第二章「シドウとの邂逅」第一節「職人区の奥」
翌朝、早めに宿を出た。
職人区の奥は、昨日歩いた通りよりさらに北寄りにある。建物が古くなる。石畳の継ぎ目が増えて、道幅が少し狭くなる。商店の看板が派手でなくなる。職人が長く使い込んだ道具のような、くたびれた味がある区画だ。
「静かですね」
俺が言うと、ガルドが頷いた。
「職人は朝が早い。だが作業に入ると、外に出ない。だから静かに見えるだけで、建物の中では動いている」
確かに、通りを歩いていると金属を叩く音や、木を削る音が聞こえてくる。それぞれの工房が、それぞれのリズムで動いている。
「シドウさんの工房はどのあたりですか」
「レイナルドから聞いた通りに行くと、この先の突き当たりを左だ。木の扉に、金槌の形をした小さな金具がついている。それが目印だと言っていた」
「看板はないのですか」
「常連しか来るなというスタンスらしい。初めて来た客には門前払いが多いと」
「今日は事前に話を通してあるから、大丈夫だと思いますが」
「それでも、シドウが気に入らなければ断られる可能性はある。心の準備だけしておけ」
「分かりました」
ユナが先を歩きながら言った。
「断られたら、また別の日に来ればいい」
「そうですね」
「一度断られたくらいで諦めるのは、早い」
「ユナは職人気質があります」
「そうか?」
「ひとつのことを丁寧に続ける。回復魔法をずっと磨いてきた。それは職人と同じだと思います」
ユナが少し考えた。
「そうかもしれない。ただ、比べるほどのことはしていない」
「十分にしていますよ」
突き当たりを左に曲がった。レイナルドが言った通り、古い木の扉があった。扉の真ん中あたりに、小さな金槌の形をした金具が打ち付けられている。それ以外は何もない。番地も看板も表札もない。
「ここです」
ガルドがドアを三回ノックした。
しばらく間があった。
「……誰だ」
低い声が扉の向こうから聞こえた。
「ガルド・クラウスの仲間です。レイナルドから話が通っているはずです」
また間があった。
扉が開いた。
小柄な男が立っていた。身長は百五十センチに届くかどうかというくらい。ガルドと比べると、頭ひとつ以上低い。でも、横幅はガルドに負けていない。肩と腕が太い。職人の体だ。
顔は四角く、顎が張っている。眉が太くて、目の下に深いくまがある。白髪交じりの赤茶色の髪が短く刈られている。年齢は五十前後か、もう少し上か。
これがシドウ・ブラックハンマーだ。
「レイナルドから聞いた。入れ」
短く言って、中に向かって歩き始めた。俺たちは後に続いた。
――――
工房の中は広かった。
天井が高い。中央に大きな作業台があり、その上に武具の部品が並んでいる。壁に工具が整然と掛けられている。炉が奥にあり、今は火が落ちている。
「座れ」
作業台の脇に木の椅子が三脚並んでいた。俺とガルドとユナが座った。シドウは立ったまま、腕を組んで俺を見た。
「レイナルドから話は聞いた。言霊師だと」
「はい」
「刻印が使えると」
「日本語の文字を物に刻むと、スキルが発動します」
「見せろ」
「何かありますか」
シドウが作業台から金属片を一枚取り出した。鉄の端材で、手のひらサイズだ。
「これに何か刻め」
俺は金属片を受け取った。表面が荒削りで、鉄の光沢が鈍い。短剣を出して、先端で表面に「斬」と刻んだ。力を込めて、ゆっくりと。
金属片が少し光った。刻印が収まった。
シドウが受け取った。
立ったまま、両手で持って確認した。
表を見た。裏を見た。光に当てて見た。
一分以上、何も言わなかった。
「……本物だ」
低く言った。
「ありがとうございます」
「礼はいい。刻んだだけか?」
「刻印付与です。「斬」という意味の字を刻みました。この金属片を加工して刃物に使えば、切れ味が上がります」
「どのくらい上がる」
「通常のエンチャントと比べると……正確に数値化はできませんが、これまでの経験から、少なくとも三倍以上の効果があります」
シドウが眉を動かした。
「三倍、か」
「はい」
「通常の刻印師のエンチャントが、良くて一点二倍だ。三倍は神話級に入る」
「そうだと聞いています」
シドウが金属片をもう一度見た。
「レイナルドが大げさなことを言うとは思っていなかった。あいつが話を通してきたということは、本当だと信じた。実物を見て、正しかったと分かった」
「レイナルドさんの目は正確ですね」
「あいつは嘘をつかない。だから、俺は信用している」
シドウが金属片を台に置いた。
「ギルドに依頼票を出した。見たか」
「昨日、確認しました」
「話を聞きたい相手が来た。それがお前ということだ」
俺は少し緊張を解いた。
「俺の刻印について、どんな話を聞きたいですか」
「刻印の材質との相性だ。鉄、鋼、ミスリル、それぞれに刻んだ場合、効果の違いはあるか」
「あります。密度が高い金属ほど、刻印が安定します。ミスリルに刻むと、鉄の二倍近い効果の持続があります」
「実績があるか」
「鉄と鋼では実績があります。ミスリルは一度も試していません」
「なぜ」
「入手できたことがないからです」
シドウが少し考えた。
「ミスリルの端材はある。試すか」
「ぜひ」
「ただし、ミスリルは高価だ。失敗した場合は弁償してもらう」
「条件に同意します。ただ、試す前に鉄と鋼でいくつか練習させてもらえますか。材質に慣れてから挑みたい」
シドウが黙って俺を見た。
しばらくして、短く言った。
「それが正しい」
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い。俺のところで仕事をするなら、俺のやり方に従え」
「了解しました」
「時間は守れ。刻印の前には金属の状態を確認しろ。失敗しても言い訳をするな。それだけだ」
「守ります」
シドウがガルドを見た。
「お前は傭兵か」
「そうです」
「見た目通りの男だな」
「そう言われます」
「それは悪くない」
シドウがユナを見た。ユナが静かにシドウを見返した。
「治癒師か」
「そうです」
「魔力が安定している。普通の治癒師とは違う」
「よく分かりましたね」
「鍛冶師は金属を見る目で人間も見る。お前の魔力は、純度が高い」
ユナが少し頷いた。
「ありがとうございます」
「礼はいい。事実を言っただけだ」
シドウが作業台の端に腰を下ろした。
「明日から来い。午前の早い時間がいい。俺は昼過ぎから炉を使う。その前に刻印の作業をやれ」
「何時がいいですか」
「七時だ」
「了解しました」
「今日はここまでだ。帰れ」
「分かりました。失礼します」
三人で頭を下げて、工房を出た。扉が後ろで閉まった。
通りに出ると、ガルドが静かに笑った。
「通った」
「そうですね」
「シドウが明日来いと言ったのは、合格の意味だ。気に入らなければ、帰れで終わりだった」
「良かったです。想像していたより、話が通じる方でした」
「それはお前が正直に答えたからだ。できることとできないことをはっきり言った。あの男はそういう人間を好む」
ユナが言った。
「シドウは、職人だ」
「そうですね」
「職人は正直な人間が好きだ。なぜなら、物が嘘をつかないから。物に向き合い続けると、嘘が分かるようになる。だから、嘘をつく人間を嫌う」
「ユナは、よく分かりますね」
「わたしも、体の状態を読む。嘘をつかない体を読み続けると、嘘をつく言葉が分かるようになる。似たことだと思う」
「確かに」
ガルドが言った。
「それを言葉にできるのは、ユナも十分に職人だな」
「……そうかもしれない」
ユナが少し口を緩めた。
職人区の朝が静かに続いていた。工房の中から、金属を叩く音が聞こえてきた。それがシドウの音なのかどうかは分からないが、確かに誰かが、丁寧に何かを作っている。




