第二節「最初の刻印」
目を閉じたまま、三人の顔を順番に思い浮かべた。
ガルドの顔。
五十代で、傷の多い顔で、普段は表情が少ない。
でも、俺が何かをやり遂げたとき、言葉より先に目が動く。
その目の動きを、俺は何度も見た。
リリアの顔。
眼鏡をかけていて、何かを考えているときは少し口が開く。
研究に夢中になると食事を忘れる。
それを思い出させるのが、いつの間にか俺の役割になっていた。
ユナの顔。
今朝は来なかった、あの顔。
小さくて、端整で、何を考えているか分かりにくいようで、よく見ると全部が顔に出ている。
昨夜渡した端材を、手のひらに乗せて「温かい」と言った顔を思い出した。
守りたい、という気持ちが充填されていく感覚があった。
感情の強さというよりも、静かな確信だ。
この三人がこれからも隣にいる。
それを、俺は当たり前のこととして受け取っている。
当たり前だと思っていることを守る、という意志が、腹の底から来た。
目を開けた。
ミスリルの板が目の前にある。
光を受けて、表面が鈍く輝いていた。
短剣の先を板の中央に当てた。
「守護」
声に出した。
声が出た瞬間に、空気が動いた気がした。
言葉にならない感触が、手の先から板の中に入っていく。
Lv.4の刻印は以前とは違う。
以前は文字を書くという作業に近かった。
今は、届けるという感触がある。
二文字を刻み終えた。
シドウが近づいてきた。
鑑定石を板に当てた。
しばらく沈黙があった。
「……出た」
シドウが低い声で言った。
「どうですか」
「神話級だ」
シドウが板を持ち上げて、炉の光に透かした。
金属の表面に刻まれた二文字が、角度によって淡く光って見える。
「それだけではない」
「属性が出ましたか」
「防御属性と、能動守護属性。二つ同時に出た」
能動守護。
「能動、というのは」
「防御属性は受け身だ。壁になる。衝撃を受け止める。
しかし能動守護は違う」
シドウが板を作業台に置いて、俺を見た。
「着た者が守りたいと思ったとき、鎧がその意志に応じて動く。
どう動くかは、まだ分からない。しかし、着る者の意志と連動する属性だ」
「鎧が、意志に応える」
「お前が守りたいと思いながら刻んだから、そういう属性が出た。
刻んだ者の気持ちが、属性として定着している」
ガルドが腕を組みながら言った。
「それは、つまり」
「この鎧を着た者が守ろうとするとき、木下が込めた「守りたい」という気持ちが上乗せされる。
一人で守ろうとしているのに、誰かが後ろで一緒に守ろうとしてくれているような、そういう力が加わる」
「……おい」とガルドが言った。
いつもの無表情が、少しだけ動いた。
「なんですか」
「お前さんは、今日一枚の金属板を刻んで、そういうものを作ったのか」
「作った、というより出てきた、という感じです。
意図したのは守りたいという気持ちを込めることだけで、属性までは制御していない」
「それでもだ」
シドウが板を再び手に取った。
「残りのパーツも同じようにできるか」
「分かりません。今日は上手くいった。
ただ、刻むたびに同じ状態で込められるかどうかは、やってみないと」
「正直でいい」とシドウは言い、板を丁寧に木の台に置いた。
「急かさない。ただ、この一枚が見本になった。
残りも同じ方向性で刻んでくれ」
「はい」
工房の中に炉の音だけが戻ってきた。
シドウが次の素材の準備を始めた。
鋼の板を取り出して、成型の最終確認をしている。
俺は刻み終えたミスリルの板を見た。
守護という二文字が刻まれている。
それだけのことだ。
しかし、シドウが言った「着る者の意志と連動する」という言葉が、頭から離れなかった。
誰がこの鎧を着るのか、まだ決まっていない。
でも、いつかこの鎧を必要とする人間がいる。
その人間のために、俺は守りたいという気持ちを込めた。
会ったことのない誰かのために込めた気持ちが、金属の中で待っている。
それが言霊の刻印というものなのかもしれない、と思った。
「昼飯を食ったら、午後はドレンが来る」とガルドが言った。
「分かっています」
「急いで戻る必要はないが、遅くなるな」
「はい」
「……今の刻印は」とガルドが続けた。
珍しく、少し迷うような間があった。
「見ていて、気持ちのいいものだった」
俺は少し驚いた。
ガルドがそういう言い方をするのは、珍しかった。
「ありがとうございます」
「礼はいい。続けろ」
ガルドが先に工房を出た。
俺はもう一度、ミスリルの板を見た。
守護。
この二文字を完成させるために、まだやることがある。
胸当て一枚ではなく、鎧一式だ。
肩当て、篭手、脚甲。
全部に、今日と同じ気持ちを込めなければならない。
それは今日の成功を再現することではなく、毎回新しく充填することだ、とシドウは言った。
「刻印は同じ字でも、込めるたびに違う」
「違う、とはどういう意味ですか」
「人の気持ちは毎日変わる。昨日と同じ気持ちは、今日には作れない。
似たものは作れる。でも、同じではない。
だから、毎回本気で充填しろ。昨日の刻印の再現ではなく、今日の刻印を刻め」
その言葉が今になって、腑に落ちた。
俺は短剣をしまって、次の素材が準備されるのを待った。




