第三節「石柱の言葉」
石柱の前に立った。
高さ三メートル。 全面に文字が刻まれている。俺は上から順番に読み始めた。
「……これは、かなり長い」
「全部読めますか?」
「読める。でも時間がかかる。先に概要だけ確認してもいいですか」
「もちろんです」俺は全体を斜め読みした。
長い文章だ。 一つ一つの字が、丁寧に刻まれている。 書いた人間の、慎重さが伝わってくる。
「……主要な部分を訳すと」俺は読み始めた。
「我は木下。言霊師の末に連なる者。この世界に来て三十年が経つ」
「三十年」
「三十年間、この世界で生きたということか」俺は続けた。
「言霊の力は年を経るごとに深まった。最初は、言葉が力を持つことに戸惑いを感じていた。しかし今は、それが自分の本質だと理解している。言葉は、私が何を大切にしているかを映す鏡だ」
リリアがメモを取り続けている。
「次。……この世界には多くの人がいる。人は言葉で泣き、言葉で笑い、言葉で傷つき、言葉で癒える。言霊師とは、その言葉の力を意識的に扱う存在に過ぎない。特別ではない。ただ、少し敏感なだけだ」
ガルドが壁に背をつけて、静かに聞いていた。
「……私には仲間がいた。長い旅の中で出会った人々だ。彼らと共に笑い、共に戦い、共に泣いた。その時間が、言霊の力を育てた。力は孤独の中では育たない。誰かと共にあることで、言葉は深まる」ユナが俺の隣に来た。
俺は続けた。
「次の言霊師へ。おそらく汝も、遠い場所から来ただろう。この世界に戸惑い、自分の力を持て余しているかもしれない。それで良い。時間をかけて良い。言霊師に急ぎは似合わない。言葉は、急げば浅くなる」俺の手が少し震えていた。
「……急ぐな。焦るな。仲間を大切にせよ。言葉を惜しむな。そして、この世界を愛せ。汝がこの世界を愛する分だけ、言霊は汝に応える」
最後の一行を読んだ。
「言葉が世界を作り、愛が言葉を深める。それだけを覚えていれば、汝は必ず自分の道を切り開ける。——木下、この世界にて記す」
長い沈黙が続いた。
リリアのペンが、静かに動いている。
ガルドが目を細めて、どこか遠くを見ていた。
ユナが俺の袖を引いた。
「まこと」
「……右」
「さっきより、いい顔してる」
「なんで分かる」
「隣にいるから」
俺は少し笑った。
「笑った」
「笑うだろ、そんなこと言われたら」
三万年前の木下という人が書いた言葉。
仲間と共に笑い、共に戦い、共に泣いた。
その時間が、言霊の力を育てた。
俺も今、そうだ。 ユナがいて、ガルドがいて、今日からリリアもいる。
それが、俺の言霊を育てている。
「急ぐな、か」
「まことは急いでた?」
「少し。早く力をつけなきゃとか、早く謎を解かなきゃとか」
「それで?」
「それでいいんだと、少し思えた」
ユナが小さく頷いた。
「同じ」
「ユナも急いでたのか?」
「まことが急いでると、一緒に急かされる気がしてた」
「悪かった」
「別に。でも、良かった」
リリアが全文の記録を終えた。
「木下さん、ありがとうございます。これだけの量を正確に翻訳していただいて」
「翻訳というか、読んだだけです」
「それが奇跡なんです」
ガルドが立ち上がった。
「さて。仕事の話をすると、ここはもう前半区画の外だな」
「そうなりますね」
「今日の依頼の範囲は超えた。引き返すか、このまま進むか」
俺は石柱を振り返った。この先に何があるか、まだ分からない。
でも、三万年前の木下という人が書いた言葉が、この先にも続いている可能性がある。
「進みましょう。慎重に」
「よし。ただし無理はするな」
「了解です」




