甘い
「もうすぐ着くぞ」
戦士長がそう言ったのは想定よりもだいぶ早く、出発から四日目のこと。時間としては夕方よりも前だ。
戦士長もレンも、体力は十分にあるからこその走っての高速移動であった。
戦士長は移動のペースを落とし、歩きに以降する。レンもそれに従う。走り続けてきたというのに、二人の息は全く上がっていない。
今の場所は緑豊かな山の中。本当にこんなところに集落があるのかと疑いたくなるような、ごく普通の山。
少し進むと、山肌に洞窟があった。戦士長はそこに入っていく。洞窟は狭く、オークの戦士長がギリギリ身をかがめたり小さくしたりせずに通れる程度だ。
一本道の洞窟を進んでいくと、やがて進行先に光が見える。
「へえ、これは……」
洞窟を抜けた先には窪地があった。真ん中を谷が通り、谷にかかった橋の向こうにはドワーフたちが建てたであろう石組みの建物が並ぶ街があった。
「何者だ」
橋の前には見張りのドワーフがいる。身長は百五十センチ程度。筋肉が発達した骨太の体格。そして鼻より下を覆う立派な髭。五人いる彼らはハルバードを持って立っていた。
「南西にあるオークの集落の戦士長だ。今日は知り合いを紹介に来た」
「……知り合い?」
隊の中で一番立派な髭を持つ彼は、レンを見る。
「派手な髪色に角……亜人か?」
「いや、魔物だ」
レンが訂正すると、彼はふんと鼻を鳴らす。
「まあどっちでも良いさ。人間ではないのならな」
ドワーフの隊は脇に避けて道を開ける。
長い橋を渡って、レンと戦士長はドワーフの街に入る。
街に入ったところには大きな噴水がある。ドワーフの技術力を誇示するような、精緻な装飾が施された噴水だ。
「これはすごいな……オーガの集落とは大違いだ」
高い技術力を使って建築された街にレンは驚き、周囲を見回す。
「俺も、最初に来た時は驚いたよ。うちの者にも真似させてみたが、どうにもうまくいかんのだ」
そう言って、戦士長は目的地へと移動を始める。レンはもう一度噴水を見た後に足を進める。
やってきたのは、周りと比べると大きい建物だった。
「ここが、魔物専用の取引所だ」
入り口なども、戦士長が屈まずとも入れる造りになっていた。
取引所に入ると、朗らかそうなドワーフの女性がカウンターにいた。
「おや、オークの。久しぶりだねえ」
彼女は戦士長の姿にニコと笑うと、レンに目を向ける。
「そっちの兄さんは?」
「オーガのレンだ」
レンがそう名乗ると、ドワーフの女性は「へー」と面白そうに言う。
「オーガの進化個体なんて初めて見たよ。色男さんだねえ」
その言葉にレンは少し驚く。
「疑わないのか?」
「疑う? どうして?」
ドワーフの女性は不思議そうに言う。
「魔物たちっていうのは、あたしらの理解を軽々と超えてくるものだからねえ。オーガが進化したら色男さんになるってこともあるかもしれないじゃないか」
その言葉に、レンの胸にじわっとしたものが浮かぶ。
「……そうか」
レンが感慨にふけっていると、「それで」とドワーフの女性は戦士長に目を向ける。
「今日のご要件はなんだい?」
「ああ。今日はこいつを紹介しに来たんだ。ほら、レン」
戦士長に軽く肩を叩かれて、レンは我に返る。
「あ、ああ。実は……」
レンは彼女に、ここに来た目的……自分が抱えている味覚の問題について話す。
「ふーん、なるほど。進化でそんなこともあるんだねえ。そりゃ難儀なことだ」
ドワーフの女性はそう言う。
「だったら兄さん、料理を覚えなさいな。料理さえ覚えれば、自分の好きなものを作って、食べ放題さ」
「料理……って言うと、火を入れることか?」
「あはは。料理はそれだけじゃないよ。そうだ、せっかくだしこれでも食べてみるかい? あたしのおやつの余りだけど」
ドワーフの女性はそう言ってクッキーの入った袋を差し出す。
「色々準備するにしても、あたしらの味覚とおんなじだとは限らないからさ。まずはそれを食べて、どんな味か教えてくれる?」
紙袋に入ったクッキー。軽く匂いを嗅ぎ、腐敗臭がしないことを確認すると、レンはそれを口にする。
「……悪くないな」
レンは口元に笑みを浮かべると、どう感じ取ったかを説明する。
「果物と似たような感じと言えば良いのか? 少し違う気もするが……頭がふわっとして、多幸感が溢れ出るような感じは似ている」
「なるほどねえ」
ドワーフの女性はうんうんと頷く。
「それはね、『甘い』って言うんだよ」
「甘い……?」
他の種族から話に聞いたことはある概念だ。しかしオーガの姿である時にそれを感じ取ったことはない。
「他の味覚……辛い、苦い、酸っぱいは分かるかい?」
「それは分かる。辛いが塩の味で、苦いが草の味で、酸っぱいが腐った肉の味だろう?」
「オーガにとっての味って、そういう概念なんだねえ」
ドワーフの女性は納得すると、レンに何か取引できるものがあるかを問う。
レンはマンドレイクたちがコボルトから習って作った、乾燥した草たちを取り出す。戦士長から、薬は引き取ってもらえないため避けた方が良いと言われてのことだった。
「あら。魔力草なんて珍しいねえ」
レンは調理道具一式を譲ってもらうことになった。しかし細かい道具までは揃えていないため、明日の昼くらいにまた来てほしいと言われた。
「ああ、そうだ。もし暇があれば、ウルファムのところにでも寄ってやってよ。あいつ、オーガの兄さんが行ったら喜ぶだろうし」
「どういうことだ?」
「まあ、行ったら分かるよ」
ウルファムとやらの家の場所を教えてもらったところで、戦士長とレンは取引所を後にする。
「一泊することになったが、オレたちはどこに滞在すれば良いんだ?」
「ここに魔物を泊めてくれる宿は無いからな。取引所の裏を使う」
「そうか」
見に行ってみると、簡易な建物があった。壁の一面が無いそれは人間の価値観では倉庫だが、魔物の感覚では雨がしのげてありがたい場所だ。
「ところで、さっき聞いたウルファムとかの家には行くのか?」
戦士長が聞く。
「暇だし、行ってみても良いが……そうすることで取引所からのアンタの株も上がるだろうし」
「はは。気を使ってのことなら遠慮はいらんぞ?」
「そういうわけじゃない。どうせ暇だからだ」
というわけで、レンは戦士長を伴って教えられた場所に行くことにした。




