第四節「三か所の記録」
翌朝、アストラ先生の工房に全員が集まった。
「昨夜のことを話してください」
先生が静かに言った。
俺はゼンとの会話を最初から話した。先生は目を閉じて聞いていた。リリアが手帳にメモを取っていた。ガルドは腕を組んで壁際に立っていた。ユナはテーブルの端に座って、前を向いていた。
全部話し終えると、先生がゆっくりと目を開けた。
「オールンという名前は、私の知っている資料には出てきません」
「三百年前の人間なら、記録が残っていないこともあり得ます」
「そうですね。ただ、古代言霊技術を独学で再現した人間が三百年前にいたとすれば——それは私が知らないだけで、実在した可能性は十分にある」
「ゼンの話が本当だとしたら、どういう意味になりますか」
「三万年前の言霊師が石板を残した。その内容を解読した者が後の時代に現れた。その系譜の最後がゼンという人物で、今度はあなたを次に据えようとしている——そういう構造が見えてきます」
「意図的な継承、ということですか」
「そうです。石板はただの記録ではなく、次の言霊師を呼び込むために残されたものだったかもしれない」
リリアが手帳から顔を上げた。
「それは私が最初に考えた可能性の一つです。ダーレムの石板の言葉——使命はついてくる、という言葉が、そういう意味を持っている可能性があります」
「使命を持った者が現れるまで待つ、という仕掛けが三万年前に作られた」
「そうです」
「俺が来たことで、仕掛けが動き始めた」
「そう解釈できます」
先生がテーブルの地図を指した。
「そうなると、三か所の隠し場所の意味も変わってきます。単に技術を保管している場所ではなく——継承のために準備された場所である可能性が高い」
「継承のために」
「言霊師に必要な技術の断片が、それぞれの場所に眠っている。一か所だけでは全体像が分からない。全部を集めて初めて、古代言霊師の技術の全体像が見える」
「それをゼンも探している」
「ゼンが探しているのか、ゼン自身がすでに知っていて、あなたに辿り着かせようとしているのか——そこは分かりません」
俺は考えた。
ゼンが昨夜言った言葉。お前が持っている力の正体を、俺は知っている。三か所の隠し場所の意味も、お前たちより俺の方がよく知っている。
知っていて、あえて教えなかった。お前が決める時だ、と言って引いた。
「ゼンは、俺が自分で辿り着くことを待っているのかもしれません」
「どういうことですか」
「強制して手に入れようとするなら、もっと直接的に動けたはずです。でも、昨夜は手を引いた。ガルドさんを傷つけなかった。それは——俺が自発的に動くことを、望んでいるからじゃないかと思います」
アストラ先生が少し考えた。
「強制で継承した力は、自発的に継承した力と質が違う——そういう考え方が、古代の記録にあります」
「やはり」
「言霊は意志と感情が核になる。強制されて学んだ技術より、自ら求めて学んだ技術の方が深く身につく。師匠が弟子を選ぶ時、自ら来る弟子だけを取るという方針の流派が古代にありました」
「ゼンがオールンからそれを学んでいれば、同じ方針をとっている」
「その可能性が高い」
俺はガルドを見た。ガルドが静かに頷いた。
「三か所の隠し場所に向かう必要があります」
俺が言った。
「ゼンより先に辿り着く、というより——俺が自分の力の源を知るために。そのための旅の一部だと思って動きたい」
「木下さんが自発的に、という形ですね」
「そうです。ゼンの思惑通りかもしれない。でも——それでいい。俺が動く理由は、ゼンのためでも商会のためでもない。俺自身のためです」
先生が少し目を細めた。
「正しい動機だと思います」
「三か所のうち、今日動けるのはどこですか」
地図を見た。
「一番近い廃屋は——昨夜、すでに侵入者がいたことが分かりました。相手が使った後だとすれば、何か残っているかもしれないし、何も残っていないかもしれない」
「今日はその廃屋を正式に確認しましょう。昨夜は混乱していたから、記録の痕跡を確認できていない」
「私も行きます」
リリアが言った。
「昨夜は引き寄せられて判断が鈍った。今日は大丈夫です。昼間で、全員一緒なら」
「全員で行く」
ガルドが言った。
「今日は誰も残さない。宿には鍵をかけて、全員動く」
「よろしくお願いします」
先生が立ち上がった。
「私は一緒には行けませんが——この地図のコピーと、廃屋の建物についての記録を持っていきなさい。建物の構造と、かつてそこに何があったかの記録が残っています」
「ありがとうございます」
「無事で戻ってきてください」
「必ず」
――――
昼前に廃屋に着いた。
昨夜の暗闇の中で見たよりも、建物はずっと古かった。壁の石が崩れかけていて、屋根の一部が落ちている。窓は全部割れている。
「昨夜ゼンたちが使っていた痕跡が残っているはずです」
リリアが建物の外壁を確認した。
「あります。ここに——足跡と、手をついた跡。それから、扉の内側に刻印の残滓。昨夜まで使っていた証拠です」
「彼らは何を探していましたか」
「記録の場所の確認だと思います。でも——」
リリアが少し止まった。
「外壁に別の刻印がある。これは最近のものじゃない。ずっと前からあった刻印です」
「どういう刻印ですか」
「守る、という意味の刻印です。でも、通常の守護刻印とは字の形が違う。古代の字体で書かれています」
「三万年前の刻印ですか」
「あるいはオールンが残したものかもしれない。三百年前の刻印なら、まだ残る可能性はある」
リリアが字の形を手帳に書き写した。
「この刻印が、建物そのものを守護している。だから三百年経っても完全には崩れていない」
「中に何がありますか」
「入ってみましょう」
四人で中に入った。
床は土だった。かつて何かが置かれていた跡がある。台の形の凹みが二か所。
「ここに何か置かれていた」
「石板か、容器か」
リリアが床を確認した。
「石板の形に近い。二枚分の跡があります。でも、今はない」
「すでに持ち出されていた?」
「あるいは、元々ここには保管されていなくて——別の場所への指示が書かれたものが置いてあった可能性もあります」
「指示が書かれたもの?」
「三万年前の言霊師が作った継承の仕組みが、一段階ずつ誘導する形になっているとしたら——ここには次の場所への案内が保管されていたのかもしれない」
「パズルのように」
「そうです」
俺はその発想を考えた。
一か所に全部集めない。最初の場所に来た者が、次の場所への鍵を受け取る。それを繰り返す。最終的に全部集まった者が、全体像を得る。
「ゼンはすでにその仕組みを知っていて、次の場所への案内を持っている可能性があります」
「そうなると、俺たちは後追いになる」
「でも、ゼンが俺を必要としているなら——俺抜きでは完成しない部分があるはずです」
「どういうことだ」
「言霊師でないと解読できない記録が、最後の段階にある可能性があります。ゼンが三百年かけても開けられなかった何かが、言霊師の力を持つ俺なら開けられる」
ガルドが静かに言った。
「だから、ゼンはお前を強制せず、自発的に動くのを待っている」
「そう思います」
「厄介な話だ」
「でも、こちらにも使える部分があります。俺が動かない限り、完成しない。それはこちらの交渉材料になる」
「なる。ただし、使う時には全員が守られている状態で使え」
「了解します」
リリアが建物の隅を確認した。
「一つ見つけました」
小さな石の欠片を持ってきた。
「床の隅に落ちていました。石板の破片だと思います。文字の一部が残っています」
「読めますか」
リリアが欠片を見た。
「二文字分です。「継」と「問」——継ぐことと、問うこと。この二つが並んでいます」
「継承には問いが必要だ、という意味かもしれない」
「そう読めます。問いを持った者だけが、正しく継ぐことができる——古代言霊師の考え方が、この二文字に凝縮されているかもしれない」
俺はその二文字を頭に入れた。
継と問。
今の俺に、問いはある。自分の力の源への問い。ゼンへの問い。石板が示す道への問い。
「持って帰りましょう。先生に見てもらいます」
「そうします」
四人で廃屋を出た。
昼の空が明るかった。




