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 失恋から数週間がたった、ある日の放課後。

 日直である瑠璃川は、教員室で用事をすませた後、教室に戻ってきた。すると、教室内から数人の楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてきた。

「ねえ、佐伯。今度の彼氏とは、どうなの?」

「うーん。見た目はイケてるし、真面目なのはいいんだけど、話があんまり面白くないというか……」

 佐伯の声だった。どうやら佐伯が、友人たちと話をしているらしい。

 佐伯には、瑠璃川以外にも、特に親しい友人が数人ほどいた。

 見た目がやや派手で社交的な性格の彼女たちは、真面目で内向的な瑠璃川と距離を置く一方で、佐伯とともにクラス内のヒエラルヒーの頂点に位置するグループを形成していた。

 いわば、佐伯の取り巻きたちと言ってもいい存在だった。

 今、佐伯と会話をしているのは、まさにその取り巻きたちだった。

 瑠璃川は、教室のドアの前で足を止め、わずかに開いたドアから、こっそりと中を覗き込んだ。

「男なんて、佐伯にかかればチョロいもんだよね」と語る取り巻きたちの中央で、嬉しそうに笑う佐伯の姿があった。

「ところでさあ……」と、取り巻きの一人が口を開いた。

「瑠璃川の話なんだけどさあ。何でもアイツ、二年の白石先輩が好きだったらしいじゃん」

「マジ? で、告ったの?」

「んなわけないじゃん。不釣り合いにもほどがあるよ。だから、佐伯が諦めるようアドバイスしたんだって」

 全員が一斉に笑った。

 佐伯は、わざとらしく困ったような笑顔を浮かべながら言った。

「諦めさせたというか……。何となく生きてる世界が違うというか、根本的な部分で合わないんじゃないかなって思ったから『冷静になって考え直したほうがいいよ』って言っただけだよ」

 瑠璃川の全身に、心臓をわし掴みにされたような緊張が走った。

「以前から聞こうと思ってたんだけど……。佐伯、あの瑠璃川と、ずっと友だちでいるつもり?」

 佐伯は「うーん」と顎に人差し指を当てると、考える仕草をした。

「最初は、それなりに親近感を持ってたんだけどねえ……」

 佐伯の言葉を受けて、別の取り巻きの一人が言った。

「瑠璃川、基本ウザいんだよね」

「アイツは、邪魔な美羅。あと…、○○じゃない美羅。つまり、ジャミラだよ」

 もう一人が吐き捨てるように言うと、数人が愉快そうに手を叩いた。

「ジャミラ……。何か、そういう名前の怪獣、いなかったっけ?」

「あ、邪な美羅、邪美羅ってのもいいかも」と、もう一人が身を乗り出した。

 佐伯は、やはり楽しそうに、会話を聞いている。

 その姿は、自分に従順な家臣たちを侍らせて悦に入る女王のようだった。

 ショックだった。

 ジャミラという意味不明の言葉が、とてつもなく邪悪な呪文のように思えて、瑠璃川を震撼させた。

 瑠璃川は、そのまま後ずさりをすると、荷物を教室内に放置したまま、走り出した。

 玄関で靴箱を乱暴に開けて靴に履き替えると、校門を飛び出し、家までの道を走り続けた。

 ――佐伯さんが、佐伯さんが……。

 ――私のことを、そんなふうに思っていたなんて……。

 混乱する頭の中で、不意に白石先輩の顔が蘇った。

 もしかしたら、白石先輩の件も……。

 ――確信犯?

 悲しさとも悔しさともつかない感情が、自らの意思に反して体の中で肥大し、涙が溢れ出た。

 気がつくと、自宅だった。自分の部屋の前にいた。

 瑠璃川は、肩で息をしながら部屋に入ると、乱暴にドアを閉めた。

 あの教室の場面が、不意に脳裏に浮かんだ。

 再び、涙が溢れた。

 その日以降、佐伯の取り巻きたちは、瑠璃川をジャミと呼ぶようになりに、他人の目に見えない密かな嫌がらせを繰り返すようになった。


 放課後の教室で「ジャミはいいな、頭がよくて。でも、見た目がショボすぎ」と言って、笑いのネタにする。

 階段の踊り場で「ジャミ、先生に媚び売ってんなよ」と、肩を小突かれる。

 休み時間に「ジャミ、成績いいから、教科書なくても大丈夫だよな」という理由で、教科書をごみ箱に投げ込まれる。

 隣のクラスの好きでもない男子に「あの男、好きなんだろ。告ってきなよ」と告白を強要される。


 その中心には、いつも佐伯がいた。

 佐伯は自分では手を下すことは決してなく、取り巻きたちが瑠璃川に嫌がらせをするさまを、薄気味悪い笑顔を浮かべながら眺めていた。

――どうやったら、苦しみにまみれたこの学校生活から、抜け出せるだろう。

 考えたが、正解は見つからなかった。

 冷静に考えれば、グループから距離を置くという方法もあっただろう。しかし、怖くてグループから逃げ出すこともできなかった。まるで、見えない鎖に繋がれているような気持ちだった。

 あるいは、学校を休むという選択肢もあったかもしれない。しかし、幼い頃から優等生を演じてきた瑠璃川の頭の中には、登校拒否などという選択肢は端から存在しなかった。

 何より、精神的に疲れて果てている母親に、これ以上の心配をかけるわけにもいかなかった。

 瑠璃川は、必死の思いで耐え続けたが、辛さに慣れることは決してなかった。

 一方で、ただ耐えるだけという瑠璃川の態度を見て調子に乗ったのか、嫌がらせの頻度も内容もエスカレートするばかりだった。

 自分の無力さを痛感した瑠璃川は、抵抗することを諦めた。

 そして、恐怖から逃れるための防衛本能が働いたのだろうか。いつしか自分自身に言い聞かせるようになっていた。

 ――何も考えずに受け入れてさえいれば、ストレスはない。大丈夫。

 瑠璃川はベッドの中で毎晩、涙にくれながら、そう繰り返した。

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