第二節「研究者の目」
街道を歩きながら、リリアは少しずつ話してくれた。
出身はガルディア王国の東部。
古代語と古代魔法理論の研究者で、主にエルノア連邦——エルフの国——の
古い文献を専門としているという。
「エルフの国の研究者なのに、人間の出自なのか?」
俺が聞くと、リリアは微妙な表情をした。
「私の母がエルフの血を引いています。ただ……エルフ族は混血を好みません」
あ、なるほど。それで一人で旅をしているのか。
「エルフの国には入れないのか?」
「入れないことはありません。ただ、歓迎はされない」
リリアが少し間を置いた。
「研究者として古い文献を見たいと申請しても、ほとんど断られます」
「それは不便だな」
「慣れています」
淡々とした答えだった。
傷つかないわけではないだろう。
でも、もう慣れてしまった、という感じ。
俺はなんとなく、この人の人生の重さを想像した。
エルフの社会でも、人間の社会でも、完全に受け入れられない立場。
どちらにも属せない場所で、それでも研究を続けている。
「どんな研究を?」
話題を変えると、リリアの目が変わった。
それまでは落ち着いた、どこか諦めたような表情だったのに。
研究の話になった瞬間、目に光が戻ってくる。
「古代言語の研究です。特に……三万年前に存在したとされる言語体系の痕跡を追っています」
三万年前。
俺は一歩、躓きそうになった。
「三万年前の言語?」
「伝承では、言葉の力で世界に秩序をもたらした種族がいたとされています」
リリアが続ける。
「彼らの言語は今の大陸の言語とは全く系統が異なる。しかし、古い遺跡や石板に、
その痕跡らしきものが残っている」
ガルドが興味なさそうに欠伸をした。
だが俺は、なぜか全身の毛が逆立つような感覚を覚えていた。
「……その言語って、どんな形をしているんですか?」
リリアは鞄から小さなメモを取り出した。そこには、見覚えのある文字列が書かれていた。
いや、正確には。
筆記体を崩したような、日本語に似た何か。
だが、俺が読めるほど明確には日本語じゃない。
「これは俺が読める字とは少し違う……でも、似てる」
思わず口に出した言葉に、リリアが反応した。
「読めるのですか?」
その目が、真剣になる。
「いや、読めない。でも……なんか、似てると思って」
「似ている? どこに?」
俺は頭を掻いた。
「俺の出身国の文字に。少し」
リリアはメモをしまって、じっと俺を見た。
「……木下真さん。あなたは、もしかして」
言いかけて、止める。
「なんですか?」
「いいえ。後でお話しできればと」
それだけ言って、リリアはまた前を向いた。
俺はその横顔を見ながら、胸の中で何かがちりちりと燃えるような
感覚を覚えていた。
この人は、何かを知っている。
俺の正体について、あるいは、俺の力について。
「リリアさん」
俺は声をかけた。
「俺、一つ聞いてもいいですか」
「なんでしょう」
「その三万年前の言語を話した種族、何て呼ばれてるんですか」
リリアは一瞬、間を置いた。
風が草原を渡る。街道の草が、さわさわと音を立てた。
「伝承では……言霊師、と呼ばれています」
コトダマシ。
俺は呼吸が止まりそうになった。
それは、俺が持っているスキルの名前だ。
「言霊付与……」
小さく呟いた俺に、リリアがすぐ反応した。
「今、何と?」
「いや……そういうスキルがある、って聞いたことがあって」
誤魔化した。
でも、リリアの目は静かで、見透かすような光が宿っている。
「……そうですか」
それだけ言って、リリアは黙った。
横でガルドが
「なんかよく分からん話だが、着いたら飯にしようぜ」と言う。
ユナが「同意」と答えた。
俺は苦笑しながら、前を向いた。
リリア・フォン・エル。
この人は、俺にとって重要な人物になる気がした。なぜかそんな確信があった。
――――
しばらく歩いてから、ガルドが話を変えた。
「リリアさん、今回は一人でどこへ向かってたんだ?」
「ダーレムです。この地域に古代遺構の痕跡があると聞いて、調査に向かっていました」
「一人旅はよくするのか?」
「基本的には。研究の性質上、一人で動く方が都合が良いことも多くて」
「さっきみたいに、魔物に囲まれることも?」
リリアが少し苦い顔をした。
「今回は油断しました。あの廃屋の周辺に、あれほど魔物が集まっているとは思わなくて」
「古代遺構の周辺は、魔物が集まりやすいこともある」
ガルドが言った。
「魔力の残滓を引き付けるんだ。研究者ならそれも頭に入れておかんとな」
「……ご指摘の通りです。今後は気をつけます」
リリアが素直に頷いた。
変なプライドがない人だな、と思った。自分が知らないことは素直に認める。
俺はそういう人が好きだ。
「リリアさんの研究、俺もいろいろ聞きたいことがあります。ダーレムで落ち着いたら、話しませんか」
「喜んで。私も……木下さんに、お聞きしたいことがあります」
「俺に?」
「はい。ただ……まだ、もう少し待ってください。確かめたいことがあるので」
確かめたいこと。俺は何も言わなかった。
ただ、リリアが何を確かめたいのかを考えながら歩いた。
街道の向こうに、小さな街の輪郭が見えてきた頃。
ユナが俺の隣に来た。
「まこと、リリアのこと信じる?」
低い声で、小さく聞く。
「まだ会ったばかりだけど……悪い人じゃないと思う」
「目を見れば分かる。あの人の目は、嘘をつかない目」
「ユナはそういうの、本当によく分かるな」
「人の目は、嘘が出やすい場所。でも、リリアの目には嘘がない。隠していることはある。でも、嘘は違う」
隠していることはある、でも嘘は違う。鋭い観察だと思った。
俺たちは三人とも、何かを隠して生きている。
俺は日本から来たという事実を。ユナは自分の本当の年齢と出自を。
リリアは……俺について何かを知っていることを。
でも、互いを騙しているわけじゃない。
「そうだな。信じてみよう」
「うん」
ユナが前を向いた。
銀色の髪に乗った、たんぽぽの輪が、風に揺れていた。
街が近づいてくる。
ダーレムへの入口が、夕暮れ前の光の中に浮かび上がっていた。




