2 世界でいちばん熱い夏
車が小田原市内に入ると、通り沿いに蒲鉾屋がぽつぽつと姿を見せ始めた。店を開けたばかりなのだろう、蒸した魚の香りが街の空気にゆっくりと溶けていく。その匂いに誘われるように、小田原城の近くで車を停めて休憩することにした。
海が近いのか、潮の香りが風に混じって運ばれてくる。こんなふうに夏の風を感じたのは、生まれて初めてかもしれない。心地よさと懐かしさ、そして言葉にならない切なさが、胸の奥で静かに重なった。
8月の終わりは、夏の終わりであり、夢の終わりでもある。人は皆、現実へ戻っていく。「夏にケジメをつける」という言葉の意味が、風の中で少しだけ輪郭を持ちはじめた。
「二人は学生さんかい? 仲良さそうだね」
蒲鉾屋のおばちゃんが声をかけてきた。
彼女はすぐに僕の腕を組み、「ラブラブなの」と悪戯っぽく笑った。その明るさは、夏の光をそのまま形にしたようだった。
「写真を撮ってあげるよ」
おばちゃんはカウンターの奥からポラロイド・カメラを取り出し、気づけば僕たちは店先で並んで立っていた。シャッターが切られる瞬間、小田原の街に漂う蒲鉾の香りが、夏の終わりを告げる合図のように感じられた。写真の中で、彼女は太陽のように笑っていた。その隣で、僕の笑顔はどこか影を引きずっている。彼女の明るさが際立つほど、僕の不器用さは輪郭を濃くしていった。
「今日はどこに行くんだい?」
「伊東です」なぜか僕は丁寧に答えてしまい、彼女が小さく笑った。
「自己紹介してるみたいだよ」
「今日は波が高いから、海沿いを走る時は気をつけな」
「雨は降るかなぁ?」
「今日、明日は雨の心配はないよ。楽しんどいで」
蒲鉾と写真を手に車へ戻ると、日差しはさらに強くなり、気温もぐんと上がっていた。
湿気のない、からりとした青空が広がり、杉山清貴の曲のような真っ青な空と眩しい太陽が、僕の大好きな夏を形づくっていた。
「これ、変な顔だよね」
僕は写真の自分を指さした。
「照れ臭かったんでしょ」
彼女の言うとおりだった。
突然写真を撮られるなんて思ってもいなかったのだ。彼女は驚くほど嬉しそうに写っていて、その分余計に僕のぎこちなさが際立っていた。
小田原市内を抜けると、眼前に海が広がった。青い空、青い海。まさに夏の典型のような風景だった。かつて「空と海の境目がない」と先生に怒られた夏休みの宿題を思い出す。けれど今目の前に広がる光景は、どこまでが空で、どこまでが海なのか本当にわからなかった。深いブルーは、僕の中に沈んでいた哀しみを静かに受け止めてくれるようだった。やはり、夏にケジメをつけないと次には進めないのだと、その海を見て思った。
FMは「世界でいちばん熱い夏」を流していた。まだ夏は終わっていない。その事実を、海と空と音楽が同時に教えてくれた。
♪ Chapter Playlist
Every summer has its own soundtrack. Here are the songs behind this chapter.
松田聖子「青い珊瑚礁」
早見優「夏色のナンシー」
TUBE「シーズン・イン・ザ・サン」
杉山清貴「潮風に逢いにくればいい」
サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」
PRINCESS PRINCESS「世界でいちばん熱い夏」
Keep listening!




