表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/95

第二節「ミスリルと言霊」

翌日から、シドウの工房に通い始めた。


七時ちょうどに扉をノックすると、シドウがすでに作業台の前にいた。


「時間通りだ」


それだけ言って、作業台に端材を並べた。


「今日は鉄と鋼をそれぞれ三枚ずつ。好きな字を刻め。俺が確認する」


「了解です」


俺は端材を一枚ずつ手に取り、刻印した。「斬」「速」「守」「硬」「軽」「鋭」。六枚に、それぞれ一字ずつ。


シドウが一枚ずつ手に取って確認した。時間をかけて、丁寧に見た。


「鉄と鋼で刻印の安定度が違う。分かるか」


「少し分かります。鋼の方が、刻んだ時の手応えが固い。力が吸い込まれていく感覚があります」


「良い感覚を持っている。鋼は密度が高いから、刻印が金属の中まで浸透しやすい。鉄は表面に近いところで止まりやすい」


「だから、鋼に刻んだ方が効果の持続が長い」


「そうだ。今の言葉、試したことがあって言っているか?」


「一本、鋼の剣に刻んだことがあります。数週間使い続けても効果が落ちなかった」


「数週間というのは短い。だが、傾向は正しい。通常のエンチャントなら、鋼でも一週間で半分に落ちる」


「俺の刻印は、通常より落ちが遅い感覚があります」


「それはスキルの性質だ。言霊付与の特性として、字の意味が金属に染み込んでいくという現象がある。通常のエンチャントは魔力を塗り付けるだけだが、お前のは意味ごと刻まれる」


「意味ごと刻まれる」


「字の意味が物質に宿る。だから、魔力が消えても意味は残る。それが持続の理由だ」


俺はその説明を噛み締めた。言霊師として、感覚的には分かっていたことだが、こうして言語化されると理解が深まる。


「シドウさんは、刻印について詳しいですね」


「鍛冶師として、長年エンチャントの仕組みを研究してきた。俺自身はエンチャントができないが、どういう状態がいいエンチャントかは分かる」


「専門家ですね」


「職人はそういうものだ。何一つ自分でできないことでも、良し悪しを見極める目だけは持てる」


三日間、同じ作業を繰り返した。


四日目に、シドウが棚から小さな箱を取り出した。


「ミスリルだ」


箱の中に、銀白色の金属片が三枚入っていた。表面が滑らかで、光の反射が他の金属と違う。


「綺麗ですね」


「そうだ。ミスリルは見た目通り、扱いが難しい。熱に強く、加工が大変だが、完成品の品質は別次元になる」


「触れても?」


「触れろ。感覚を掴んでから刻め」


俺はミスリルの端材を手に取った。


重さが予想より軽かった。そして、手に取った瞬間に、ほんの少し温かい感覚があった。


「温かい?」


「気づいたか。ミスリルは微量の魔力を帯びている。生きている金属と言う者もいる」


「鉄や鋼とは全く違う感触です」


「そうだ。刻印した時の感覚も違うはずだ。焦らずに行け」


俺は短剣を出した。先端で、ゆっくりとミスリルの表面に「斬」と刻み始めた。


最初の一画を引いた瞬間、明らかに違う手応えがあった。


鉄に刻む時の硬い抵抗がない。鋼の吸い込まれる感覚もない。ミスリルは、まるで刻印を受け入れているような感触がある。字を書き終わる前から、金属の中に意味が広がっていく感覚がある。


「……すごい」


俺は思わず言った。


「分かるか」


「はい。鉄や鋼と全然違います。ミスリル自体が、刻印に応答している感じがします」


「良い表現だ」


シドウが端材を受け取った。両手で持ち、じっと見た。


それまでのシドウは、確認に一分ほどかけていた。今回は違った。


受け取った瞬間に、シドウの動きが止まった。


その止まり方が、普通ではなかった。


俺は何も言わずに待った。シドウが何かを感じているのは分かった。邪魔してはいけないと、直感した。


一分、経った。


二分、経った。


シドウが端材を台に置いた。


両手を台の上に乗せて、少し前のめりになった。


顔が、下を向いた。


「……シドウさん?」


「待て」


低い声だった。


また沈黙が続いた。


ガルドとユナも、何も言わなかった。工房の中が静かだった。炉の火が落ちている分、音が何もない。


シドウが顔を上げた。


目が、赤くなっていた。


「……これは」


シドウが言葉を探すように少し間を置いた。


「俺が四十年間、ずっと探していたものだ」


「探していた?」


「言霊刻印だ。本物の言霊刻印を、俺は一度だけ文献で読んだことがある。三万年前の技術で、今の時代には存在しないと思っていた」


「三万年前の……」


俺は、ダーレムで見た石板の言葉を思い出した。三万年前の言霊師が残したもの。そして、今の俺がそれを継いでいる。


「それが、目の前にある」


シドウが端材をもう一度手に取った。今度は片手で、静かに持った。


「お前が刻んだものが、俺が四十年間作りたかったものの一部だ」


「シドウさんが作りたかったもの?」


「言霊を宿した武具だ。通常のエンチャントではなく、意味が金属に生きている武具。俺の師匠が言っていた。いつかそういう武具を作れると言っていたが、俺には力がなかった。刻印師でも言霊師でもないから、できなかった」


「でも、俺と組めば——」


「できる」


シドウが俺を見た。


その目が、四十年間夢を追い続けた職人の目だった。


俺はその目を受け止めた。


「やりましょう」


「急かすな」


「急かしていません。ただ、できると言われたなら、やりたいと思いました」


「……そうか」


シドウが端材を台に戻した。


「今日はここまでだ。俺が考える。明日また来い」


「了解しました」


工房を出た。


通りに出ると、ガルドが静かに言った。


「見えたか、シドウの目」


「見えました」


「あれが職人の夢を見る目だ。俺は傭兵だから同じものは持っていないが、あういう目をした人間を、これまでに何人か見た」


「夢を見る目」


「諦めていないものがある人間の目だ。年を取っても、諦めないものを持っている人間は強い。そして、その夢が叶う瞬間に立ち会えた者は——少しだけ、その夢の一部をもらえる気がする」


「ガルドさんも感じましたか」


「感じた。シドウが涙を堪えていた。あれは感動の涙だ。鍛冶師が武具の前で泣くのを、俺は一度だけ見たことがある。師匠と呼べる人間が作った剣の前で、若い鍛冶師が泣いていた。あの目だ」


ユナが静かに言った。


「まことが、シドウの四十年を動かした」


「俺はただ刻んだだけです」


「ただ刻んだだけで、四十年が動く。それが言霊だ」


俺は少し黙った。


言霊の力は、受け取る側にも届く。届いた先で、何かを動かす。


石板の言葉通りだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ