に佐伯のスマートフォンを捨て、車を運転して自分のマンションに戻った。帰り着いたときには、明け方近くになっていた。
*
殺害翌日の夜中、瑠璃川は佐伯のバッグに入っていた鍵を使って、独り暮らしである佐伯の部屋に侵入した。瑠璃川が住む安アパートとは比べものにならないほどの、小綺麗なワンルームマンションだった。
部屋に入った瑠璃川は、同窓会の後に佐伯が帰宅したかのように偽装するため、佐伯のバッグと鍵を、テーブルの横に置いた。
佐伯の部屋は、家財道具が不自然なほどに少なく、生活感に欠けていた。多分、白石先輩の部屋に入り浸っていたのだろう。
そんなことを思いながら、机の上に無意識に目を遣る。
一冊の本のようなものが置かれていた。手に取って確認すると、日記だった。
瑠璃川は、躊躇うことなくページを開いた。
最初のページには、大学の最寄りの駅でたまたま白石先輩を見かけ、忘れかけていた恋心が蘇ったこと、その時点で佐伯自身につき合っている男性がいないことなどが書かれていた。
日付は、去年の九月になっていた。
どうやら、白石先輩とつき合うようになる、一ヶ月ほど前から書きはじめた内容らしかった。
そして、次のページには……。
決めた。
白石先輩に告白することにした。
といっても、まだデートしたこともないけど……。
でも、白石先輩とつき合えるようになるまで、自分を励ます意味も込めて、この日記を書こうと思う。
――何が「自分を励ます」だ。ふざけるな。
怒りを押し殺しながら、引き続きページを捲る。
白石先輩の嗜好などを細かく記した文章が、目に飛び込んできた。
好きな料理や好きな飲み物、好きな映画やテレビ番組はもとより、今まで白石先輩がつき合ってきた女性のデータ、女性に求める価値観など、その内容は驚くべき細かさだった。
恐らく、持ち前の人当たりのよさと幅広い人脈を駆使して、白石先輩の高校時代の知人などから情報を集めたに違いなかった。
考えてみれば、高校時代の佐伯は、胸元のリボンをほんの少しだけ緩めているほかは、決して着崩すことなく制服をきっちりと着こなし、顎にかかるかどうかというくらいのショートボブを風になびかせながら、いつも明るく笑っていた。まさに、男子受けのいい可愛い系女子高生の典型のような存在だった。
が、同窓会にあらわれた佐伯は、長い黒髪に加えて、ナチュラルホワイトのTシャツに茶色のロングスカートという、およそ二十歳の大学生らしくない、よく言えば妙に大人びたファッションに身を包んでいた。身のこなしも、心なしか落ち着いて感じられた。
高校時代の彼女を知っている周囲の同級生たちは、口には出さないものの、その変貌ぶりに驚いていたようだった。他ならぬ瑠璃川も、その一人だった。
そのときは不思議に思ったものだったが、その理由が今、はっきりと理解できた。
佐伯は、白石先輩の嗜好を詳細に分析した後、自らの容姿や振る舞いをその結果に近づけ、白石先輩にとっての理想の女性を演じていたのだ。
瑠璃川にとって、佐伯の行動は狡猾そのものに感じられた。佐伯のずる賢さを目の当たりにし、瑠璃川は怒りを新たにした。
そして瑠璃川は、あらかじめ考えていた第二の計画を実行する決意を固めた。
――佐伯によって奪われた白石先輩を手に入れてやる。
――そして、この復讐劇を完成させてやる。
*
失踪事件に関する事情聴取では、警察に対して事件と無関係であるという姿勢を貫き通した。当時は単なる失踪事件として扱われていたため、事情聴取もそれほど厳しいものではなかった。
事情聴取を無事に乗り切った瑠璃川は、まずアルバイトの貯金を頭金にして、美容整形外科で手術を受けることにした。容姿を可能な限り、佐伯に近づけるためだった。
佐伯の写真を見せ、医師と入念な打ち合わせをした後、手術を受けた。頬骨と顎の骨を削り、鼻にシリコンを入れ、目を二重にした。
手術は数回にわたっておこなわれ、終わるまでに数ヶ月がかかった。
手術終了後に包帯を取り、鏡を見た瑠璃川は驚愕した。
鏡の向こうに立った佐伯美羅そっくりの女性が、こちらを見詰めていた。
――これが、本当に私?
信じられなかった。しかし、これは夢でも何でもなく、紛れもない事実だった。
過去のこととはいえ、自分がかつて憧れていた女性とよく似た容姿になれたこと、そして自分が好きな男性を射止めることができる可能性が格段に高まったことが、この上なく嬉しかった。
同時に、計画が順調に進んでいることに、自信を深めた。
美容整形手術を終えた瑠璃川は、手術費を賄うため、一時的に風俗業で働いた。
切羽詰まっていたが故の真面目さや丁寧さが、客に評価されたのだろうか。あるいは、佐伯に似せた容姿が功を奏したのだろうか。
思った以上の収入を得ることができ、手術代の全額とはいかないまでも、そこそこの金額を返済することができた。
続いて、もともとの顔と運転免許証の顔の間に生じた齟齬を解消するために、免許証を再交付してもらった。
そして、佐伯の日記をもとに白石先輩の嗜好をすべてマスターしたうえで、先輩に近づいた。
佐伯の失踪以来、ショックで無気力になっていた白石先輩は、目の前に現れた佐伯によく似た女性、瑠璃川に驚愕した様子だった。
まず、最初のハードルはクリアした。
出会った日に入った喫茶店で、瑠璃川は自らの名が美羅であることを告白した。
その事実に、白石先輩は運命を感じたのだろう。やがて瑠璃川は計画通り、白石先輩の恋人になることができた。
だが、新しい彼女が容姿も性格も佐伯とよく似ているという事実は、周囲から見れば明らかに不自然だ。
そこで陽太には「恋人が行方不明になって半年足らずで『新しい恋人ができた』なんて友だちに言うと、『あいつは薄情な奴だ』なんて言われかねないよ」と、いかにもアドバイスめいたことを言い、新しい彼女ができたことは周囲の人々に言わないよう、それとなく念を押しておいた。
そして。
佐伯の失踪から約七ヶ月後、彼女の遺体が発見された。
瑠璃川は、遺体が思いのほか早く見つかってしまったことに落胆した。
――上手く隠したはずだったのに……。
そして同時に、自分が間もなく捕まるであろうことを予感した。
――そんなことになったら、私を大切に思ってくれている陽太が……。
――可哀想だ。
そう思いながら、瑠璃川は椅子に拘束された陽太を見詰める。
世界中の誰よりも、愛おしく思えた。




