騒がしい来訪者
レンがマルスに行った二日後の昼下がりだった。
今日はリュールのダンジョンで皆が集まり、ウルファムとラナの夫妻が作った新しい道具を見学していた。
「それじゃあ行くぞ!」
オーガの中で一番の力自慢(レンを除く)であるオーガが、木枠で固定された金属製の筒に向き合い、金属で先端をカバーした丸太を筒の中に入れ、ゆっくりと押し込む。
すると金属製の筒に空いた穴から、リンゴの果汁がじわりと滲み出す。中のリンゴは、リュールとレンとラナとフラファンの少女が協力して下準備をした。
滲み出したリンゴ果汁は受け皿の上を流れ、注ぎ口にセットされた金網で濾されて銅製のポットに注がれる。
この道具はオーガの腕力を使って手動で圧搾するための装置だ。
ジュースは今までマンドレイクがいつでも飲めるように用意していたのだが、人数が増えたのと夏になって飲む量も増えたのもあり間に合わなくなってきたのだ。
何とかならないかとエミリがウルファムに相談した結果、できあがったのがこの原始的な圧搾装置であった。
「すごいです! どんどん果汁が出てきます!」
当のエミリは大はしゃぎで滲み出る果汁の流れを見ている。
ポットが満タンになるとすぐに次の空きポットと入れ替え、そしてラナが木製のカップに注いでいく。
そしてカップにレンが火魔法で作った氷……この世界の火魔法は熱魔法と言った方が正しい……を投入していく。
冷たいジュースを注いだカップが行き渡ったところで、装置を作ったウルファムがカップを掲げる。
「……乾杯」
「乾杯!」
圧搾装置を使って初めて作られたジュースは、皆に好評だ。
「冷たくて良いね!」
味の分からないオーガたちはレンが浮かべた氷への評価が主だったが……それ以外の者は手搾りと味が変わらないことを評価する。
「甘くておいしいね」
コボルトの子供たちは蜜の多いリンゴを使ったフレッシュなジュースに笑顔をこぼす。
「このジュース、絶対に売れるんだけどなあ。おれたちじゃ力が弱いから運べないのが惜しいよなあ……」
メレムは商人の目でそんなことをぼやいていた。
「この季節に新鮮なリンゴのジュースが飲めるとは、贅沢よねえ」
嬉しそうに夫と笑い合うのはラナだ。ウルファムは返事の代わりにおかわりを注ぎ足し、静かに頷く。
「リュール殿のダンジョンで採れる果物は、やはりおいしいですなあ」
額に白い模様を持つオークの隊長はしみじみと味わう。
リュールは皆の笑顔を見ながら、ちびちびとジュースを飲む。食事を必要としない依代だが、味覚はちゃんとある。
「ウルファム、ありがとう。きみが装置を作ってくれたおかげで、みんな喜んでるよ」
「……ああ。どういたしまして」
そんなこんなでほのぼのとした時間を過ごし、そろそろ仕事に戻ろうかという空気になってきた頃であった。
「ん……?」
リュールがふと首を傾げる。
「どうかしたか? リュール」
それに気付いたレンがリュールに問いかける。
「誰か入ってきたよ。これは多分……サテュロスかな」
その言葉で皆が一斉にダンジョンの入り口の方を見る。しばらくして、侵入者が視界に映る。がやがやとした声も。
「いやあ、良い匂いだ! この草は何かに使えそうだ!」
「こんなに甘くて大粒のサクランボ、食べたことがない! 酒にしたらどうなるんだ?」
「ここは素晴らしいダンジョンだ!」
現れたのは五人のサテュロス。ヤギの下半身に人型の上半身、頭にはくるんと巻いた角が生えている。
人数は五人。大はしゃぎの男のサテュロス四人と、落ち着いた様子の女のサテュロス一人であった。
「皆さん、食べてばかりいないでください。もう見つかっていますよ」
女サテュロスの言葉で男のサテュロスたちもはっとする。そしてサクランボの木に伸ばしていた手を引っ込める。
サテュロスたちは一行の前に歩み寄ってくる。そしてある程度の距離で止まると、女サテュロスが一歩だけ前に出た状態でこちらに話しかけてくる。
「はじめまして、皆さん。私どもは東の山地からやってきたサテュロスです。代表者の方とお話がしたいのですが、よろしいでしょうか?」
その言葉で、レンと……少し遅れてリュールも前に出る。
「一応、オレが代表だ。オレの名前はレン。要件を聞こう」
背中にリュールの気配を感じつつ、レンが交渉の窓口に立つ。
「はじめまして、レンさん。私どもは今回、皆さんに謝罪に参りました」
「謝罪?」
女サテュロスは背後にいる男サテュロスたちをちらりと見る。
「だ、だってうまかったんだ! 仕方ないだろう! なあ!」
「そうだ、そうだ! 酒宴になるのは仕方がないだろう!」
「むしろ酒宴にならない方が酒に失礼だ!」
やかましくなった男サテュロスたちに女サテュロスは口を開く。
「皆さん?」
すると男サテュロスたちはたちまち静まる。
「つまりはどういうことだ?」
レンが聞くと、女サテュロスは事情を説明する。
「実は皆さんからお預かりし、酒にするよう依頼を受けていたブドウについてですが、うちの者が飲みきってしまいまして……」
「飲みきった!?」
オーガの一人が言う。
「え? 樽四つに木箱二つ分持っていったよな? それなのに、飲みきった?」
「はい。味見のはずだったのですが、うちの者が止まらず……申し訳ありません」
静かに頭を下げる彼女からは、どことなく苦労人の気配を感じた。
「つまりは謝罪のために、ここまで来たということで良いのか?」
「はい。表向きはそういうことになります」
「表向き……?」
女サテュロスは頭を上げると続きを言う。
「うちの族長からは、謝るついでにあのおいしいブドウの秘密を探ってこいと言われていまして」
「あ、バカ! なんで正直に言うんだ!」
「皆さんが欲望を抑えようとしないからですよ。草やら木の実やら好き放題に荒らして、それで謝罪に来ただけなどとは通用しないでしょう」
呆れた声に対して、男サテュロスたちはさっと目をそらす。
「それで、アンタたちが謝罪に来たとして、それは言葉だけのものか? それとも、何か『誠意』があるのか?」
レン個人としては笑い話にしたい気持ちもあるが、群れの代表者としてはさすがにそういうわけにもいかない。
レンに軽く睨まれながらも、女サテュロスは堂々と言葉を返す。
「はい。私どもとしては……この場所で酒造りをさせていただきたく思います」
その言葉にレンはぴくりと反応する。
「それはどうしてだ?」
「この場所で酒造りをさせていただくことによって、私どもが再び同じ過ちをしないよう、監視していただきたいのです」
女サテュロスはそう言って頭を下げた。それに対してレンはこう返す。
「それで、本音は?」
女サテュロスはにこと笑う。
「この素晴らしいダンジョンのそばで、酒造りがしたいなと」
「…………」
レンはちらりとリュールを見る。
「食料には問題無いよ。エミリたちが頑張ってくれているから」
すると、レンのもとで相談の文化ができあがっているオーガたちが声をあげる。
「食料に問題無いなら良いんじゃないか?」
「酒が飲めるなら賛成!」
「群れが大きくなるのは悪くないよな」
オーガたちに反対意見は無さそうだ。
「ウルファムや、コボルトたち、オークたちはどうだ?」
レンが聞くと、オークたちは少し驚く。彼らは顔を見合わせると、代表でオークの隊長が口を開く。
「私たちも意見を言っても良いのですか? この群れのリーダーはレン殿なのに?」
もちろんだとレンは返す。
「確かに最終的な決定権はオレにあるが……でも、だからといってアンタたちの考えを聞かずに決めるようなことはしたくない。できる限りみんなが納得できるように話し合って決めるべきだと思っている」
その言葉にオークの隊長はパチパチと目を瞬かせる。
「随分と優しいのですね」
「甘いって言いたいんだろう? 分かっているさ。でもな」
レンはゆっくりとこの場で生活する者たちの顔を見ると、真面目な顔になる。
「何せオレたちは異なる種族で、異なる育ちの集団だからな。そうしなければ必ずどこかで不満が高まり、いずれ破綻すると思っている」
なるほどとオークの隊長が納得しかけた瞬間、レンはふっと笑う。
「というのは名目で、仲間の意見を無視するようなリーダーにオレはなりたくないってだけなんだけどな」
その言葉を聞いて……オークの隊長は満足げに頷いた。
「また一つ、レン殿を信頼する理由が増えましたな」
「よしてくれ。オレはオレのやりたいようにやっているだけさ」
と、リュールがレンが着る服の袖を軽く引く。振り返ると彼は誇らしげな目でレンを見ていた。
「うん。すごく良いと思うよ。最後に決めるのはレンだとしても、その過程でみんなの考えを取り入れるのは大事なことだと思う。レンは良いリーダーだね」
「……ああ」
照れ隠しに小さく肩をすくめると、レンは改めて皆に意見を問う。
「サテュロスを迎え入れることに異議のある者はいるか? いたら正直に教えてほしい」
すると、他でもない女サテュロスが小さく手を挙げる。
「おそらく受け入れとなると、人数は二十を超えると思います。三十は行かないと思いますけど……」
「思ってたより多いんだな」
レンの言葉に女サテュロスは頷く。
「ええ。あまりのおいしさに、うちの族長が近隣の群れも呼び出して酒宴を開いたので」
「……うっかり飲み切ったってわけじゃないのか?」
「彼としてはうっかりですよ。うっかり調子に乗って、笛を吹いて呼び集めてしまったので」
その奔放さに思わずため息を漏らすレン。
「サテュロスってどういう魔物なの?」
その間にリュールが質問をする。
「まあ見ての通り、享楽的な性分ですね」
女サテュロスが説明を始める。
「生存のために最低限のことはしますが、それ以外は基本的に楽しいことや好きなことを優先する傾向があります。勝手気ままとも言います」
「自分で言うんだ……」
「ええ。ただ、酒に対する執念は強いので、そこさえうまく利用すれば多少は制御が利くと思います」
リュールは男サテュロスたちを見る。
「じゃあ、お酒を造ることは許すけど、みんなと仲良くしてくれないなら材料はあげないって言ったら、仲良くしてくれる?」
小首を傾げるリュールに、男サテュロスたちはもちろんだと騒ぎ出す。
「そうしなければ酒が造れないと言うなら従うとも! なあ?」
「オーガと力比べをしろと言われたら困っていたが……仲良くするくらいなら大丈夫だ!」
「それだけで酒が造れるのか!?」
リュールは苦笑いしながら答える。
「もちろん、それだけじゃないよ。誰かと仲良くするだけじゃなくて、みんなが気持ち良く過ごせるように気を使ってねってことだよ」
この共同体にルールというべきものは今のところない。揉めごとや困ったことがあれば、レンが仲裁したり、それぞれの種族の代表者同士が話し合って解決を目指したりという方向性くらいか。
それをレンが説明すると、女サテュロスはまあと声をあげる。
「こちらの群れは、随分と穏健な考え方をしているのですね」
「ああ。魔物の群れとしては変わっているんだろうが……オレがそれを許しているということだ」
魔物の世界は強者がルールブック。独裁を敷くも、穏健を許すも、強者次第だ。
女サテュロスが頷いていると、後ろから男サテュロスの一人が言葉をかける。
「あんたと……その隣の小さいのは、魔物で良いんだよな?」
「ああ」
レンは頷くと、自身のことについて軽く説明する。
「オレは、これでもオーガだ。進化して今はこの姿になった」
続けてリュールも口を開く。
「ぼくはダンジョンコアなんだよ」
「ダンジョンコア?」
サテュロスたちが揃って声を上げる。
「には、見えないのですが……」
女サテュロスは本当かどうか分からず戸惑った様子を見せる。
「本当だよ。ぼくのこの体は、依代の姿で……本体はダンジョンのもっと下の方にあるんだ」
女サテュロスは相変わらず戸惑いつつも……冷静に判断をする。
「だから、このように子供のコボルトまでダンジョンに入れるということですか」
「うん。このダンジョンはぼくが管理しているから、浅層は安全なんだ。……ダンジョンの魔物が住んでいるから、あまり深くまで潜ってこられるのは困るけど」
リュールのダンジョンには近頃生活のための階層ばかりが増えているが、元からいる防衛用の魔物が減ったわけではない。
生活を支援する魔物も合わせて、彼らは皆深層で暮らしている。
「特に深層は防衛用になっていて危ないから、用事がなければ入り込まないでほしいな」
女サテュロスは分かりましたと言う。
「それも全ては、ここに住むことを認められるかどうかですが。いかがでしょう?」
レンは周囲を見る。異論を述べる者はいない。
「では、サテュロスたちを受け入れようと思う」
「やった! 酒が造れる!」
「酒が飲めるぞ!」
男サテュロスとオーガたちはそれぞれ嬉しそうにする。
「ただ、度を越して騒ぐようなら出ていってもらうからな」
レンの言葉は誰も聞いていないかのように思えたが、女サテュロスだけは頷く。
「当然です。ただ、私としてはそうなる前に言えるべきことは伝えてほしいと思います。私から叱っておきますので」
「ああ。頼むぞ」
男サテュロスとオーガたちの大騒ぎをよそに、レンは小さく笑った。




