第五節「言霊Lv.4の感覚」
廃屋から戻る道で、リリアが言った。
「一つ確認させてください」
「なんですか」
「昨夜、扉の刻印を解除しようとしていた時——何か感じましたか」
「解除しきれなかった感覚です。二重か三重の刻印に、一回の言霊では届かなかった」
「届かなかった、という表現が面白い」
「面白い?」
「普通の魔法使いは、届かなかった、とは言わない。効果が薄かった、という言い方をします」
「俺の感覚では、届く・届かないという感触があります」
「言霊の射程という概念と関係しているかもしれません。Lv.4になってから、射程が変わりましたか」
「変わりました。より遠い対象に、より深く届く感覚があります」
「対象の感情が分かる、とも言っていましたね」
「少しだけ。発したい言葉が、相手にどう受け取られるかの感触が、ぼんやりと分かります」
リリアが手帳に書いた。
「それは言霊の双方向性の萌芽だと思います」
「双方向性?」
「刻印は一方向です。刻んだ者から、刻まれた物へ。発声の言霊も、発した者から受け取る者への一方向の力です。でも、Lv.4で相手の受け取り方が感じられるということは——言霊が届いた先から、何かが返ってきている可能性があります」
「返ってくる?」
「言葉は本来、一方向ではない。発した者と受け取る者の間を往復する。言霊がその性質を取り戻し始めているとすれば——Lv.4は、真の対話ができる言霊師への入口なのかもしれません」
俺はその言葉をゆっくりと噛み締めた。
対話ができる言霊師。
力を押しつけるのではなく、力を交わす。言葉が往復する。
「それが、言霊師の本来の姿ということですか」
「石板に書いてあった言葉と一致します。人と人を繋げ、という言葉。繋ぐためには、双方向でなければならない」
「一方的に力を与えるのでは、繋がれない」
「そうです」
ユナが歩きながら言った。
「回復魔法も、同じだと思う」
「ユナ?」
「回復魔法は、術師から患者への一方向に見える。でも、本当に効く回復は——患者の体が返してくる何かを受け取りながら施す。どこが弱いか、何が足りないか、体が教えてくる」
「治す側が聞きながら、治している」
「そうだ。聞かずに強引に施すだけの回復は、表面しか治らない。深いところは、体との対話がなければ届かない」
「それは——俺の刻印とも同じですね」
「そうかもしれない」
「言葉だけじゃなく、あらゆる力が、対話を通じて深くなる」
「わたしはそう思っている」
ガルドが静かに言った。
「剣も同じだ。斬る対象の重さ、硬さ、動きを感じながら刃を当てる。一方的に振るだけでは、刃が通らない場所がある」
「全部繋がっている」
「言霊師だからそう感じるのかもしれないが——実際に繋がっているんだと思う」
アストラ先生の工房に戻った。石板の破片を見せると、先生が目を細めた。
「継と問。これは——古代言霊の核心にある概念です」
「どういう意味ですか」
「継承と問答。弟子が師匠に問い続けることで、技術が深まる。師匠が死んでも、問い続けることができれば、技術は消えない」
「師匠が石板に残した問いに、弟子が答える形で継承が続く」
「そうです。あなたたちが石板の言葉を解読したこと自体が——その問答の一部だったかもしれない」
「俺が問いを持っている限り、三万年前の師匠との対話が続いている」
「そう言えます」
俺は石板の破片を手に持った。
欠けた石の表面に、「継」と「問」の二文字。字は小さく、古い。でも、意味は今の俺に届いた。
これが言霊だ。
三万年の時間を越えて、言葉が届く。それが、石板を残した人間の意志だったのだ。
「分かりました」
俺は石板の破片を先生に預けた。
「残り二か所の隠し場所にも、同じように次への案内が残っているかもしれません。全部確認する前に、テムザリアを発つのは早いと思います」
「賛成です。もう少し、ここで動きましょう」
「ドレンたちにも状況を伝えておきます。倉庫通りの件は一段落しましたが、ゼンの動きは続く可能性があります」
「分かりました」
先生が立ち上がった。
「今日一日、よく動きました。今夜はゆっくり休んでください」
「ありがとうございます」
「礼はいいですよ。あなたたちが動いてくれたことで、私の三十年の研究が新しい段階に入りました。それこそが、礼を言うべきことです」
アストラ先生が窓の外を見た。
テムザリアの夕方が始まっていた。
「明日も動きましょう」
「はい」
「良い旅人は、毎日続けることができる人間だ。一回の大仕事より、毎日の積み重ねの方が、最終的には遠くに行ける」
「それは石板の言葉と同じですね」
「そうかもしれません。石板の言葉は、普遍的なことを言っている。三万年前の言葉が今でも意味を持つのは、そのためです」
俺たちは先生の家を出た。
テムザリアの夕暮れが、街を橙色に染めていた。




