外伝EP.1 レンの始まり
「それなら、ぼくが付けてあげるよ。きみの名前は、『レン』にしよう」
何気なくこぼれた言葉は、止めようもなかった。
この言葉を聞いた瞬間の青髪のオーガは、何を馬鹿なことをと思った。
魔物の中でも上位の種族である自分に名付けなど。
しかしそう思った次の瞬間には、青髪のオーガの心臓……もとい魔石に燃え上がるような感触が走った。
目の前の少年がほどけるように消えてしまったことに、気を払う余裕などない。
「ぐっ……」
青髪のオーガは胸を押さえ込み、体を横たえる。
鼓動の一つごとに、魔石から全身へと燃え上がるような痛みが回る。
――これはまさか、進化!?
それは上位の魔物で存在が安定しているオーガという種族においては、滅多に起こらないこと。
青髪のオーガは驚くも、それと同時に安心する。今味わっているこの激痛は、数分もすれば落ち着くと。
進化に伴って激痛が走るという伝承や、まぶた一つ動かせなくなるという噂話は本当だったと、観察する余裕すらあった。
それが地獄の始まりだった。
青髪のオーガは全身を襲う、燃え上がるような激痛で意識を取り戻す。
――熱い、熱い、熱い!
そしてまだまぶたを開けないことに気が付く。
もう何回目か分からない。激痛で意識が飛び、激痛で意識を取り戻す。そのたびにまだ進化が終わっていないことに絶望する。
全身を過剰に得てしまった魔力が焼き、身体は必死に進化を繰り返してそれに耐えようとする。二重の痛みが常に青髪のオーガを襲っていた。
進化に伴い身じろぎ一つできないというのは、もはや悲劇でしかない。
――いっそ、殺してくれ……
涙の一つもこぼせない、自分以外には激痛しか存在しない世界に閉じ込められた青髪のオーガは、何度目か分からない祈りを心の中で口にする。
自分の体に自由があれば、今すぐにでも魔石を引きずり出し、自分の生涯と引き換えに痛みからは解放されていたのに。
――ああ、だから進化の最中っていうのは、体が動かせなくなるのか……
朧気な意識の中、青髪のオーガは妙な悟りを得た。だからといって魔力暴走も進化も手加減してくれないが。
青髪の青年がそのことに気が付いたのは十日が過ぎた頃の夜遅くだった。
――あれ……?
意識を取り戻した青髪の青年は、すぐに違和感に気が付く。あれだけ自分を苦しめた激痛が、消えてなくなっている。
そのことに気が付いた青髪の青年は、ばっと体を起こす。それと同時に目が開く。
「動いた……?」
声も出た。
そこでようやく、青髪の青年は地獄の苦しみから解放されたと理解する。
はーっとため息を吐き、額を押さえた時であった。
手先と額に、同時に温もりを感じて、驚いてその手を放す。そしてようやく開くようになった目で、その手を見る。
「え?」
そこに自分のイメージどおりのものはなかった。鋭い爪を備えた見慣れた手は、白くて細い何かに変わっていた。
青年は驚きとともにその腕が繋がる肩を見て、そして自分の体をおそるおそる見下ろす。最後に、両手で頭に触れて撫でまわす。
「……え?」
すぐに受け入れられなかった。オーガとして自慢だったその体は、すさまじい変貌を遂げていた。
硬くごわついていた髪の毛は、さらりとした質感に。全身の肌は白く、筋肉で隆々としていた体はほっそりとした頼りのないものに。手には丸い爪。獣皮を加工して作った腰巻きは、明らかにサイズが合っていない。
「嘘、だろ?」
声もまた、自分のものとは似ても似つかぬものになっていた。頭には角の感触があるが、それも自分が憶えているたくましい感触とは違う。
「この姿は、まるで……」
人間。
そう考えてゾクッとする。
自分たちの天敵。同じ二足歩行だが決して相容れず、テリトリーを巡って常に睨み合ってきた存在。
――どうして、こんなことに。
それが進化の結果だということは分かっている。だが、受け入れられなかった。
その時そうだと思い出す。このことの原因になったと思われるあの白い髪の「リュール」を名乗った少年。
彼の姿を探して青髪の青年は周囲を見て、このダンジョンの主と思われる存在に気が付く。
不純物なく透き通った、色を持たない結晶体。
それを見た瞬間、青髪の青年の胸に感情が一気に湧き立つ。
自分が寝込んでいる間に何事もなかったという安堵。このダンジョンコアに抱きつきたいという衝動。このダンジョンコアを守らなければという義務感。
瞬間的にそれらが噴き出して、青髪の青年は驚いた。
「これは……」
青髪の青年は立ち上がり、ダンジョンコアに近付き、そして限りなく透き通ったそれに触れる。
ひんやりとした感触。だけど胸には、温もりがふわりと広がる。
白い髪の少年の無邪気な笑顔が思い出される。
「リュール……」
その言葉を呼ぶだけで、心の中は安心感に満たされる。
「……そうか、そういうことか」
青髪の青年はダンジョンコアに触れる手をすっと下ろす。
名付けとは、時として魔物のあり方そのものを変えてしまう儀式。
自分のあり方は姿形も含めて変えられてしまったのだと、青髪の青年はそこで納得する。
「それがオレの……『レン』のあり方なんだな」
とめどなく溢れるダンジョンコアへの親しみの感情。
レンという名前を呼べば、その言葉は自分の胸にすっと入り込んだ。
「……オレは、レン」
一度定められたものは、もうどうあっても変わらないし、変えられない。
「オレは、レンなんだ」
そのことを噛みしめるように、レンは繰り返した。




