第二節「ミスリルと言霊」
翌日から、シドウの工房に通い始めた。
七時ちょうどに扉をノックすると、シドウがすでに作業台の前にいた。
「時間通りだ」
それだけ言って、作業台に端材を並べた。
「今日は鉄と鋼をそれぞれ三枚ずつ。好きな字を刻め。俺が確認する」
「了解です」
俺は端材を一枚ずつ手に取り、刻印した。「斬」「速」「守」「硬」「軽」「鋭」。六枚に、それぞれ一字ずつ。
シドウが一枚ずつ手に取って確認した。時間をかけて、丁寧に見た。
「鉄と鋼で刻印の安定度が違う。分かるか」
「少し分かります。鋼の方が、刻んだ時の手応えが固い。力が吸い込まれていく感覚があります」
「良い感覚を持っている。鋼は密度が高いから、刻印が金属の中まで浸透しやすい。鉄は表面に近いところで止まりやすい」
「だから、鋼に刻んだ方が効果の持続が長い」
「そうだ。今の言葉、試したことがあって言っているか?」
「一本、鋼の剣に刻んだことがあります。数週間使い続けても効果が落ちなかった」
「数週間というのは短い。だが、傾向は正しい。通常のエンチャントなら、鋼でも一週間で半分に落ちる」
「俺の刻印は、通常より落ちが遅い感覚があります」
「それはスキルの性質だ。言霊付与の特性として、字の意味が金属に染み込んでいくという現象がある。通常のエンチャントは魔力を塗り付けるだけだが、お前のは意味ごと刻まれる」
「意味ごと刻まれる」
「字の意味が物質に宿る。だから、魔力が消えても意味は残る。それが持続の理由だ」
俺はその説明を噛み締めた。言霊師として、感覚的には分かっていたことだが、こうして言語化されると理解が深まる。
「シドウさんは、刻印について詳しいですね」
「鍛冶師として、長年エンチャントの仕組みを研究してきた。俺自身はエンチャントができないが、どういう状態がいいエンチャントかは分かる」
「専門家ですね」
「職人はそういうものだ。何一つ自分でできないことでも、良し悪しを見極める目だけは持てる」
三日間、同じ作業を繰り返した。
四日目に、シドウが棚から小さな箱を取り出した。
「ミスリルだ」
箱の中に、銀白色の金属片が三枚入っていた。表面が滑らかで、光の反射が他の金属と違う。
「綺麗ですね」
「そうだ。ミスリルは見た目通り、扱いが難しい。熱に強く、加工が大変だが、完成品の品質は別次元になる」
「触れても?」
「触れろ。感覚を掴んでから刻め」
俺はミスリルの端材を手に取った。
重さが予想より軽かった。そして、手に取った瞬間に、ほんの少し温かい感覚があった。
「温かい?」
「気づいたか。ミスリルは微量の魔力を帯びている。生きている金属と言う者もいる」
「鉄や鋼とは全く違う感触です」
「そうだ。刻印した時の感覚も違うはずだ。焦らずに行け」
俺は短剣を出した。先端で、ゆっくりとミスリルの表面に「斬」と刻み始めた。
最初の一画を引いた瞬間、明らかに違う手応えがあった。
鉄に刻む時の硬い抵抗がない。鋼の吸い込まれる感覚もない。ミスリルは、まるで刻印を受け入れているような感触がある。字を書き終わる前から、金属の中に意味が広がっていく感覚がある。
「……すごい」
俺は思わず言った。
「分かるか」
「はい。鉄や鋼と全然違います。ミスリル自体が、刻印に応答している感じがします」
「良い表現だ」
シドウが端材を受け取った。両手で持ち、じっと見た。
それまでのシドウは、確認に一分ほどかけていた。今回は違った。
受け取った瞬間に、シドウの動きが止まった。
その止まり方が、普通ではなかった。
俺は何も言わずに待った。シドウが何かを感じているのは分かった。邪魔してはいけないと、直感した。
一分、経った。
二分、経った。
シドウが端材を台に置いた。
両手を台の上に乗せて、少し前のめりになった。
顔が、下を向いた。
「……シドウさん?」
「待て」
低い声だった。
また沈黙が続いた。
ガルドとユナも、何も言わなかった。工房の中が静かだった。炉の火が落ちている分、音が何もない。
シドウが顔を上げた。
目が、赤くなっていた。
「……これは」
シドウが言葉を探すように少し間を置いた。
「俺が四十年間、ずっと探していたものだ」
「探していた?」
「言霊刻印だ。本物の言霊刻印を、俺は一度だけ文献で読んだことがある。三万年前の技術で、今の時代には存在しないと思っていた」
「三万年前の……」
俺は、ダーレムで見た石板の言葉を思い出した。三万年前の言霊師が残したもの。そして、今の俺がそれを継いでいる。
「それが、目の前にある」
シドウが端材をもう一度手に取った。今度は片手で、静かに持った。
「お前が刻んだものが、俺が四十年間作りたかったものの一部だ」
「シドウさんが作りたかったもの?」
「言霊を宿した武具だ。通常のエンチャントではなく、意味が金属に生きている武具。俺の師匠が言っていた。いつかそういう武具を作れると言っていたが、俺には力がなかった。刻印師でも言霊師でもないから、できなかった」
「でも、俺と組めば——」
「できる」
シドウが俺を見た。
その目が、四十年間夢を追い続けた職人の目だった。
俺はその目を受け止めた。
「やりましょう」
「急かすな」
「急かしていません。ただ、できると言われたなら、やりたいと思いました」
「……そうか」
シドウが端材を台に戻した。
「今日はここまでだ。俺が考える。明日また来い」
「了解しました」
工房を出た。
通りに出ると、ガルドが静かに言った。
「見えたか、シドウの目」
「見えました」
「あれが職人の夢を見る目だ。俺は傭兵だから同じものは持っていないが、あういう目をした人間を、これまでに何人か見た」
「夢を見る目」
「諦めていないものがある人間の目だ。年を取っても、諦めないものを持っている人間は強い。そして、その夢が叶う瞬間に立ち会えた者は——少しだけ、その夢の一部をもらえる気がする」
「ガルドさんも感じましたか」
「感じた。シドウが涙を堪えていた。あれは感動の涙だ。鍛冶師が武具の前で泣くのを、俺は一度だけ見たことがある。師匠と呼べる人間が作った剣の前で、若い鍛冶師が泣いていた。あの目だ」
ユナが静かに言った。
「まことが、シドウの四十年を動かした」
「俺はただ刻んだだけです」
「ただ刻んだだけで、四十年が動く。それが言霊だ」
俺は少し黙った。
言霊の力は、受け取る側にも届く。届いた先で、何かを動かす。
石板の言葉通りだった。




