第一章「残党の影」 第一節「テムザリアの日課」
テムザリアに滞在して、二十日が経った。
朝は市場から始まる。
宿の近くに食材市がある。
七時を過ぎた頃から売り手が並び始めて、九時には人が減る。
俺はその間に行って、夕食の材料を選ぶ。
毎朝の行事だった。
「また根菜か」
ガルドが後ろから言った。
「スープに合う」
「昨日もスープだった」
「昨日と今日では素材が違う。昨日は干し肉、今日は豆だ。同じ料理はひとつもない」
「似ている」
「言いがかりだ」
ガルドが黙った。
俺は棚に並んだ根菜を手に取って重さを確かめた。
泥がまだついているものが土から来て日が浅い。
表面が乾いているものは日持ちするが旨味が落ちる。
昨日入荷したばかりの人参を見つけて、三本取った。
玉ねぎを二個。小さな芋を四つ。
布袋に入れて腕に下げた。
この作業が好きだった。
テムザリアに来る前は、食材を選ぶという行為自体がなかった。
コンビニの夜勤では、入ってきた商品を棚に並べることはあっても、自分のために選ぶことがなかった。
異世界に来て初めて、食べるものを自分の判断で決めるようになった。
スローライフの入り口というのは、こういう場所にあるのかもしれない、と思う。
「ユナは」と俺は言った。
「宿にいる」とガルドが答えた。
「今朝は来なかった」
「珍しいな」
「来たくない理由があるか、来る必要がないと思っているかのどちらかだろう。
どちらにしても、ユナが判断したことだ」
俺は少し考えた。
ユナが朝の市場についてこないのは今日が初めてだった。
体調が悪い様子はなかった。
昨夜も普通に夕食を食べて、普通に部屋に戻った。
気になるが、追いかけるほどのことでもない。
戻れば話せる。
「シドウのところへ寄ってから宿に戻ろう」
「そうするつもりだった」
工房へ向かう道は職人区を通る。
朝のテムザリアは声が多い。
石畳の大通りを荷馬車が走り、職人区の奥からはすでに金属を打つ音がしていた。
シドウの工房の音だと分かった。
遠くにいても、あの打ち方は分かる。
リズムが一定で、力の入れ方が均一で、迷いがない。
三十年の鍛冶の音だ。
この二十日間で、俺はその音を聞くことに慣れた。
「ドレンが今日の午後に来ると言っていた」とガルドが歩きながら言った。
「聞いています。それまでに作業を進める」
「守護の件か」
「そうです」
神話級の鎧、守護。
シドウと話し合って、全工程の半分ほどが終わっていた。
素材の選定と成型が完了し、今日からいよいよ俺が刻印を入れる段階に入る。
Lv.4になってから、刻印の質が変わった。
シドウはそれを敏感に感じ取っていて、「今のお前が入れるべきだ」と言った。
数日前に、シドウがこんなことを言っていた。
「ただ入れればいいわけではない」
「どういう意味ですか」
「守護の刻印は、守りたいという気持ちが核になる。
気持ちのない刻印は、守護にならない。防御には、なる。
しかし守護は違う」
「守護と防御は違うものですか」
「防御は壁だ。衝撃を受け止める。
守護は、守ると決めた人間の意志だ。
意志がある鎧は、着た者を変える」
その言葉がまだ頭に残っていた。
工房の前に来ると、扉が開いていた。
中から炉の熱気が漏れてくる。
「来たか」とシドウが振り向かずに言った。
「来ました」
「材料の準備ができている。手を洗って来い」
裏の水桶で手を洗って工房に戻ると、作業台の上に金属の板が並んでいた。
胸当ての核心部となるミスリルと、肩当てに使う鋼が、並んで置かれていた。
「今日は胸当てから入れる」とシドウが言った。
「胸当てに何を刻む気でいるか、言え」
「守護の二文字です」
「それだけか」
「……それだけ、ではないかもしれません。
守護という二文字の中に込める気持ちが、本体だと思っています」
シドウが少し口を閉じた。
それから「そうだな」と言った。
「気持ちを先に作れ。刻む前に、何を守りたいかを考えろ。
字が先ではなく、気持ちが先だ。
気持ちが充填されてから、字を刻む。
その順番を守れ」
「はい」
「急がなくていい。今日は一つでいい」
俺は作業台の前に立った。
ミスリルの板が目の前にある。
重い。
薄いのに、重い。
シドウが言っていた「ミスリルは記憶力がある」という話を思い出した。
打たれた形を記憶する金属。
そこに刻印を入れたとき、記憶が重なる。
俺は目を閉じた。
守りたいもの、を考えた。
人参が三本入った布袋を持ってくる俺の隣を、いつも歩いている三人の顔が浮かんだ。




