ふたつの名付け
サテュロスを迎えたことによる騒ぎは、ほどなく収まりを見せる。
そしてそれを見計らい、女サテュロスが再び口を開く。
「では、これより私どもサテュロスは、レンさんの率いる群れの配下となりましょう」
そう言ってひざまずく女サテュロス。男のサテュロスたちもさすがに空気を読んで、それに倣った。
「つきましては……その証として、ご無理でなければレンさんに名付けをしていただければと思うのですが」
レンはひとつまばたきをする。
「なるほどな。それがアンタの本気というわけか」
「ええ」
女サテュロスはレンのことをまっすぐに見据える。一方でレンは小さく首を振る。
「だが悪いな。オレの魔力は貰いものだから、オレは名付けをするつもりはない。……リュール、頼めるか?」
「え? ぼく?」
突然の指名に驚いて自分を指差すリュール。
「どういうことですか?」
首を傾げるのは女サテュロスも同じだ。
「オレよりもリュールの方が格上なんだよ。リュールはまだ幼いから、オレが代わりにリーダーをやっているだけで」
レンの言葉にざわめきが起こる。リュールの方が格上という発言への驚き、戸惑いといった雰囲気だ。レンがはっきりとリュールを格上とする発言は初めてなので、皆が驚いている。
「そうなの?」
当のリュールすらもこの反応だった。
「そうだ。オレに名付けをした時と比べても、アンタは強くなり続けているからな。大したものだよ」
レンに褒められてリュールは不思議そうにしていた。その様子に空気が和む。
「そうなのですね。ということは、貰いものというのは……」
「ああ。オレの魔力はリュールから名付けで貰ったんだ」
「確かにそれは、切り分けがたいですね」
レンが名付けを避ける理由に納得がいったところで、女サテュロスはリュールに視線を向ける。
「では、リュールさん。改めまして、私に名付けをしていただけないでしょうか?」
「……ぼくが名付け、かあ」
リュールの態度は目に見えて沈む。
「別に名付けなんてしなくても、良いんじゃないかな? ぼくはきみたちが裏切るとは考えていないし、自由を縛りたくない」
リュールの中では、名付けという行為はネガティブなイメージに寄りつつあった。
あの事故のような名付けで、レンに「友達」を強制した。
オークの戦士長からは、相手の一生に責任を持つつもりで名付けろと助言された。
その結果、名付けはできる限り避けるべきものと考えるようになっていたのだ。
「リュール」
すると、他でもないレンが声をかけてくる。
「リュールが名付けをしたくないのは、魔力の問題か? それとも、倫理的な問題か?」
「……魔力には問題無いよ」
「魔力を分け与えることに抵抗があるわけじゃないんだな?」
「うん」
倫理的な問題だと聞いて、レンは小さく頷いた。
「だとすると、名付けをすることを考えてもいいと思う。魔物が名付けをしてくれって言うことは、それだけの覚悟があってのことだから」
「どういうこと?」
首を傾げるリュールの前に腰を落とすレン。目線を合わせて語り出す。
「リュールも知っての通り、名付けというのは魔物のあり方を変える。魔物なら誰もが知っていることだ。……生まれたばかりの魔物はともかくとして」
世間知らずを突きつけられてしょげるリュールにフォローを入れつつ、レンは話を続ける。
「そんな中であえて名前を付けてくれというのは、最上位の誠意の示し方だ。自分の人生を預けると言っているのと同じだからな。そしてそれに対して名付けで応じるというのは、その誠意を受け取ったということを現す。今回なら謝罪を受け入れるという意思の表明になる」
リュールがちらりと女サテュロスを見ると、彼女は神妙な顔で頷いた。
「また、害意が無いこと、配下になることを手っ取り早く表明する手段でもある。それに対して名付けで応じることは……」
「サテュロスたちも、ぼくに害されることがないと分かって、安心できるってこと?」
「ああ、そうだ」
リュールは考え始める。
名付けは確かに怖い。
けれど、名前を付けないことによって、サテュロスたちに不安な思いをさせるのもどうかと思う。
それにサテュロスに名前を付ければ、他の魔物たちも安心できるだろう。それでも……
――彼女の自由を、奪いたくない。
この場合で求められているのはおそらく、服従や忠誠を迫る名付けだろう。しかしリュールはそういった名付けはしたくなかった。
本人の意思を無視して服従や忠誠を刻むなど、リュールの考え方では魂そのものを壊す行為そのもの。禁忌と言っても良い。
「リュール」
すると、レンに話しかけられる。どうやら無意識に、自分の無知によってあり方をねじ曲げてしまったレンのことを見ていたらしい。
「オレはアンタに名前を付けられて、良かったと思っている。でなければオレは、冬の森でオーガの体を維持できずに死んでいただろうし、そうなればオーガの里も守れなかった。もちろん思うところが全くなかったと言えば嘘になるが……でも今は、他でもないアンタに出会えて良かったと思っている」
まっすぐにリュールを見つめる目に嘘は感じられない。
「だからリュール、アンタはもう少し自分に誇りを持って良い」
むしろ、誇りを持ってほしいと、レンの目は語っていた。
「誇り……」
リュールは目を伏せて呟く。
レンはおそらく、自分の名前を誇りに思っているのだろう。
ならば、名付け親である自分がレンへの名付けを失敗と思い続けることは、レンの誇りを踏みにじることになるのではないだろうか。
「うん……ありがとう、レン」
――レンがそう思ってくれているのなら、ぼくはぼく自身を責めすぎないようにしよう。
罪悪感の入り混じった笑顔を浮かべて、そしてリュールは改めて女サテュロスに向き合う。
「うん、分かった。名前を付けるよ」
その言葉に女サテュロスは安心したように微笑む。
「光栄です」
しかしその前に……リュールはあることを彼女に聞く。
「きみは、名付けでどんな力が欲しい?」
「えっ?」
女サテュロスは何を聞かれたか一瞬分からず、声を上げた。
「あの……リュールさんが望む力を与えてくださればと思うのですが」
「そう言われても困るな。ぼく、きみのこともまだよく知らないし。ひょっとしたらお酒が嫌いになりますようにとか願うかもしれないよ?」
「それは困ります」
女サテュロスは途端に真顔になる。
「私どもサテュロスにとって酒は生きがいですから。それを奪い取ろうというのは……」
「あ、うん。あくまでたとえ話で、実際にはやらないから安心してね?」
早口になる女サテュロスをリュールは苦笑いでなだめる。
「でもだとすると、なんでも良いってわけじゃないんだよね?」
その言葉で女サテュロスは動きを留めてはたと考え込む。
「そうですね。酒造りに悪い影響を与えるものはご勘弁願いたいです」
そして女サテュロスは少しだけまつ毛を下向かせる。
「もしも……もしも叶うのなら、酒造りがうまくなりたいのはもちろんですが……寿命が延びると嬉しいですね」
「寿命が?」
「はい」
女サテュロスはその未来を想像して少しだけ笑う。
「私は酒の研究が趣味なのです。ですから、寿命が延びればその分だけ研鑽を積める時間が増えるでしょう?」
「なるほど……」
リュールは女サテュロスの言葉に満足して頷く。
「うん。きみの名前、思いついたよ」
女サテュロスは改めてひざまずき直す。場はしんと静まり、リュールの言葉を待つ。
リュールは女サテュロスが持つ魔力の受け入れ上限を視ると、口を開く。
「きみの名前は、『クオリア』にしよう」
――健康で長生きできますように。お酒造りが上手になりますように。
二つの願いを込めた名前が、すっと女サテュロスの胸に染み込んだ。
「気分はどうかな?」
リュールがおずおずと問いかけると、女サテュロス改めクオリアは立ち上がる。
「悪くはないです。なんだか、元気が出てきた気がします」
そして周りを見渡した後、こう宣言する。
「私、クオリアは今この時よりリュールさんの配下となり、サテュロスたちを束ねる任に就かせていただきます」
忠誠や服従は願っていない。いくらこの場でそれが求められているとはいえ……言わなければ良いだけだと、考えてのこと。
「うん。こちらこそよろしくね」
リュールが人当たりの良い笑顔で応えると、クオリアも上品な笑顔で返す。
「ではひとまず、今回話がまとまったことを……そうですね。あなたと、あなた。集落に伝えに行ってください」
「ええ!? そんな殺生な!」
「俺たちも酒造りがしたい!」
指名された男サテュロスたちは悲鳴のような声を上げるも……
「行ってきてくださいね?」
クオリアの有無を言わせない笑顔に沈黙するしかなかった。しばらく不服そうにその場に留まるも、クオリアに決定を翻す気が無いと分かると、仕方なさそうにダンジョンの出口へと向かっていく。
「さて、それじゃあクオリアとサテュロスたちに、一緒に住むみんなを紹介する」
レンがそう言ったタイミングであった。それまで静かに話の行く末を見守っていた一団の中から、とてとてとフラファンの少女がやってきて……リュールの前に立ち止まる。
「ずるい」
「え?」
むくれた表情の彼女に、リュールは何をしたのか分からずに首を傾げる。
「わたしも、リュールさまに名前、付けてほしかったのに」
頬をぷうっと膨らませて、彼女は不服そうにする。すると、同じく一団からエミリが飛び出し、駆け寄ってきた。
「リュール様。彼女はですね、ずっとリュール様に名前を付けてほしかったんですよ」
「そうなの?」
「はいっ」
エミリの発言を受けてフラファンの少女を見ると、彼女は長い尻尾をもてあそびながら、ふてくされた顔をしていた。
「だって……勉強してる時も、エミリやレンは名前を呼ばれてるのに、わたしだけ『きみ』なんだもの。わたしだけだもん。ずるい」
「あー……」
言われて納得した。確かにいつもの勉強メンバーの中では、彼女だけが名前を持たない。
「リュールさま、ご無理でなければわたしにも名前を付けてほしい」
「きみにも?」
「うん」
フラファンの少女の願いにリュールはためらうように視線を落とす。すると、フラファンの少女はさらに言葉を付け足す。
「わたしの願いは、もっとみんなの役に立つこと。それは服を作ることかもしれないし、戦うための力を付けることかもしれない。とにかく、役に立ちたい。名付けされたらダンジョンから切り離されることは分かってる。でもわたしは、リュールさまだけじゃなくて、みんなの役に立ちたいの」
真面目な顔で言い切った後……フラファンの少女はふっと笑う。
「なんてね。本当は、ただエミリやレンが羨ましいだけなのかもしれない」
彼女はそう言うが……役に立ちたいという言葉にも嘘は無いように感じられた。
――そっか。当たり前だけど、ぼくだけじゃなくてみんなも色々考えているんだよね。
また一つのことを学んで、リュールはひとつ頷く。
「分かったよ。それじゃあきみに、名前をつけさせてもらうね」
そして受け入れられる魔力の量を見て……その容量が意外にも大きいことに気が付く。クオリアが一だとすると、目の前にいるフラファンの少女は三十くらいはあるのだ。
現在自由に使える余剰魔力の半分ほどは取られるが……それでも、魔物にとって生涯に一度しかない名付けの機会だ。自分を信頼する彼女のためにも出し惜しみする気は無かった。
「きみの名前は『レディアン』にしよう」
――きみが持つ力の伸びしろが上がりますように。
まだはっきりと自分の道を決めていないフラファンの少女の未来を願っての名付け。
一拍置いてから、彼女は満足げに微笑む。
「うん、わたしはレディアン……確かに受け取りました。ありがとう」
「愛称としては『アンネ』を使うと良いよ」
「分かった。アンネだね」
レディアンは確かにその名前と愛称を受け取って、頷いた。




